4. 魔法珠工房にお世話になります
【アベニウス暦六三九年、黄の月、二十六日】
前日のうちに全ての荷物を運び入れたレイは、この日朝から新たな生活の拠点となる自分の部屋をじっくりと見渡していた。
角部屋なので窓は東と南の二面にあり、風通しはすこぶる良い。内装はシンプルだがベッドやマットレスはかなり上質なものを置いているようで、シーツやカバーを掛けた後早速横になってみたところ、その寝心地の良さに思わず呻いてしまった。
「さて、これで寮の問題は解決したし、五日後には入学式!はあ、どんな勉強ができるのかなあ。あ、そうだ!通学用のバッグ、どこにしまったんだっけ?」
ベッドから飛び起きたレイはゴソゴソと荷物を漁り始める。昨日はあの後興奮し過ぎて疲れてしまい、まだ開封していない箱がいくつもあるのだ。
すると荷解きを始めたレイの動きを止めるかのように、突然ノックの音が部屋に響いた。
「ん?師匠かな?」
レイは慌てて荷物を壁に押しやり、ドアを開ける。するとそこには昨日会ったばかりの銀髪の青年、ユーリが立っていた。
「あ、ユーリさん、でしたっけ?どうも。」
「こんにちは。突然すみません。」
丁寧な物言いは彼の初期設定なのだろうか。だが口調に伴わない目の動きが、レイのこめかみをぴくりと引き攣らせる。
(あ、今この人、私の荷物が片付いていないのを見てちょっと笑った?)
「師匠からあなたにここの案内をするようにと言われたんですが……今はお忙しそうですね。」
嫌味か?とは思ったが、先輩に喧嘩腰になるのは良くないだろう。レイは無理やり笑顔を引っ張り出し、できるだけ冷静に答えた。
「ええ、まあ。でもせっかく先輩が案内してくださるというなら、荷解きなんて後で平気です。」
「そうですか。すみません、手を止めてしまって。てっきり昨日のうちに片付いているかと思っていたので…。では、行きましょうか。」
「…はい。」
(くう!感じが悪い!だが顔はいい!)
前をスタスタと歩いていく憎らしい彼にベー、と舌を出すと、レイは大人しくその後ろをついて行った。
「ここが厨房で、あちらが食堂です。朝食は各自で準備することになっていますが、昼食と夕食は料理人が来て作ってくれるので、時間になったらここに来て食べてください。後で詳細はお伝えします。」
「はい。」
彼はゆっくりと廊下を歩きながら広い建物内の説明をしていく。ここマルーン工房は、工房と社員寮が同じ大きな建物の中に入っている。学生である二人は食堂などがある一階に、それ以外の独身社員達の部屋は二階にあるらしい。
「お風呂と洗面所とトイレはあちらにまとまってあります。洗濯場は外の離れにありますので、自分で洗濯をして外の物干しに干してください。」
「わかりました。」
丁寧に説明してくれる彼を少し見直していると、突然ユーリは立ち止まり、くるっと振り返って言った。
「ところで、君のことは何と呼べばいいのかな?」
「え?私ですか?」
あまりにも唐突な質問に狼狽えていると、ユーリは優しくこう続けた。
「ほら、説明するのにどう話しかけたらいいかと迷っていましてね。」
「ああ、なるほど。ベルマンでもレイでも、お好きな方でどうぞ。」
「そうですか。では『レイ』、私のことは『ユーリ』と呼んでください。」
レイはその発言に一瞬固まる。
「ええと、でも先輩ですからそれはさすがに…。あの、『エデンさん』とか『ユーリ先輩』とか、あ!『ユーリ様』っていうのは…」
ユーリの笑顔がさらに柔らかいものに変わり、その笑顔の裏に潜む何かを察知したレイは震え上がった。
「ただの『ユーリ』でいいですよ。…どうせ先輩だなんて思ってもいないのでしょう?後ろでこっそり舌を出すくらいですからね。」
「え……はっ!?」
(嘘でしょ?さっきの、もしかして見られてた!?あれ、でも確かにあの時は前を向いていたわよね…じゃあどうやって…)
レイが怯えてアワアワしていると、ユーリがゆっくりと顔を近付けて言った。
「どうやって、って思ってる?それは内緒です。さあ、次は工房の中をご案内しますよ。」
「……はい。」
それは、レイがユーリのことを「敵だ!」と認識した最初の瞬間だった。
【アベニウス暦六三九年、黄の月、三十一日】
今やレイの部屋はすっかり片付き、数日前の混沌が嘘のように過ごしやすく整った環境になっている。認めたくはないが、あの日ユーリに言われた嫌味が功を奏した、とも言える。
そして現在、そんなスッキリとした部屋の中で、父と母が揃ってレイの前に座っている。
「いいじゃない!すっごく似合っているわ!この学校は通常私服で過ごすことになるけれど、大きな式典がある時だけはこのローブを羽織るのよ?ああ、本当に懐かしいわあ!」
