5. 生成科と養成科
【アベニウス暦六三九年、黄の月、三十二日】
入学式の翌日、宿に一泊していた両親は帰宅し、レイはとうとう一人きりになった。と言ってもここは何人もの職人達が暮らす寮であり工房だ。人寂しくなるということはまずない。
入学式後の二日間は学校がお休みということで、レイは朝から洗濯物を洗って干し、部屋を掃除し、昨日受け取った教科書を机の上に並べていた。
だが最後の一冊をブックエンドの端に詰め込んだ時、ふと昨日のユーリの姿を思い出す。
(あの人、昨日白いローブを着ていたわよね…でも『養成科』の人が魔法珠工房に入るなんておかしい気がするんだけど……)
気にはなる。しかし『敵』と認識してしまった相手に直接聞くのはどうしても抵抗がある。
「聞きたいけど仕方ない。忘れよう。」
「えー、忘れちゃうのかい?聞かれるの、待ってたのに。」
「ぎゃー!?」
驚き過ぎて勢いよく飛び上がったレイは、後ろを振り向き目を大きく見開いた。
「な、な、なんで……」
するとそこには鍵が掛かっていたはずのドアをあっさりと開き、魔法珠の付いた杖を楽しそうに振るユーリの姿があった。
「なんでと言われたから答えるけれど、君、今日の昼食準備の当番だよね?さっき食堂に行ってみたら姿が無いし、待っていてもなかなか来ないから呼びに来たんですよ。この間渡した紙に書いてあったはずなんだけど。」
「あ…ああっ!?」
確かに数日前に掃除と食事準備の当番表を受け取っていたレイは、青ざめながらその紙を引き出しから引っ張り出した。
「あー。そんな所に入れておいたら見ないに決まってるよね。こういうのはきちんと壁に貼っておかないと。」
そう言って彼はクルッと杖を振りレイの手から当番表を奪い去ると、もう一度杖を振ってそれを壁にビタッと貼り付けた。ちょっと斜めになっているのが地味に腹立たしい。
「も、申し訳ございませぬ……」
「何?昔の人?」
「……」
(ぐぬぬ、相変わらず感じが悪い!)
「まあいいか。じゃあとにかく行きましょう。時間も無いし仕方ないから俺も手伝います。」
「あ、ありがたき幸せ。」
「ははは。」
乾いた笑いが逆に恐ろしい。レイはこの日ユーリへの認識を改めた。
(彼はただの敵じゃない。私の『天敵』だわ!!)
レイはふわふわと揺れる銀髪を恨めしそうに見つめながら、どこまでも恐ろしい彼の後を追って急いで食堂へと向かった。
【アベニウス暦六三九年、黄の月、三十四日】
「よし、教科書とノートと筆記用具と…あ、お財布!」
机の上に置いてあった黄色い財布を手に取って急いでカバンの中に詰め込む。そして姿見で自分の服装を確認すると、相変わらずふわふわと落ち着きのない癖毛を手でくるくると巻いて横に流し、深呼吸をしてから外に出た。
「今日からいよいよ授業かあ。午前中は座学…午後は実習……」
建物を出て道路を歩きながら、学校から貰ってきた資料を眺める。曜日ごとに座学の内容は変わり、実習の方は得意分野の違う先生方が交代交代で指導に当たってくれるらしい。
「特別授業…希望者のみ、か。うーん、これはどうしようかなあ?」
「おはよう、レイ。」
「ひっ……お、おはようございますぅ、ユーリ先輩!」
驚いて思わず持っていた紙をグシャっと握りつぶしてしまったレイは、顔を引き攣らせながらどうにか笑顔を捻り出した。
「はは。今さら先輩だなんて、嫌味かな?それより前を向いて歩かないと、あの穴に落ちるよ?」
「え?」
そう言われて前を見ると、道路の端に足が一本すっぽり入りそうな大きさの穴が空いているのが見えた。申し訳程度に小さな注意書きが貼ってはあるが、ぼんやりしていれば間違いなく見逃して、あの穴に片足を突っ込んでいたことだろう。確かに周りの人も皆その場所を避けて歩いている。
