3. 王都、寮騒動、天敵との出会い
【アベニウス暦六三九年、黄の月、十五日】
朝から曇り空が広がるオリアン村。この日レイは窓の外を眺めながら、持参する上着をどうしようかと頭を悩ませていた。
「王都はここよりも少し暖かいってお母さん言ってたし、薄手の上着にしようかなあ。でも寒かったら嫌だし…あ、そうだ!」
ふと何かを思いついたレイは、机の上にある宝石箱の中から青く少し濁った色の魔法珠を取り出した。
「効果は弱いけど、寒かったらこれを使おう。」
レイは『暖気』の魔法珠をバッグに忍ばせると、「効果にそぐわない色よね…」などと呟きながら他の荷物も次々にバッグに詰め込んでいった。
魔法珠は一見するとガラス玉のような見た目なのですぐに割れてしまいそうに思えるが、実際に効果を発動するためにはある程度の魔力をそこに流さなければならないし、それをしない限り決して割れたり壊れたりすることはない。
魔法使いでなくても、誰しもが自然からの恩恵を受けて微弱な魔力を持っている。それを意識して流すことで初めて、魔法珠は効果を発揮するのだ。
「私のはまだ一回きりしか使えないものばかりだけど、いつか必ず、何年も使える魔法珠を作れるようになるんだ!」
長期間使える魔法珠や誰かに販売できるような魔法珠を作れるのは、国家資格を持つ人だけの特権だ。レイの目指す人は当然父ヨハン。彼のあの美しい虹色の魔法珠を思い出す度に、レイの心はワクワクと浮き立つ。
そして、あと十日もすればいよいよ王都へと引っ越しだ。
数ヶ月前、無事に魔法学専門学校に合格したレイは、来月からついに『魔法珠生成科』で学ぶこととなる。
もう一つの学科である『魔法師養成科』の方は、ある一定レベルの魔法が使える人達だけが入学できる特別な学科だ。どちらも同じ学校の敷地内にはあるが、二つの棟はきっちり分かれていて、もう一方の学科の生徒や先生達と遭遇することはほとんど無いらしい。
「お母さんも『彼らには関わらない方がいいわよ』なんて言っていたし、まあ気にせず過ごせばいいか!」
そういえば成人のお祝い会があったあの日、母を襲ったあの男は一体何者だったのだろうか。もしかしたら母にはまだ、レイの知らない秘密が何かあるのかも知れない。
アニスが隠している何かにも、自分を棚に上げた発言をしたことにも一旦は目を瞑って、レイは再び荷造りに集中することに決めた。
【アベニウス暦六三九年、黄の月、二十五日】
「じゃあ、行ってきます!」
「ええ。気をつけて行ってらっしゃい。レイ、学校では突拍子も無い言動だけは控えてね?」
「はーい!」
間延びした返事は母を若干苛つかせたようで、頭をポンと軽く叩かれた後、頬の肉を限界まで引き伸ばされた。
「まあ、相変わらず柔らかいわね。いい?この間も話したように、あなたはお母さんの血も受け継いでいるの。私があなたの力を抑えてはいるけれど、魔法師養成科の先生の中には目敏い人もいるんだから、絶対にそっちの校舎には近寄らないこと!これだけは守ってちょうだいね!」
「わはっはっへ!」
「ぷっ…」
ヨハンは娘の伸び切った顔が相当面白かったらしい。顔は見えないが肩がずっと上下に揺れている。
信頼できないという表情のアニスはようやく手を離してくれたが、レイの頬はすっかり赤くなっていた。
「もう!私のもちもちほっぺが伸びちゃって垂れちゃったらどうするの?…とにかくそっちの校舎には絶対行かないから安心して。じゃあ、今度こそ行ってきます!」
「うん。行ってらっしゃい!」
母とのドタバタな別れを終えた後、レイは父と共に魔法珠で動く車に乗り込み、王都に向けて出発した。
「うわあ、相変わらず王都は賑わってるのね!ぶっ痛っ!」
車の窓に張り付くように外を眺めていたレイは、車が大きく揺れたせいで思いっきり鼻をぶつけてしまう。
数ヶ月前に初めて王都に来た時より多少落ち着いてはいるものの、ここはオリアン村とは比較にならないほどの大都会。興奮して鼻をぶつけてしまうのも仕方のないことだろう。
「成人した女性が窓に鼻をぶつけるんじゃありません。きちんと座っていなさい。」
「…はい。」
だが父に諭され大人になったことを渋々思い出したレイは、鼻を押さえながらきちんと座り直した。
王都に入って十分ほど進んだところで車は大きく右に曲がり、ヨハンは大きな広場のような場所に車を停めた。
「さあ、一度ここに車を置いて、先に必要なものを買っておこう。一度学校の敷地から出てしまうと戻ってもすぐには入れないからね。」
ヨハンに言われるがままに車を降りると、二人は近くの店で生活に必要なものを購入し、かなりの大荷物を抱えて学校へと向かう。
しかし、そこで予想外のことが起きた。
「あの、大変申し訳ないのですが、こちらに不手際があったようで…」
そう話し始めた学校の事務員から、なんとレイのための寮の部屋が別の人のものになっていると聞かされたのだ。
「どういうことですか?それはそちらの落ち度でしょう!一体どう責任を取ってくれるんですか!!」
いつもは寡黙な父が、娘のためならばこうして強い口調で怒ってくれる。優しくて温かくて頼れる父の姿は、レイの理想の男性そのものだ。
(もう、お父さんたら……将来は一人で生きていく予定だけど、もし結婚するなら私もお父さんみたいな人がいいなあ…)
