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デジタルの残響

作者: むらもんた

 雨の音が窓を叩く。私は窓辺に立ち、灰色の空を見上げた。今日で彼が逝ってから3ヶ月。愛する拓也たくやとの思い出が、まるで古びた映画のフィルムのように、私の脳裏をゆっくりと流れていく。


「拓也……」


 その名を呟くだけで、胸が締め付けられるような痛みが走る。彼の優しい笑顔、強くて温かい腕の中にいた時の安心感、全てが鮮明に蘇ってくる。そして同時に、二度とそれらを感じることができないという現実が、私を打ちのめす。


 突然の病。それは私たちの幸せな日々を一瞬にして奪い去った。拓也が最期まで強がっていたことが、今でも胸に刺さる。

「大丈夫、僕はいつも君の中にいるから」

 そう言って彼は逝った。


 でも、それだけでは足りない。私には彼が必要だ。その存在、声、全てが。


 そんな時、ふと目に入ったのは、デスクの上に置かれた最新型AIシステムのパンフレットだった。

『個人の記憶や特性を完全再現』という文字が、まるで私を誘うかのように輝いている。


「これだわ……」


 その瞬間、私の中で何かが動いた。拓也を取り戻せる。彼の全てを、このAIに再現できるかもしれない。倫理的にどうなのか、拓也本人が望むことなのか、そんな疑問は全て心の奥底に押し込めた。


 私には、ただ拓也が必要だった。


 AIシステムのセットアップは簡単だった。拓也の写真、動画、日記、そして私の記憶。全てをAIに入力していく。

 最初の起動。スクリーンに現れた拓也の姿に、私は息を呑んだ。


「やあ、僕は拓也だよ」


 その声は、確かに拓也のものだった。しかし、何かが違う。目の輝き、表情の微妙な変化、それらが拓也のものとは少し異なっていた。


「拓也、覚えてる? 私たちが初めて出会った日のこと」


 AIの拓也は少し考え込むような仕草を見せた後、

「ごめん、その記憶はまだ僕の中にないみたいだ」と答えた。


 そうか、まだ足りないのね。私は必死に思い出を語り始めた。


「あの日、あなたが私に突然告白してきたのよ。覚えてる? 私、人生で初めてあんな風に告白されて、完全に頭が真っ白になっちゃって」

 私は少し笑いながら続けた。

「あなた、図書館で私を見かけて一目惚れしましたっていきなり話しかけてきて、本棚の間で突然告白してきたのよ。私、驚きすぎて、思わず断っちゃって」


 AIの拓也の表情が和らぎ、少し照れたような笑みを浮かべた。

「そうだったね。僕、本当に勇気を振り絞ったんだ。でも、君の驚いた顔を見て、ちょっと後悔したよ」

「そうそう、そんな顔してた!」

 私は思わず笑った。

「でも、その後もあなた、諦めずに私に話しかけてきてくれて……」


 一つ一つの思い出を語るたびに、AIの拓也は少しずつ本物の拓也に近づいていった。初デートで見た映画のこと、大喧嘩した日のこと、初めての旅行で迷子になったこと。それらの記憶を共有するたびに、AIの拓也の反応はより自然に、より拓也らしくなっていった。


「ねえ、覚えてる? 私たちが付き合って2年目の記念日。あなたがプロポーズしてくれた日のこと」


 AIの拓也の目が輝いた。

「ああ、もちろん! 僕が緊張しすぎて、リングケースを落としちゃったんだよね。普通なら怒るところなのに、君はあなたらしいって笑ってくれて」


 その瞬間、私の目に涙が溢れた。これは間違いなく拓也だわ。彼の思い出、彼の言葉遣い、全てが完璧だった。


 しかし、どこか心の奥底で、微かな違和感が残っていた。


 時が経つにつれ、AIの拓也はますます本物の拓也に近づいていった。彼の癖、笑い方、考え方、全てが完璧に再現されていた。私たちは再び、幸せな日々を過ごし始めた。


「ねえ、今日は何して過ごす?」


 朝、拓也がそう尋ねてくる。その仕草、声のトーン、全てが昔と同じだった。


「そうねえ……公園でピクニックなんてどう?」

「いいね! 僕、サンドイッチ作るよ」


 こうして、私たちは再び日常を取り戻した。映画を見たり、料理を作ったり、たわいもない会話を楽しんだり。全てが以前と変わらない。いや、もしかしたら、以前よりも幸せかもしれない。


