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魂なき英雄伝説7話「名を知らぬ剣と、破られる法則」


洞窟から出て

湿った闇を背に、森の空気が一気に流れ込んできた。

土と葉の匂い、冷たい風。

肺の奥まで届くそれに、張りつめていた何かが、音もなくほどけていく。


息を吸う。

ただそれだけのことが、ひどく久しぶりに感じられた。


「……外だ……」


リアの声は、ほっとした息と一緒に、かすかにこぼれた。

白く変わった髪が、風に揺れる。


ノクシアは無言で周囲を見回す。

影を薄く広げ、警戒だけは解かない。


――その瞬間。


視線を、感じた。


背中に突き刺さるような圧。

けれど敵意ではない。

“監視”に近い、冷たい気配。


リアは反射的に足を止め、ノクシアも影を引き締める。


「……ノク……誰か、いる……」


「……ああ。しかも……多い」


洞窟の入口から少し離れた、森と岩山の境目。

開けたその場所に、彼らはいた。


まず目に入ったのは、白い獣。


翼を持つ白虎。

大地を踏みしめ、雷を宿した瞳でこちらを見据えている。


その隣、空を背にして佇むのは、長くしなやかな龍。

翼はない。

雲と空そのものが形を成し、龍の姿を留めている。


「……神獣……?」


(本で見た……

 この世界の“守護者”……)


神獣ライゼン。

神獣シエルド。


そして、その奥に――


黒い服に長い黒髪。

その奥に、かすかな青が混じっている。

剣を携え、静かに立つ一人の男。


近づけば届きそうで、だが踏み込めない距離。

男は動かない。

威圧もなく、構えもない。


それだけなのに、場の空気は不思議なほど安定していた。


ノクシアが一歩、リアの前に出る。


「……待て。

 本物かどうか、まだ……」


だがリアの視線は、男から外れなかった。


(……見たことがある……

 でも、どこで……)


クレアナの古いアルバム。

色褪せた写真の端に写っていた人物。


名前は知らない。

だが、確かに“存在していた”。


「……あなたたちは誰ですか……?

 敵、ですか……?

 それとも……助けに来たんですか……?」


沈黙。


判断を誤れば、終わる。

その空気を破ったのは、男だった。


「……無事に出てきたか」


低く、穏やかな声。


「洞窟の中、ずいぶん荒れていたな」


(……知ってる……?)


「安心しろ」


「君たちの敵じゃない。

 ――助けに来た」


ノクシアが、胡散臭そうに笑う。


「助けに来たにしちゃ、

 随分いい場所に立ってるじゃねぇか」


「ここが、一番“見やすい”からな」


剣士はそれ以上答えず、洞窟へ視線を向けた。


――その瞬間。


空気が、歪んだ。


境界で、何かが蠢く。


「……来る」


姿は見えない。

だが、いる。


(……近づいちゃ、だめだ……)


「……いるな」


ライゼンが低く吼える。


「影よ」


シエルドの声が、空そのものを震わせる。


「姿を表せ」

「その実体を、晒せ」


空間が悲鳴を上げ、影が引きずり出される。

揺らぎ、人の形へと近づいていく。


その瞬間、リアの奥で何かが反応した。


(……敵じゃない……?)


理由はわからない。

ただ、そう思ってしまった。


「……待って……!」


「……何だ?」


「……その人……敵じゃない気が……」


空気が凍る。


だが、影が動いた。


「話している暇はない」


「まずは――敵の核を測る」


巻物が宙に浮き、即座に開かれる。


「法則、変更」

「核位階――観測」


空間がわずかに歪む。


「供給対象――指定」

「リア」

「ノクシア」


迷いはなかった。

最初から、知っている呼び方。


「魔力量制限――解除」


熱が満ちる。


疲労が消え、魔力が溢れ出す。


「今だけだ。使い切る心配はするな」


ノクシアは、そこで気づいてしまった。


(……カゲナ……いない……)


