雪に包まれた村・クウェン
一体何時間乗っただろうという列車から降り、私達はとうとうフィンマルク中間部の村、クウェンに到着した。
列車に乗っていた時、列車と列車の連結部分の壁に地図が貼られていて、そこでみんなとフィンマルクの地理について確認したが、どうやらフィンマルクは国土面積自体はアラクやケルンセンといった国より何倍も広いが、国土のほとんど、八割近くが山や雪原の広がる地帯であるらしい。
その為村や町はあまりなく、人口も国土面積の割にはあまり多くはないらしく、その対比と言っても良いのか、凶暴な危険生物は出没しやすいという、そんなおまけは全然必要ないと言わんばかりの注意点が存在する国だった。
……と、一応めちゃくちゃ簡単にだがこのフィンマルクの説明をしたが、正直こんな事も考えたくない気分に、私達は陥っていた。
「「さっっっっっっっっみぃ(むい)!!!!!」」
アデルとナディアのやたらと大きい声が、駅のホームに響いた。
そうなのだ。このフィンマルク、細かい説明をしたくなくなるくらいには寒い。国語のテストはいつも八割以上を取っている私でも、語彙力がほとんど崩壊してしまうくらいには寒い。
一応、フィンマルクが雪国だという事は何度も聞いてきた。でもまあ全員寒さには強いし、ケルンセンにも防寒着を販売しているお店がほとんどなかったという事で、碌な寒さ対策もしないでここまでやって来たのだが、こんなタイミングになって自分達の準備性のなさにそれはもう後悔する。
「ねぇアデル!アデルって炎の精霊の力使えるでしょ!?今すぐこの辺一帯炎の海にしてよ!」
「馬鹿かお前!俺の精霊の力を何だと思ってんだよ!あとここ公共の場だぞ!誰もいない山の中だったらまだしも、こんなとこで俺の炎の精霊の力を使ったら、周りの人に大迷惑だろうが!」
アデルとナディアのかなり物騒な内容の会話が、私の右耳から左耳へと貫通していく。どうしてだろう。いつもだったら二人の口喧嘩は結構見ていてはらはらとする場面が多いのに、今回はそれを感じさせない。
恐らく寒すぎて声自体もいつもの倍近く小さくなって、まるで音楽の授業の時に使ったチューナーでギリギリ判断できるかできないかぐらいに声が震えているのが、いつもの勢いを感じさせないからだろうか。
「にしてもほんとにさむ……。ねぇケント、ケントはだいじょう……」
この中では一番薄着であろう、白シャツに黒のスキニーという、何も知らない人が見たらお前風邪ひく気か?と言わんばかりの格好をしたケントの様子を確認すると、あら不思議なことに、いつものにこにことした顔でアデルとナディアの口喧嘩を見守っていた。
え、ケントってこんなに寒さに強いの……?と思ってもう一度ケント、と呼びかけたが返事が全くない。
「あれっ、ケントももしかして寒いの?」
「確かにいつもだったらにこにこしながら俺の事茶化す癖に、今日はその勢いがねーじゃん」
ケントのいつものナチュラルな揶揄いがない事に気が付いたのか、二人の注目がケントに移る。
なーんだ、いつも弱点のない完璧超人みたいに振舞ってる癖に、しっかり寒さには弱いじゃねーか、というアデルの揶揄いに、表情こそ笑顔だが目のずっとずっと奥に怒りの感情が僅かに見える。そんないつもとは反対の、二十歳の大学生に当たる年齢のお兄さんが十七歳の高校生に当たる年齢の男の子に揶揄れているという構図が面白かった。
でもあまりにも揶揄い過ぎるとケントが本当に怒ってしまう。割と長い間ケントと過ごして分かったが、ケントは意外に煽られる事や揶揄われる事が嫌いだ。もちろん、ちょっとするくらいなら本人も気にしないが、それがあまりにも度が過ぎたりケントの事を舐めすぎた内容だったりすると、ケントの癪に触ったりする。
美人の怒った顔は怖いとか言うが、ケントはまさにそれに当てはまっているなと改めて思う。