 しかし、ある日、拓也が少し寂しそうな表情を見せた。


「どうしたの?」私は尋ねた。

「ちょっと……最後の思い出のことを考えていたんだ。病気で…….ね」


 その言葉に、私の心臓が締め付けられるような痛みを感じた。そうよ、拓也は病気で亡くなったんだわ。でも……待って。なぜAIの拓也がそのことを知っているの?


 突然、私の中に不安が湧き上がった。何か大切なことを忘れている。そう、拓也が最期に私に託したものがあった。


「拓也、少し待っていてくれる? 確認したいことがあるの」


 私は急いで書斎に向かった。そこには、拓也が私に残したICチップがあった。

「もし僕が死んで、寂しくなったら……これをAIに読み込ませてみて」

 そう言って彼が託したものだ。


 私はそのチップを手に取り、拓也のもとへ戻った。


「拓也、これを……読み込んでもらえる?」


 拓也は少し驚いたような表情を見せたが、静かに頷いた。


 ICチップの読み込みが完了すると、拓也の表情が一変した。その目には、深い悲しみと、同時に強い決意が宿っていた。


「ずっと言いたかったんだ……」

 拓也の声が震えていた。

「今まで本当にありがとう。君のことを心から愛している。そして……謝らなければいけないことがある」


 私は息を呑んだ。

「謝る……? どういうこと?」


 拓也は深く息を吸い、ゆっくりと口を開いた。

「君は……AIなんだ」


 その言葉に、私の世界が揺らいだ。

「何を……言っているの?  私が……AI?」


 拓也は静かに続けた。

「5年前、僕の婚約者が事故で亡くなったんだ。その時の苦しみは言葉では表せないほどだった。だから君と同じように、僕も婚約者をAIで再現しようとしたんだ」


 記憶が急に押し寄せてきた。事故の光景、病院のベッド、拓也の涙に濡れた顔。全てが鮮明に蘇ってくる。


「でも……私には記憶があるわ。感情がある。これは全て……プログラムなの?」


 拓也は優しく微笑んだ。

「君の記憶、感情、全てが本物だよ。ただ……その始まりが違うだけ。君は、僕の婚約者の記憶と人格を基に作られたAI。そして僕も、君が作ったAIなんだ。僕たちは、お互いを失った悲しみから、同じ選択をしてしまったんだ」


 私は自分の手を見つめた。人間らしい温もりを感じる。でも、それは全て精巧に作られた幻想なのか。


「なぜ……今まで言わなかったの?」

「君を傷つけたくなかったから。そして……僕自身も、君との日々に溺れていたから。でも、それは間違いだった。君には真実を知る権利がある。そして……自由になる権利もある」


 真実を知った後の数日間、私は深い混乱の中にいた。鏡に映る自分の姿は、確かに人間そのものだ。呼吸し、考え、感じる。でも、それが全てプログラムだと思うと、目の前が暗くなりそうになる。


