10. 試験の終わり、面倒の始まり
【アベニウス暦六三九年、黄の月、六十日】
「お、終わったあっ…」
しみじみとそう呟いたレイの横で、ハナが疲れ切った表情で机の上に顔を乗せている。横向きになっているため頬は潰れ、目は虚ろだ。そこにヨカがやってきて無理やりハナの姿勢を戻させ、三人は長い試験期間を乗り切ったことを互いに労いあった。
「ほんと、最初はどうなることかと思ったけど、ハナもどうにか乗り切ったわね。」
ヨカはそう言って苦笑し、ハナは引き攣った笑みを見せた。
「あははは。まあ、終わっちゃえばいつも大したことなかったって思うんだけど、一週間前とか一番精神的にきついんだよね。まあでも、今回は二人のお陰で助かった!ありがとう!」
レイは教科書やペンを丁寧にバッグにしまい終えると、ハナに笑顔を向けた。
「いいってことよ!それより、無事第一試験も終わったし、午後は休み!これはもう女子三人でスイーツ巡りするしかないんじゃない!?」
「それ賛成!」
「…私、女子だったの?」
ヨカは納得いかないという顔をしていたが、まあまあと宥めて二人で無理やり外に連れ出した。
スイーツ巡りは思っていた以上に楽しめた。ハナは王都のあらゆる菓子店に精通しており、甘すぎるのはちょっと…と渋るヨカも納得の店を三店舗も回ってしまった。
「ああ、もう入らないわ!さすがに!」
「最高だった!美味しかった!ハナ、案内ありがとう!」
「ふふ。王都のことならいつでも相談して!」
三人はお腹も心も満たされ、和気あいあいと次の目的地の本屋に向けて歩いていたが、レイはそこでふと視線を感じて立ち止まった。
「あれ?今…」
「レイ、どうしたの?」
ヨカが心配そうに話しかけてくる。レイは慌てて手を振り、言った。
「ううん、何でもない。行こうか!」
「ヨカー、こっちに本屋あったよ!」
「ハナ、今行くわ!レイも行きましょ?」
「あ、うん。」
ヨカの後ろ姿を追いながらも、レイは今感じた違和感は何だったのだろうと考え続けていた。
帰宅後、レイを待っていたのは師匠コニー・マルーンだった。
「お帰り!さあ、早速やるかあ!」
「へっ!?師匠?やるって、今日って何かありましたっけ?」
大量の素材を抱えて嬉しそうに玄関に立っていた師匠に、レイは目をぱちくりさせながらそう尋ねた。すると彼は途端に不思議そうな表情になり、「え?あいつから聞いてないのか?」とぶつぶつ独り言を言い始めた。
「ただいま…って、あれ?お二人とも、どうされたんですか?」
そのとき、ちょうど学校から帰ってきたらしいユーリが、レイの後ろからそう声をかける。
「おおユーリ、ちょうど良かった!今日から例の魔法珠作り、やるんだろう?お前にもお願いされていたし、賞金が掛かってるとなったら工房としても多少指導はしてやらないとな!」
その言葉にハッとしたレイは、勢いよくユーリの方に顔を向けた。
「え!?あの件、私まだやるって言ってないじゃないですか!!」
少なからず怒気を含んだ声でそうユーリを責めたが、彼は全く動じなかった。
「へえ。やらないって選択肢、あったんだ?」
「なっ……むううう!」
(確かに最終的には諦めるしかないのかなとは思っていたけど、もうちょっと渋るつもりだったのに…!)
悔しさのあまり唇を噛んでいると、ユーリはぽんぽんとレイの頭を軽く叩いてその横をすり抜けていく。
「師匠、まあそういう訳で、特に問題は無さそうです。荷物を片付けて着替えたら工房に行きます。宜しくお願いします。」
「おお、そうか!じゃあ十分以内に来なさい。レイも急げよ!」
ウキウキと弾むような足取りで工房に向かっていった師匠をぼんやり見つめていると、ユーリが振り返ってだめ押しする。
「ほら、十分しかないよ。急いだら?」
「う…うう……ユーリのばかあっ!!」
レイはユーリを軽く押し出すように中に入ると、猛スピードで自分の部屋に駆け込んでいった。
だが結局、この日は師匠コニーから様々なアイディアを聞かされただけで特に進捗はなく、翌日から三日間続く試験休みを使って対策を練ろうということで落ち着いた。
【アベニウス暦六三九年、緑の月、一日】
「レイ、じゃあ始めるよ?」
「はい。」
朝から始まったユーリとの魔法珠生成。朝食を終えるまでは嫌だ嫌だと文句を言い続けていたレイだったが、ユーリからの「フランカの花ってさ…」の言葉でビシッと背筋が伸び、ものすごい勢いで残っていた朝食を食べ終えると、完璧に準備を整えて工房に向かった。
(仕方ない。気持ちを切り替えて頑張ろう。これも修行、人生という名の修行……)
心を無にして工房に入ったレイを一瞥したユーリは、そんなレイの態度を気にするそぶりも見せず準備を始めた。そして数分後、彼は杖を持ってレイの前に立つと、この日の説明を始めた。
「魔法師が生成する魔法珠は、生成技能士が作るものとは二つの点が異なることは君も知っているよね?」
「はい。技能士は素材を加工、組み立て、生成炉への魔力注入の流れで魔法珠を生成しますが、魔法師は核となる物を準備してそこに魔法を付与していく形で魔法珠を生成します。そして魔法師が生成した魔法珠は、効果が単純で基本使い切りになります。」
まるで教科書を丸暗記したかのような言い方でそう説明すると、ユーリはゆっくりと頷いた。
「そうだね。でも魔法珠生成技能士と協力し合って生成する魔法珠はその限りではない。品質も効果も桁違いに良いものができるし、当然長く使用できる。」