とんでもない事態に頭が回らずレイが現実逃避をしていると、事務所の奥の方から別の男性職員がやってきた。
「どうもこんにちは、ベルマンさん、お久しぶりですね!」
「ああ、ランツさん。どうも。」
ランツと呼ばれた男性はニコニコしながら窓口にやってくる。だが不穏な空気を察知するとその顔から笑顔は消えた。そして困り顔の事務員から事情を聞いた彼は、真っ青になって謝罪を始めた。
「も、申し訳ありません!明らかにこちらの不手際です!まさかこんなことになっていたとは…。寮の部屋を今から用意することはどうにも難しいのですが、一つ提案がございまして…」
ヨハンの顔は無表情だが、あの顔は間違いなく怒りに満ちている。父は怒れば怒るほど無表情になるタイプなのだ。
「提案、とは?」
顔を引き攣らせたランツは急いで奥の部屋からとある紙を持って戻ってくると、それを恭しく差し出して言った。
「毎年優秀な生徒だけが入れる『マルーン工房』の寮に入っていただくのはどうでしょうか?一年生は本来対象外なのですが、たまたま今年の三年生に対象者がいなかったので、今年は一部屋空いているんです。あそこでしたら自由に工房を使わせてもらえますし、部屋も広くて快適ですので…」
それを聞いたレイは父と顔を見合わせる。その後ヨハンは首を傾げてしばらく考え込んでいたが、うーんと一声唸った後、顔を上げた。
「マルーンは私の弟子の一人だし、この紙を持ってこちらからも挨拶して聞いてみましょう。ですがランツさんからもしっかりと連絡をして事情を説明しておいてください。」
「はい!もちろんです!それとご希望があれば、来年からは学校寮の個室をご用意いたしますので、そちらに移っていただいても構いません!」
必死にそう話すランツにヨハンは静かに頷き、今度はレイに笑顔を向けた。
「レイ、どんな所か見てから決めたいだろう?とにかく行ってみるかい?」
「うん。ぜひ!」
大変なことになったなあ、などと思いつつも、特別な場所に行けるのは少し楽しみだ。レイは再び大荷物を抱えて事務室を出ると、深々と頭を下げているランツ達に見送られながら『マルーン工房』へと移動を開始した。
学校から徒歩で十五分ほど歩いた場所に、その工房はあった。
シンプルな看板を確認してドアをノックすると、中からサラサラと風に揺れる銀髪を持つ青年が姿を現した。ちょうど頭を覆っていた布を外したばかりだったようで、その手には青い布が握られ、髪は若干乱れている。
(まつ毛まで銀色!でも瞳は緑色なのね…)
レイがぼんやりとその若い男性の姿を見つめていると、彼の眉間に深い皺が寄る。
「どちら様でしょうか?」
声に棘がある。おそらく変な二人組が来たと思ったのだろう。
「マルーン工房長はいるかな。私はヨハン・ベルマンと言います。もしいるならお呼びいただきたいのだが。」
ヨハンが丁寧にそう伝えると、男性の切長の目が大きく開かれた。
「ベルマン…さん、ですか?ではあなたが…」
「おい、どうした?…あ、師匠!!」
すると何かを察して奥から出てきた三十代半ばといった感じの男性が、ヨハンに気付くと嬉しそうに駆け寄ってきた。
「マルーン、久しぶりだね。」
「はい、師匠も!いやあ、レイちゃんも随分と大きくなって!」
「マルーンさんって、コニーおじさんのことだったの?」
レイはこのコニー・マルーンに幼い頃よく遊んでもらった記憶がある。その当時彼は父の工房に通い詰め、必死になって学んでいる姿を何度も見かけたものだ。
「ユーリ、天狗になっていた俺にとんでもない技術を山ほど詰め込んで鼻をへし折ってくれたのが、こちらのベルマン師匠だ。さあ、ご挨拶しなさい。」
ユーリと呼ばれた青年は、先ほどとは打って変わって穏やかで紳士的な笑みを浮かべてヨハンに向き合い、挨拶をする。
「初めまして。こちらでお世話になっているユーリ・エデンと申します。宜しくお願いいたします。」
(うわあ、さっきと全然態度が違うじゃない!怖い人だわ…)
「そうですか。さあレイ、お前もお二人に挨拶をしなさい。」
ヨハンに促され、レイもまたしっかりと猫を被る。
「はい。魔法学専門学校に今年入学することとなりました、レイ・ベルマンです。こちらこそ宜しくお願いいたします。」
丁寧に頭を下げると、コニーが優しい目でレイを見つめながら言った。
「ついさっきね、事情があって一年生を寮に入れてくれと学校から連絡があったんです。でもまさかレイちゃんが来てくれるとはなあ。学校側の不手際のようだし、素性もしっかりしているレイちゃんならうちは大歓迎ですよ!」
するとヨハンにようやく笑顔が戻る。
「そうか。それは助かる。だがもちろん厳しく指導してやってくれ。昔のことも私のことも抜きにして、一見習いとして扱ってやって欲しいんだ。」
それを聞いてマルーンは不安そうにこちらを見る。そんな彼に気を遣わせまいと、レイは笑顔で頷いた。
「ぜひそうしてください。私も今後はコニーおじさんなんて呼びませんから!師匠、よろしくお願いします!」
「ははは!そう言われてしまったらこっちも腹を決めないとなあ。じゃあ、ビシバシ鍛えるからそのつもりで、な!」
「はい!」
こうして予想外のトラブルによりレイが期待していたキャッキャうふふな女子寮生活は儚く消え去り、知り合いの工房での寮生活が始まっていくこととなったのだった。




