シスター-1-
つかさの歩いていたのは,自宅からはだいぶ遠く電車を乗り継いでいかないといくことのできない隣町であった。
目新しく,どれも白く輝いて見える住宅団地はまだ開発されていない山を背にまぶしく光っている。
もともとこの土地は最寄りの駅から徒歩十分という立地にあったものの,所有者が手放そうとせず未開の土地であった。
それが地主の世代交代により売りに出されることになり,いっきに開発されたため目新しい建造物が多く見られるということであった。
「それでっ?ここには誰がいるんです?」
ヴァンはいつの間にかつかさの隣を歩いていた。
つかさが家を出たのが朝の九時,それから三十分かけて駅まで行き,電車を乗り継いで今に至るわけだが,その間つかさは一度だってヴァンの姿を見ていない。
きのうも気がついたらヴァンはつかさの目の前から消えていた。
そのときつかさは瞬きさえしていないにもかかわらず,いつの間にか知覚できなくなっていた。
突然いなくなるといったような「いる」と「いない」の境界のはっきりしたものではない。
『消える』ことが常であるようにその存在を世界に溶け込ませてしまうのだ。
「ここには小さなころ世話になった人がいる」
金縁のついた皮製のトランクを持ったつかさはヴァンが横にいることが常であるかのように落ち着き払って払ってそういった。
「前にも言ったとおりオレは捨て子だったんだ。捨てられてから半年くらいだったけど孤児院にいた。リストにそこのシスターの名前があった」
つかさの語調は平坦で感情がこもっておらず,リストの中にその名前があったからしょうがなく行くといったようであった。ヴァンは,無駄のない歩き方ですたすたと進むつかさの顔をのぞくよくようにして言う。
「ん?気乗りしないカンジですねっ?やっぱりつらいんですかっ?」
気乗りしないというわけではなかった。つらいというわけでもない。しかし,つかさは疑問に思ったのだ。
「一年だけだ。たしか、まる一年くらい、そこにいたのはたったそれだけの時間だ。十年以上前の話だっていうのにリストに載っているのが不思議に思った。それだけのことだ」
「ふーん」とヴァンはうなずいて見せた。 そのあたりの事情にはまったく興味がなさそうである。
「シスターさんって名前ですか?姉妹って意味ですよねっ?」
無理にでも話を続けようとするヴァンに,つかさは気まずい沈黙をつくるまいとがんばる恋人を連想する。無論ヴァンにその類の意図はないであろう。なぜならその笑顔は無邪気そのものであったから。
シスターの意味だって?そんなのなんでわからないんだ。
しかし,つかさの目にもわざとやっているようには見えなかった。
「その孤児院はキリスト教関係のところだシスターってのは,いわばそのキリストに仕える女神官ってトコだな」
「へぇーっ。ってことはシスターさんにはほんとの名前があるんですね?」
つかさにとっての当たり前をヴァンはまじめに問うてくる。
「ああ,でもオレは知らない。半年の記憶の中でシスターはシスターでであってほかの何者でもなかったからな」
つかさはシスターの本当の名前を知らなかった。生活するのにそれで事足りたし,半年という短い間しか彼女と一緒にいなかったからだ。
だから疑問に思ったのだ。シスターとの関係なんて希薄なものなのではないかと。
「まるで神様みたいですねっ?」
ヴァンは唐突にそういった。
「何の話だ?」
「シスターさんですよっ。シスターなんて代名詞で存在してるなんて、まるで概念だけで生きてるみたいです」
つかさはヴァンのその言葉に、ジョークにも似たおかしさを感じる。
神に仕えるシスターがまるで神のようであるなんて___
「ふっ…」と鼻を鳴らす。
「そうなるとオレの今しようとしていることは神への冒涜ってワケか」
口元だけで笑いながら、つかさはそう皮肉を言う。
「神様がもし、全知全能であって、そのくせ自分の創ったものに手をかまれたくらいで怒り狂うほど狭量であったら、そうかもしれません」
ヴァンの曖昧な答え。そうしてくわえて一言。
「なんでその人が一番最初なんですか?」
それは記憶を消すことにおいてのことであろう。がらりと話は変わったかが、つかさは一言、そこに明瞭さをこめて
「遠くにいるやつから消していったほうが都合がいいだろ」
「それだけですか」
「ああ」
ヴァンは「へえ」といって話はそこで終わった。つかさにはヴァンが何を言わせようとしたのか、つかさに何を言わせようとしたのかがわからなかった。