状況を打開する為にも、私は「みんな、みんな」と呼び掛ける。
「ん?何だよメリッサ」
「あそこにブティックがある。あそこで防寒着とか買おうよ」
私のこの提案に今この状況があほらしいと思ったのか、そうだな、そうだね……という、やや反省した感じの声が辺りに響いた。
「どう?このコート似合う!?」
淡いピンクの白いフリルが刺繍されたコートを身に包み、雪の上で舞うみたいにくるりと一回転するナディア。
「うん。ナディアの髪色とも合ってると思うし、似合ってるよ」
私は髪色を薄くした感じの栗色のコートを選び、ついでに脚も冷えるので黒いタイツも購入してソックスから履き替えた。
あの後ブティックに駆け込むように入店し、みんな自分に合いそうなものをすぐに選んでレジへと直行したが、その時レジのおばさんに「あんた達旅の者かい?そんな格好でよく凍らなかったね」と言われた。その通りすぎて苦笑いしかできなかった。
「ぬっく……。コートをこんなにありがたいと思った事ないぜ……」
深緑のコートを身に包み、コートの暖かさに沁みているアデルは、着ているものも相まってかいつもより落ち着いて見えた。
「そうだね。あったかいだけでこんなに世界の見え方って違うんだね」
「おま……。コートも黒で下も黒って、何か絵本に出てくる死神の格好だなそれ……」
黒のコートのポケットに手を入れ、いつものゆらゆらとした態度に戻ったケントは、首から下が全て黒という何とも言えない格好をしていたが、それでも似合ってしまうのはケントの美貌の素晴らしさからだろう。
死神といえば、まだケントの名前を知る前、アラクから出ようと誘われた時にケントの事をそう呼んだ事を思い出す。
ケントは見た目も在り方も綺麗で中には女性と見紛う人もいるくらいなのに、こうして見るととんでもなく浮世離れした存在にも見える。
相変わらず不思議な人だと思って視線を周囲に回すと、村のずっと奥にコーヒー屋さんがあるのが見えた。
この寒さだ、きっと温かいコーヒーを売っているに違いない。私はみんなにコーヒーを買ってくると伝えると、とてとてとコーヒー屋さんに向かった。
人数分のコーヒーを購入し、紙袋に入ったコーヒーを覗いてみる。覗いただけでもコーヒーの温かさが顔に伝わってきて、冷めないうちにみんなに届けねばと思ったその時、「お嬢さん」と声を掛けられた。
「はい?」
「この辺りでは見ない顔ですが、旅の者ですかな?」
立っていたのは白とアイボリーのラインが特徴的な、ロング丈の服を着た年配の方だった。何かこの格好、似た感じのものは図鑑とかで見た事あるな。確か何かの聖職者の……?
「まあ、そんなところです」
「この国はゲルマン教という宗教の信仰が盛んな国でしてな。私はそのゲルマン聖教会の僧侶をしておるのですが……」
あ、やっぱり聖職者の人だった。そういえばアデルが、この国は宗教の信仰が盛んな国だって言ってたな。
「ぜひあなたのような若い女性にも、このゲルマン教について詳しく知って欲しいと思いましてな」
「はあ」
「こんな寒い場所ではあれですし、ぜひこの村の教会にある地下で、私が直々に……」
年配の方が私の腕を怪しい手つきで触り始め、危機感を感じたその時だった。
「何をやっているの?教義を行うつもりなら、ここで説明するのでいいでしょう」
甘い砂糖菓子みたいに柔らかいのに、どこか低さも感じさせる、まるでカラメルみたいな凛とした声が聞こえて、その声がした方に視線を向ける。
「それに、教義という名目で教義以外の事をするのは、戒律を破る行為だけど……。まさかそのつもりはないわよね?」
亜麻色の長い髪にラベンダー色の瞳。白とアイボリーを基調としたワンピースにヴェールのようなものが付いた帽子を被った、とても綺麗な女性が立っていた。