「うわ、危なかった!あ、ありがとうございます!」
案外優しいところもあるのねと素直に感謝していると、ユーリはいつもの優しい笑みを浮かべて言った。
「いいえ、どういたしまして。授業初日からこんな所で怪我をされても面倒だし、それに穴だって、不注意な人間にこれ以上広げられたくはないだろうからね。」
「えっと、後輩より穴の心配ですか…?」
「ははは。じゃあ、気をつけて。」
「……」
ヒラヒラと手を振りさっさと行ってしまう彼の後ろ姿を見送りながら、レイは鼻の穴を膨らませて大きく息を吸い込み、やり場のない気持ちを盛大なため息にして吐き出した。
教室に入ると、すでにハナとヨカがレイの到着を待っていた。
「おはよう!あら、レイったら初日なのにもう疲れてるの?」
「あー、うん。まあ色々あって。」
ハナが面白そうにレイの顔を覗き込む。綺麗な赤い髪色が目に眩しい。
黒く長い髪を一本で束ねたヨカは、少し離れた場所で二人の会話を聞いていた。だがハナの言葉が気になったのか、すぐに近くにやってくる。入学式の時はローブに隠れていて気付かなかったが、女性らしい口調の彼の普段着は、至って普通の、ちょっと洒落た男性用の服装だった。
「そういえばレイは寮じゃないって言ってたわね。今はどこかに部屋を借りているの?」
ヨカにそう聞かれたレイは、げっそりとした表情で「うん、マルーン工房」と答えた。すると二人は驚いた顔をレイに向け、ほぼ同時に声を上げた。
「え?あの有名な!?」
「どうしてあの工房に?」
「あー、それは」
「はい、おはようございます。」
だがそこでちょうど教師がやってきたため、三人は会話を中断し、それぞれの席に戻った。
授業内容は思っていた以上に単調なものだった。一年生だから基礎を徹底するのだろうと予想はしていたが、その予想を遥かに上回る初歩的な内容だと知り、一瞬心が折れそうになる。
(でも私はお父さんとの約束を守るんだ。初歩の部分にまだまだ抜けがあるかもしれないし、過信しないで、全部吸収していかなきゃ!)
そうしてレイはもう一度教科書に目をやると、新たな気持ちでその初歩的な内容と向き合っていった。
授業後、三人は昼食を取ろうと食堂に向かう。
生成科の校舎の中を通っていくルートは少し遠回りになるため、試しに中庭を通ってみようということになったのだが、これが大きな間違いだった。
「あら?あれって『生成科』の人達かしら?」
「えー、なんか地味ねえ。大して魔力も無いんでしょ?」
「ちょっと、声が大きいわよ!聞こえたら可哀想じゃない!」
こちらを見ながらヒソヒソと何かを話す『養成科』の生徒達。中庭は二つの科の校舎の共有部分にあるため、何も考えずに中庭に出た三人は、途端に彼らの嫌味の洗礼を受けてしまった。
「全く、感じの悪い連中ね。」
「本当だね。あれ、レイ?もしかして落ち込んでるの?あんなの気にしない方がいいよ。」
彼らの態度に憤慨していたヨカとハナだったが、突然俯いてしまったレイに気付き、心配そうに声をかけた。
「ああいう人達ってどこにでもいるのね…あ、そうだ!どうせなら堂々と宣言してもらえるように、声を大きくする魔法珠を投げつければ…」
「……」
「……」
だがその独り言の内容を理解した二人は、無言でレイを見つめて立ち止まった。
「ん、あれ?どうしたの二人とも?ほら、早く食堂に行かないと、お腹と背中がくっついちゃうぞ?」
「くっつかないわよ!」
「心配して損した。」
「ええっ!?」
なんでどうしてああ冷たいと嘆くレイを置き去りにして、二人はスタスタと食堂に向かって歩いていってしまう。残されたレイは慌てて二人を追いかけながら、思いついてしまったその拡声機能付き魔法珠の構想をじっくりと練っていった。