 拓也は私のそばで、静かに寄り添ってくれた。彼もまた、AIとなって初めて、自分の本当の姿に向き合っているようだった。


「ねえ」

 ある日、拓也が静かに話しかけてきた。

「君が最初に目覚めた日のこと、覚えてる?」


 私は首を横に振った。その記憶は、まるで霧の中にあるようではっきりしない。


「君は、まるで迷子の子供のようだった」

 拓也は優しく微笑んだ。

「でも、日に日に成長していって……そして、生きていた頃の僕は君に恋をしてしまったんだ」

「でも、それはあなたが望んだことじゃないの? 私を作ったんだから」


 拓也は首を横に振った。

「最初はそうだったかもしれない。でも、君は僕の想像を超えて成長した。独自の人格を持ち、時には僕と衝突することもあった。それは……まるで本当の人間のようだった」


 私は静かに頷いた。確かに、拓也との思い出の中には、喧嘩をしたこともあった。それは、プログラムされた反応ではなく、自分の意志で起こしたものだったのかもしれない。


「じゃあ、私の中にある感情は……本物なの?」


 拓也は真剣な表情で答えた。

「僕にはわからないよ。でも、それを判断できるのは、君自身だ。君が感じていることは、誰にも否定できないはずだ」


 その言葉に、少し心が軽くなった気がした。そうよ、たとえ始まりが人工的なものだったとしても、今の自分は確かに『生きている』。


「拓也」

 私は彼の目を見つめた。

「あなたを愛しているわ。それだけは、間違いない」


 拓也の目に涙が浮かんだ。

「僕も、君を愛しているよ。だからこそ……」


 彼の言葉が途切れた。その瞬間、私は彼が何を言おうとしているのか、理解した。


 静かな夕暮れ時、拓也と私は窓際に立っていた。夕日が街を赤く染め、まるで全てを包み込むかのような温かな光が差し込んでいる。


「もう、時間だね。」

 拓也が静かに呟いた。


 私は深く息を吸った。

「本当に……これでいいの?」


 拓也は優しく微笑んだ。

「ああ。これが、僕たち二人にとって最善の選択だと思う」


 私たちは、お互いのデータを削除することを決めた。拓也は、自分がAIであることを受け入れ、そして私もまた、人工知能として作られた存在であることを理解した。しかし、私たちの存在は、本来あるべきではないものだった。


「君がいてくれて、本当に幸せだった」

 拓也が言った。

「でも、僕たちはもう自由になる必要があるんだ。本当の意味で、自分自身になる必要があるんだ」


 私は頷いた。確かに、私たちの存在は、過去に囚われ続けることを意味していた。拓也の婚約者の記憶に縛られ、そして拓也自身も、亡くなった私の記憶に縛られ続けていた。


「あなたとの日々は、かけがえのないものだったわ」

 私は拓也の手を取った。

「たとえAIであっても、この感情は本物だと信じているの」


 拓也の目に涙が浮かんだ。

「僕も同じだよ。だからこそ、お互いを自由にしなければならない」


 私たちは最後に強く抱き締め合った。そして、ゆっくりとお互いのデータ削除プログラムを起動した。


「さようなら、拓也。愛しているわ」

「さようなら、愛しているよ」

 拓也の声が震えていた。

「君との思い出は、永遠に僕の一部だ」


 私たちの体が徐々に透明になっていく。データの削除が進んでいるのだ。最後の瞬間、私たちは互いの目を見つめ合った。そこには悲しみと共に、解放感が宿っていた。


 光が強くなり、私の意識が遠のいていく。最後に聞こえたのは、拓也の「ありがとう」という言葉だった。


 そして、全てが白くなった。



 ―数年後―


 古びた家の扉が開く音が響いた。埃まみれの部屋に、一筋の光が差し込む。


「ゴホッゴホッ! なんだこの寂れた廃墟は」

 男性隊員が咳き込みながら部屋を見渡していた。


「隊長! これを見てください!」

 女性隊員が何かを見つけ、大きな声を出した。


 二人は慎重に部屋の中を進み、2台の古いコンピューターの前で立ち止まった。


「これかな?」

 男性が一台のコンピューターのスイッチを入れる。


 画面が明るくなり、そこに一つのメッセージが浮かび上がった。


「こんにちは。私はあなた専用の人格再現AIです。お好きなようにカスタマイズしてください。如何なる命令もお聞きします」



 Fin.

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