第二話
「怒るな。その強力なアウラを乱せば、いろいろと寄ってくるぞ」
「放っといてくれ、関係ないだろう?ついて来るな!」
少女は暗く気味悪い都市遺跡の奥にずんずんと入っていく。
「日が沈めばここいら一帯は悪霊とガグルの魔窟だ。死にたいのか?」
狐男は少女の腕をつかんだ。
「放せっ!!」
少女は金切り声をあげ、その手を振り払おうとした。が、彼女の腕力では到底彼に敵わない。それでも少女は暴れた。
「無駄死にしていいのか?命を捨ててまでお前をここまで運んだあの生物にどう詫びるつもりだ!?」苛立った狐男は、突き刺さるような鋭い声で怒鳴った。
「・・・・っ」
怒声に驚いた少女は身を強張らせた。気の強そうな子だが、怒鳴られることには慣れていないのだろう。男は大人しくなった彼女の腕を放した。
「・・・生き延びたいならついて来い」もとの感情の無い声に戻った狐男は少女に背を向け、少し疲れた様子で建物の間をゆっくりと歩いて行った。
少女は少しの間、うつむいてその場に留まっていた。その顔は今にも泣き出しそうだった。彼女は、上を向き深く深呼吸して感情を落ち着かせた。空を覆う分厚いスモッグを通して降り注ぐオレンジ色の微弱な光は、日没の近い事を教えている。少女はもう一度深呼吸して、狐男の後を追った。
「・・・・。」
男はちらりと後ろを見やり、少女がついて来ていることを確認した。そして黙ったまま遺跡の合間を歩いていった。暫くして、ふいに思い出したように狐男は歩きながら静かに言った。
「・・・怒鳴ってすまなかった。先に趣味の悪い冗談を言った事も謝る。ついアクラシアでのノリが出た」
「・・・・うん」
少女は、狐男の素直な一面に好感を覚えた。
狐男の後について歩き続けると、高く巨大な建築物がかたまって建ち並ぶ広い十字路に出た。周囲を囲むビルは、上空がスモッグで隠れているため最上階が見えない。やわらかく仄暗い光が、その空間を満たしている。少女は、その神秘的な光景に見とれた。
男は十字路の中心でしゃがみ込み、道具入れから金髪の束を取り出し、腕輪に付属されている掌サイズの金属性の円盤を外した。その円盤から3つのかぎ爪を持つ金具が飛び出していて、それを引っ張ると透き通った細いワイヤーに繋がっていた。円盤の中にワイヤーが巻きつけられているのだ。
ワイヤーをある程度まで伸ばした男は、それに髪を結びはじめた。その作業を少女は不思議そうに覗き込んでいた。
「・・・あたしの髪で何をしてる?」
「餌だ。ここに住み着く馬鹿でかいガグルを釣る」
少女は少し考えてから、はっとして叫んだ。
「ガグル・ハンターなのか!?」
「今さら気がついたのか。意外と鈍いんだな」
狐男はくいっと首をかしげ、背負っている大型銃剣の銃床を突いて見せた。少女は、人を小ばかにしたような彼の言動にむっとしたが堪えた。
「髪なんかで寄ってくるの?」
「人の髪にはそこらの鉄屑よりも複雑で大量のエレムが堆積しておる。特にお前のは、切り取った後でも強烈なアウラを放っているから、生きた動物と思って喜んで誘われて来るさ。それ以上に奴らの好物は無い」
そう説明しながら、髪を結び終えた狐男はワイヤーを伸ばしながらその場から離れていった。少女はその後について行きながら質問を浴びせた。
「馬鹿でかいんでしょ?こんな細いワイヤーで大丈夫?先についてる金具もそんなに大きくないし・・・それにガグルが掛かったとして、あの化け物に人の腕力で勝てるのか?」
「心配なのは分かるが何も問題無い。あるとすればお前のその桁違いのアウラが、これから張って潜伏するつもりの結界から漏れ出さないかどうか、だ」
「〝お前〟っていうのは止めてよ。テトラだ。テトラ・ミュルタ・・・」
「興味無い、黙っておれ」
狐男は冷淡に彼女の言葉を遮った。少女――テトラは膨れっ面になりながらも、言われたとおり黙った。
暫くそのまま歩き続け、狐男はふいに立ち止まった。ワイヤーを持って円盤を回し、その遠心力で頭上へと放り投げた。円盤はかなりの高さまで飛び上がり、高層ビルの外壁が破損した空間に吸い込まれるように入っていった。十字路を見渡すには好都合そうな場所だ。
男はワイヤーを地面に落とし、その建物の中に入っていこうとした。が、テトラがついて来ないことに気づき立ち止まった。
テトラは不貞腐れた顔をしてそっぽを向いている。狐男は面倒臭そうに短くため息をついた。
「アクラシアで生きていくなら、他人に容易く本名を明かすな。魂の――」
「呪縛を掛けられて操り人形にされるかもしれない。それ位の事、身をもって知ってるよ」
「・・・ならなぜ言おうとした?」
テトラは不満げに狐男を見やった。そんな分かりきった事を聞くなとでも言いたげだ。
「あんたは、そんな無粋な事しないだろ。その・・・綺麗なアウラしてる」
「・・・・ふん」
男は心底呆れたように鼻で笑った。そしてくるりと背を向け建物に入って行ってしまった。
「ちょっ・・・ファーストネームか、百歩譲ってあだ名くらい教えてよ!」
テトラは顔を真っ赤にして、無愛想な男を追った。
「おい、無視するな!聞こえてるんだろ!?なあっ!」
「五月蝿い、ホーグだ」
「!」
不意をつかれたテトラは一瞬その場で固まった。危うく聞き逃しかけた単語を頭の中で復唱し、すげないながらも名を答えてくれたことをようやく理解した彼女は顔を綻ばせた。古びた鉄筋の階段を足早に上っていくホーグの後を、テトラは慌ててついていった。
「それってあだ名?ファーストネーム?」
「あだ名だ。足元に気を配れ」
2人は抜け落ちた床や崩れ倒れた瓦礫を飛び越えながら、砂塵が積もって滑りやすい足場を慎重に進んでいった。
ホーグは煩わしそうにしがらも、自分に質問し続けて足元を疎かにするテトラに気を配り、時には手を貸した。彼だけならもっと敏速に建物を上っていけただろう。そのことに対して文句を垂れる事無く、ホーグはただ黙ってテトラを誘導する。厚情なのか非情なのか分からない彼に、テトラはさらに強く好奇心をそそられていった。