だが、笑う。


「……助かる……」


影が再び動く。

速い。学習している。


「いい反応だ」


剣が、三度振られた。

だが一度にしか見えない。


影が、三方向から裂ける。


数値が浮かぶ。


世界のレベル:9億9999万


「……強すぎるな」


剣士は静かに告げる。


「ルールを覚えるのが得意か。

 なら――」


剣先が地面に触れた。


「ルールごと、書き換える」


――その直後。


世界が、息を呑んだ。


ライゼンが一歩踏み出す。

雷が楔となり、大地に打ち込まれる。


シエルドの周囲で雲が円環を成す。


「封――世界規約、第二階層」


逃走も、分裂も、転移も封じられる。


完全ではない。

だが、自由は奪われた。


「終わりじゃない」


「だが、ここから先は許されない」


影は縫い留められたまま、なお“見ている”。


「……始まったな」


世界は、まだ揺れている。



影は、消えてはいなかった。


雷と雲の円環、その中心に縫い留められ、

動くことも、広がることも、逃げることもできない。


だが――

存在そのものは、確かに“在る”。


声はない。

鼓動も、呼吸も感じられない。


それでも、視線だけは消えなかった。


縛られた影の奥で、

何かが、静かに回り続けている。


理解。

記録。

模倣。


学習は、止まっていない。


「……完全には終わってないな」


剣士の低い声が、事実を告げる。


ライゼンが答える。


「終わらせてはいない」


シエルドも続けた。


「世界が、まだ判断していない」


影は、その言葉を聞いているのか、

わずかに――揺れた。


だが、それ以上は動かない。


今はただ、

“制限された存在”として、

この場に留め置かれている。


逃げられない。

だが、消えもしない。


次に動く時は――

今より、賢くなって。


「……本番は、これからか」


剣士の呟きに、

誰も否定しなかった。





世界は、まだ揺れている。


――それでも。


リアは、目を逸らさなかった。


雷と雲の円環に縫い留められた影を、

ただ、じっと見つめ続けていた。


動かない。

暴れない。

けれど――そこにいる。


(……どうして……)


胸の奥が、ひどくざわつく。

恐怖とは、少し違う。


懐かしさ。

痛み。

そして、説明できない悲しさ。


――そのとき。


リアの意識の奥で、

何かが軋む音を立てた。


(……っ……)


視界が、一瞬、暗転する。


世界が反転し、

別の“記憶”が流れ込んできた。


焼け落ちる空。

崩れる大地。

泣き叫ぶ声。


そして――

立っている影。


今よりも、ずっとはっきりとした輪郭。

今よりも、ずっと静かで、

今よりも、ずっと――孤独な姿。


『……見るな』



低い声が、頭の内側から響いた。


リアは、息を呑む。


(……誰……?)


『だが……もう、遅い』


声は、怒っていなかった。

責めてもいなかった。


ただ、諦めに近い静けさを帯びていた。


『あれは――

 世界を救うために、自分を差し出した存在だ』


リアの胸が、強く締め付けられる。


(……え……?

 ……あれが……?)


『本体は、まだ生きている』


『だが、“役目”だけが切り離された』


『悪を倒すための意思だけが、

 世界に残された』


記憶が、さらに流れ込む。


――戦い。

――対話。

――そして、決裂。


リアは、見てしまう。


かつて、その影と真正面から向き合った存在を。


(……喧嘩……?)


『ああ』


声が、少しだけ苦くなる。


『本気で立ち向かった』


『だが――

 一瞬で、終わった』


圧倒的だった。

力ではない。

技でもない。


理解の速度。

模倣の精度。

世界への適応。


『あいつの本当の恐ろしさは、そこだ』


『コピーだ』


リアの背筋が、凍る。


『見たものを、理解する』


『理解したものを、再現する』


『再現したものを――

 “上書きする”』


雷と雲に縛られた影が、

わずかに、脈打つ。


(……今も……?)


『ああ』


『今も、学んでいる』


『そして――

 まだ、本気を出していない』


その言葉に、

リアの喉が、ひくりと鳴る。


『あいつが“能力”を使う時』


『それは、決まってこう呼ばれていた』


声が、低く、重く落ちる。


『――世界の終わりだ』


記憶が、そこで途切れた。


「風の音が戻ってきた。」


リアは、はっと我に返る。


息が、苦しい。

心臓が、早鐘を打つ。


周囲の景色は、変わっていない。

ライゼンも、シエルドも、剣士も、そこにいる。


だが――

リアだけが、知ってしまった。


影が、ただの敵ではないことを。

そして――

この世界が、まだ“途中”であることを。


リアは、そっと唇を噛みしめる。


(……まだ……

 ……終わってない……)


雷と雲の中心で、

影は、相変わらず動かない。


だが確かに――

考えている。


次に動く時のために。


世界は、まだ揺れている。

それは破壊の前触れではなく、

修復でも、安定でもない。


ただ――

判断を保留された世界の、微かな軋み。


誰も、口にはしなかった。

ここで終わったとは、誰一人として思っていない。


雷は静まり、

雲は、ゆっくりと形を崩していく。


だが中心だけは、

最後まで空白のままだった。


そこに“在る”ものを、

世界はまだ、名前で呼べない。


リアは、最後まで目を逸らさなかった。


動かない影を、

縛られた存在を、

そして――

これから先に起こる“何か”を。


胸の奥で、

まだ言葉にならない違和感が、静かに脈打つ。


(……まだ……終わってない)


答えは、ない。

だが、それでいい。


この世界は、

まだ――選択の途中なのだから。

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