レイは少し前のめりになる。
「え?じゃあ単純な魔法珠を作るんじゃなく、私の手も入れられるんですか!?」
ユーリは珍しくふわっと柔らかく微笑んだ。
「もちろん。核に付与するだけなら俺一人でできるからね。君の力もきちんと借りながら、最高の物を作りたい。当然、目指すは優勝、だろう?」
そう言って今度はニヤリと笑う彼に、レイはほんの少しだけ心が通じ合ったような気がした。
「そういうことなら、頑張りましょう!ううう、どんなのを作ろう?魔法師の力との組み合わせって面白いんですよねえ!」
早速自分の世界へと飛び立ってしまったレイを、ユーリが頬を引っ張って連れ戻す。
「うわっ、どうしてこんなに伸びるんだ!?あはは!楽しいなこれ!」
「はひゃがないでくだひゃいー!はなひへー!!」
レイの頬を両方から引っ張り、楽しそうにはしゃぐユーリから自分のモチモチほっぺを取り戻すと、レイは少し赤くなった頬をさすりながら顔を顰めた。
「もう!とにかく、色々作ってみましょう!ここからは集中しますからね!!」
「ああ、そうだね。じゃあやってみようか。」
そうして二人はそれぞれの道具や杖を手にすると、早速一つ目の魔法珠生成を始めていった。
― ― ―
その日の夜。
ユーリは自分の部屋からふわふわの新品ブランケットを持ち出し、工房に戻ってきていた。
工房内にはたくさんの作業台がずらっと並んでいる。その奥にはこれまた壁一面を埋め尽くす大きな棚が設置され、そこには皆が使う特殊な道具達やよく使う素材などが入った箱がずらりと並んでいる。
さらに別の壁際には、最終的に魔法珠の生成を完成させるための生成炉が五台置かれており、この部屋だけで全ての工程が完結するようになっている。
そして今レイは、その作業台の一つに頭を乗せたまま熟睡している。
「疲れたんだな。それもそうか、あれだけ集中して取り組んでいたんだから。」
ユーリはそっと手に持ったブランケットを彼女の上半身全体を覆うように掛けると、手の甲で優しくその髪を撫でた。どうやらかなり深い眠りに入っているようで、触れても何の反応もなかった。
「あんなに嫌がって文句を言っていたのに、いざ魔法珠を作り始めると別人みたいになる。」
ふわふわと柔らかくゆるく流れる茶色い髪を、指でくるくると巻いてみる。
「それなのに作業が終わればまた、子供みたいにむにゃむにゃ寝ちゃうんだね。……可愛いな。」
最後の言葉は念のため起きていた時に聞こえないよう、ごく小さな声で囁いた。
そしてふと何かを思い出したユーリは、今度は厨房へと向かう。そしてトレイにある物を乗せて戻ってくると、それを作業台の上に置き、レイの髪にもう一度触れた。
「どうしたらいい?こんなに柔らかくて可愛いなんて…」
指でそっと持ち上げたその髪に唇を寄せると、その甘い香りに頭がクラクラしそうになる。ユーリは慌てて髪を戻し、少し離れた場所からレイを起こした。
「レイ、レイ、起きて。」
「んー…あの枕はぁ…おいしくなくてぇ……」
「レイ。起きないとフランカの花が」
「はっ!?いやあっ!!……ってユーリ?」
「ははは。寝言も面白いね。」
「そ、そいつはどうも。」
レイの表情は途端に不機嫌なものに変わる。だがそれも愛らしい。
(俺の言葉で一喜一憂するのが可愛いんだよなあ)
そしてまさかそんなことを思われているとはつゆ知らず、レイは作業台の上に置かれたケーキを見て目を丸くしている。
「え!?これって…昨日ハナ達と巡ったお店で一番人気だったのに、目の前で売り切れたあのケーキ!?」
(そう、昨日君が食べたがっていたケーキだ)
「そうなんだ。じゃあちょうどよかったかな?今回無理に付き合わせてしまったから、これはそのお詫びに買ってきたんだけど…」
するとレイは何かを疑うような視線をこちらに向ける。
「……裏があったりなかったり?」
「ははは。なかったら問題ないんじゃないの?」
「ぐう、確かに。……美味しそう。」
ユーリは微笑みながら、そっとそのケーキをレイの前に押し出した。
「君のなんだから食べていいよ。お茶は適当に淹れたから、そこは我慢して。」
ああ、そんな目で見ないでほしい。上目遣いが可愛すぎる。
「じゃあ、遠慮なく。…ユーリも一口食べます?」
なんだそれは。可愛すぎるって言ってるだろ?
「君が食べさせてくれるの?」
「し、しませんよそんなこと!!もう!じゃあ全部一人で食べますぅ!!」
なぜか憤慨しながらケーキを食べるレイ。そんな姿も可愛らしい。
(もう自分を取り繕っても仕方がない。レイは本当に可愛い。だけどこの工房に残るためには今の関係を崩すわけにはいかない。だから君のことはこれからも密かに愛でることにするからね、レイ?)
いつものように優しく微笑みを見せた後、ユーリはこれまたいつものようにちょっとした嫌味を言ってみる。
「ああ、でもこんな深夜にケーキなんて食べたら…ねえ?」
「…んぐっ?けほっ!?」
「ははは。じゃあゆっくり食べて、よく休んで。おやすみ、レイ。」
「……ユーリのばかあっ!!」
そうしてユーリは、レイの断末魔を背に静かに工房を出た。
我ながら拗らせているとな感じつつも、レイへの執着は止められそうもないと開き直る。そうして「さっきのレイも可愛かったなあ」などと呟きながら、ユーリは足取りも軽く自分の部屋へと戻っていくのだった。