王都に戻ってきたことでご機嫌な母は、レイのローブ姿にすっかりご満悦だ。
父もまた感慨深いようで、母と同じ卒業生として、娘の晴れ姿を喜ばしいと感じてくれているらしい。
「うん、とても似合っているよ。」
そう言いながらゆっくりと頷くヨハン。その肩に優しく手を置いたアニスはにっこりと微笑む。
「三年間しっかり勉強しなさいね。どんな道を歩むことになっても、目の前のことを頑張っていれば、必ず道は開けるから。」
「うん。」
「それと、最低でも年に一回は村に帰ってらっしゃい。魔力を定期的にしっかり抑えておかないと心配だわ。」
「わかった。」
そしてヨハンもまた、レイに静かに語りかける。
「レイ、お前には自分が思っている以上に才能がある。おそらく学校での勉強を物足りないと感じる時もあるだろう。だが決して驕ってはいけない。どんなに簡単に思えることでも、無駄なことは何一つ無いのだから、常に真剣に取り組んでいきなさい。」
「うん、必ずそうするわ!」
だが、そこでふと母の表情が曇った。
「はあ。それにしても、入学式に出席できないのだけが残念だわ。」
「仕方ないだろう?私達…いや特に母さんがあの場に出席すれば、レイが目立つことになるんだぞ?」
「それはわかってるけど…」
アニスの残念そうな様子にレイの心は痛む。
「お母さん、元気を出して!そうだ!入学式が終わったら三人で食事に行ってお祝いしよう?ね!」
するとアニスは上目遣いになり、ヨハンに切なそうな顔を向けた。
「私、美味しいお肉が食べたいわ。」
「それ賛成!ね?お父さん!」
「…わかった。」
「やったわ!」
「やっほーい!」
「……はあ。嵌められたか。」
狭い部屋の中で両手を挙げて喜ぶ似たもの母娘を、父は苦笑しながら見守っていた。
その後入学式は恙無く終了し、次の予定に入る前に十五分ほどの休憩時間が与えられた。そしてその短い時間にレイは早くも二人の同級生と友達になった。
「よろしく!私は王都出身のハナだよ。よく男の子に間違われるんだけど、女です。あなたはどこから来たの?」
最初から気さくに話しかけてくれた赤毛でショートヘアのハナを、レイは一瞬で好きになった。
「私はオリアン村だよ。田舎だから知らないかな。」
「うーん、ごめん!でも教えてくれたから調べてみるよ!で、お姉さんは?」
ハナがそう言って話を振ったのは、背の高い黒髪長髪の生徒だった。レイより少し年上に見える。
「私?私はヨカ。出身は王都の隣のグレースって所。ちなみに私はれっきとした男です。」
「あら。ごめんね!」
「私よりキレイ…うう……」
レイが悲しそうにそう言うと、ヨカは突然レイの頬を引っ張って言った。
「うっわ、なんでこんなに伸びるのよ!?……まあいいわ。とにかく、あなたもハナもとても可愛いわよ?私はちょっと美容にも興味があるだけ。ここで勉強して、美容関連の魔法珠を専門に作りたいと思ってるの。」
「へえ、そうなんだ!すごいね!」
キラキラした目でレイが手を組んでそう言うと、ヨカは眉を顰めた。
「レイ、立ち直るの早過ぎない?」
「えへへ。そうかなあ?」
「褒めてないわよ。」
「……」
「ねえ、私達は黒だけど、あっちの白いローブってもしかして」
レイとヨカはそう聞かれて、同時にハナの視線の先を見る。そしてその問いにヨカが静かに答えた。
「あれが『魔法師養成科』の皆様よ。ま、あまりお近づきになりたくはないけど。」
「ふうん。」
ハナは興味深そうにそちらを見ていたが、壇上から大きな声が上がると三人は話を止めた。
「さあ新入生の皆さん、これから各学科ごとに説明会を行います。『養成科』はこのままここに、『生成科』は中庭に出てください。」
教師らしき男性の指示が終わると、百人ほどの『生成科』の生徒達はゾロゾロと外に移動し始めた。
「何だか、嫌な視線を感じるね。」
「……」
レイは黙って頷いたが、ハナの言う通りだ。『養成科』、つまり魔法使いの卵達は、まるで自分達の方が偉いのだと言わんばかりにこちらをジロジロと見ている。
「気にしたら負けよ。違う世界の人間だと思って、無視無視。」
ヨカのその言葉にハナも納得したのか、二人はさっさと外に出てしまった。だがレイはもう一度そちらに目を向けた時、あり得ない人物がそこに混ざっていることに気が付いた。
「え、どうしてユーリが……?」
見覚えのある銀髪が、クラスメート達の談笑の輪の中で揺れている。一瞬目が合ったような気がしたが、レイはすぐに視線を逸らした。
(どうして『養成科』の人がマルーン工房に?一体どう言うこと!?)
レイは解決できそうもないその疑問を胸に、新しい友人二人の後を追って急いで中庭に飛び出していった。




