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むせる孔明、胃薬を走らせる

掲載日:2026/08/18




「良薬は口に苦し、良薬は口に苦し……。」



 ゴリゴリ、という音が、成都の政庁に響いていた。


 その発生源は、薬研を挽く音。

 薬草をすり潰し、煎じ薬を作るための道具である。


 そして、それを挽いている男こそ、かつて伏龍と謳われ、劉備玄徳が三度訪ねて迎え入れた天下の智者。

 諸葛亮孔明であった。



「孔明様あああああっ!?」



 成都の政庁に、若者の叫び声が響き渡った。



「馬謖……。何事です。落ち着きなさい」



 諸葛亮は顔を上げることもなく、淡々と薬研を挽き続ける。



「慌てては、事を仕損じますよ」

「ですが、張飛様がっ!? 張飛様があああああっ!?

 酔っ払って、大暴れです! なんか笑いながら部下を鞭でビシビシ叩いています!」



 しかし、その名を聞いた瞬間。

 諸葛亮は、薬研の中身を鷲掴みにすると、口いっぱいに頬張った。



「み、水をっ!?」

「んぐっ、んぐっ、んぐっ、んぐっ!」



 若者が慌てて差し出した水を、諸葛亮は一気に飲み干した。

 だが、喉に張り付いた苦い薬草は、なかなか流れていかない。



「んん、んーーーっ……。」



 胸をどんどんと叩きながら、諸葛亮は静かにうずくまる。



「……だ、大丈夫ですか?」

「キレてない。キレてないですよ。私は冷静です」



 やがて、顔色を戻した諸葛亮は、何事もなかったかのように立ち上がった。

 そして、立てた人差し指を左右に振る。




 ******




「曼怒麗玖……。

 遥か西方には、よく効く胃薬があるとか」



 ゴリゴリ、という音が、上庸の政庁に響いていた。


 その発生源は、薬研を挽く音。

 薬草をすり潰し、煎じ薬を作るための道具である。


 そして、それを挽いている男こそ、大徳と名高い劉備玄徳に仕え、天下三分の計を示した大軍師。

 諸葛亮孔明であった。



「孔明様あああああっ!?」



 上庸の政庁に、男の叫び声が響き渡った。



「孟達……。何事です。落ち着きなさい」



 諸葛亮は顔を上げることもなく、淡々と薬研を挽き続ける。



「慌てる乞食は、貰いが少ないと言いますよ」

「ですが、関羽様がっ!? 関羽様があああああっ!?

 呉へ勝手に戦を仕掛けました! なんか義は全てに優先するそうです!」



 しかし、その名を聞いた瞬間。

 諸葛亮は、薬研の中身を鷲掴みにすると、口いっぱいに頬張った。



「わわっ!? ええっと……。ちゃ、茶をっ!?」

「はわちゃっ!?」



 男が慌てて差し出したお茶を、諸葛亮は一気に飲み干した。

 だが、お茶は淹れたばかりで熱々だった。



「したっ!? 舌があああああっ!?」



 舌を突き出し、諸葛亮は仰け反る。



「……だ、大丈夫ですか?」

「キレてない。キレてないですよ。私は冷静です」



 やがて、顔色を戻した諸葛亮は、何事もなかったかのように立ち上がった。

 そして、立てた人差し指を左右に振る。




 ******




「……隠居したい。

 働いたら、負けだと思ってる」



 ゴリゴリ、という音が、漢中の政庁に響いていた。


 その発生源は、薬研を挽く音。

 薬草をすり潰し、煎じ薬を作るための道具である。


 そして、それを挽いている男こそ、劉備玄徳と共に漢室再興を目指し、古の軍師・張良にも比肩すると謳われた天才。

 諸葛亮孔明であった。



「孔明様あああああっ!?」



 漢中の政庁に、おっさんの叫び声が響き渡った。



「魏延……。何事です。落ち着きなさい」



 諸葛亮は顔を上げることもなく、淡々と薬研を挽き続ける。



「一休み、一休み……。残業なんて馬鹿げてます」

「ですが、劉備様がっ!? 劉備様があああああっ!?

 夷陵で大敗しました! なんかカッとなってやった、今は反省してるそうです!」



 しかし、その名を聞いた瞬間。

 諸葛亮は、薬研の中身を鷲掴みにすると、口いっぱいに頬張った。



「ちょっ!? 無茶すぎっ!?」



 おっさんが驚くのをよそに、諸葛亮は酒瓶をラッパ飲みする。



「かーーーーっ!? やってられるか!」



 一気に飲み干すと、諸葛亮は薬草と酒が混じった臭い息を吐いた。



「……孔明様、キレてます?」

「キレてない。キレてないですよ。私をキレさせたら、大したものです」



 やがて、赤ら顔の諸葛亮は、何事もなかったかのように立ち上がった。

 そして、立てた人差し指を左右に振る。




 ******




「姜維、これから私は北斗星に祈りを捧げます」

「はっ!」



 秋風が吹く夜の五丈原。


 諸葛亮は、薬研を挽くのを止めた。

 右手には宝剣を、左手には鐘を携えていた。



「成功すれば、延命が叶うでしょう。

 失敗した場合は……。大体、三兄弟のせいです」

「……へっ?」

「誰とは言いませんが、地獄の三兄弟のせいです」



 若き俊英は戸惑うが、その隣ではおっさんが腕を組みながらうんうんと頷いていた。



「丞相……。もしかして、キレてます?」

「キレてるに決まってるだろうが!

 俺は、本当はな! 荊州の田舎で、静かに食っちゃ寝して暮らしたかったんだよ!」

「ひぃっ!?」

「孔明様! どうどう!」

「魏延、放せ! 俺は、俺はあああああっ!」



 諸葛亮の死から、約三十年後。

 諸葛亮の後継となった若き俊英もまた、慢性的な胃痛に悩まされた。


 そして、蜀は滅びる。


 結局、蜀を苦しめ続けた最大の敵は、魏でも呉でもなかった。

 胃だった。




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