日野つかさ-10-
「記憶は,その人とつかささんとの関係が深ければ深いほど消すのが面倒になりますし,浅ければ浅いほど簡単になります。まあ,なぜかっていいますと,考えればすぐにわかると思いますがかかわりが多いほど消す記憶の量が多くなりますし,少ないほどすこしでよくなるからです」
足で椅子をカチャカチャ言わせて回りながらそういった。
「消えた記憶の穴はどうやって埋めるんだ?ランダムに新しい記憶が植えつけられたりするのか」
それはつかさの頭にふと浮かんだ懐疑であった。もし、自身の記憶がその人間から消えるということになれば、そこまでに在った「~であったこと」が消えてしまう。
そこに何か穴が存在しなければ過去からそれまでのつじつまが合わなくなってしまうのではないかという疑問である。
「それはつまり~具体的にいえばこういうことですか?つかささんに彼女がいたとします。その彼女につかささんはクリスマスプレゼントをしました。しかしここでつかささんの記憶が消えたのなら、プレゼントは誰から送られたものとなるのか?誰のもらったわけでもなく自分だって買った覚えがない。なのに自室にあるこのプレゼントはいったい…。そう考えたときの緩衝材はないのか?でないと過去と現在に一貫性がなくなるではないか?____と?」
「ああ,そのとうりだ」
つかさはその喩えがわかりやすいと思った。いいたいことは,そういうことだ。
しかしこれは自身が消えた後のねじれてしまうのではないかと思うような心配や危惧ではない。単なる好奇心だった。
「事後の処理はすることになりますが,ランダムに記憶を植えつけたりなんて物騒なことはしません。だいいち,多分それは多分すごく難しくてめんどくさいです」
確かにそのとおりであるとつかさも思った。過去から未来へとつながるつじつまをあわせ、さらにそれがほかの人間との生活の中でなんら不自然でないものにしなければならない。
それを記憶を消した人間一人一人に施すというのは「ヴァン」という存在がなんであれ骨が折れる作業なのであろう。
「だーかーらー,もっとカンタンな方法があるんです。そのプレゼントの贈り手をどうこう考えるんじゃなくて,もともとそんなプレゼントは存在しない,つかささんって言う彼氏自体存在しないことにすればいいんですよ」
「でもそれじゃあプレゼントはまだ家にあることになるだろう」
「そうですね。でも彼女が自室にあるプレゼントを疑うのは,それが贈り物であるとわかって,誰に送られたものであるのかわからないからです。つかささんの記憶は消えてもプレゼントが贈り物である一度付与された概念は消えません。だけど,彼氏という存在自体が消えたならプレゼントはもらわないことになる。自室にそれがあってもそれは日常の風景のひとつとみなされなんの疑心もわいてこない。彼女さんは一人さびしくクリスマスを過ごしました。これでいっけんらくちゃくです」
ヴァンは「あ~あ。かわいそうなつかささんの彼女さん」などといって自分の肩を抱いていた。つかさはわかったような気もしていたが,突っかかるところもあるような気がして顔をしかめた。
「んむぅー。ちょっと難しかったですか?もっともーっとわかりやすく言うとですね,結婚した二人の男女がいたとして,どちらか一方がつかささんと同じような状況にあるとしたら,全部の記憶を消した時点で消された女性のほうは別の人と結婚しているということにはならずに,結婚していなかったということになる。つかささんの必須になる記憶というのは何かに置換されるのではなく,そのまま消えてなくなるんです。そのてっぽうは消すことはしてもつくることはしません。被行使者のなかの記憶を,行使者がいなくなっても世界の一貫性が保たれるように都合よく壊すだけです」
その瞬間,つかさは薄ら寒いものを感じた。ヴァンの言ったこと,つまりそれは存在の始点とそれまでの「~であった」自分を完全に破棄し,再び世界と接した瞬間に新たな始点を置ける状態にする。____ありていに言えばフォーマットであった。その行為は,世界からつかさが消える,というよりもむしろ,もともとなかったことにすることであった。
「そーれーでっ!これが『あなた』を消さなければならない人たちのリストです。もともと関係の薄い人たちはつかささんが望みをかなえるときにカンタンに消えます。だから,深い結びつきを極限まで浅くするために消すんです」
「___極限まで浅く」?つかさは煮え切らないものを感じた。
「それじゃあ,オレの記憶はこの銃で撃っても完全には消えないのか」
ヴァンはにこりと微笑んだ。
「そうですね。その時点で完全に消しても学校のトモダチみたいにずぅっと一緒にいればまた新しい記憶がイヤでも保存されちゃいます。そのつど消すなんていたちごっこはしたくないでしょ?『あなた』が消えるのはあなたの望みが叶うときです。もうっ,2回も言わせないでくださいよっ」
そういって腰に手を当て人差し指を立てるヴァンがつかさにさしだしたのは,上質そうな紙『リスト』___そこに書いていたのはつかさが一番捨てたいと思ってきた忌まわしきつながりの体現。