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コンフロント・マイノリティ  作者: 珊瑚菜月
第4章 芸術の都・ケルンセン
202/215

「見てくれた」という事実

 「……社長。ううん、アンナさん」

 セレーネがアデルとナディアを退けるようにアンナの目の前に立って、私はその思いもよらない行動に焦り、セレーネの傍に駆け寄る。

 「大丈夫。メーちゃん」

 そう微笑みながら私の顔を一瞥したセレーネの表情は、やはり大切だった、信頼していた人に裏切られたという事実に悲しむ色も見えたが、同時にもう迷いなどないという清々しさも感じさせる表情だった。

 

 「……私ね、嬉しかったの。そこにどんな理由があれど、私の歌を聴いてくれて、私とどんな形でも向き合おうとしてくれた事が」

 まるでわんわんと泣く子どもを落ち着かせる母親のような柔らかいトーンで、アンナに恐らく本心を伝えていくセレーネ。子どもを落ち着かせるような、と表現したものの、実際にそうしているのは事務所に雇用されているセレーネで、雇用主であるアンナが落ち着かせられる側というどこか矛盾した状況に、ほんの少しだけ変な感覚を覚える。

 「だから私がどんな事があっても頑張りたいと思ったのは、ジャンの為でも、ファンの皆さんの為でもあるけど、あなたの為でもあったんだよ。アンナさん」


 ……アンナのセレーネに対する態度や扱い、理不尽なくらいの厳しさから、私はてっきり二人の間には思いやりも優しさもない、仕事だけの冷たい感情しかないのかと思い込んでいた。

 でも、それは恐らく違う。どれだけ酷い扱いをされても、歪んだ思いを抱いていたとしても、セレーネにとっては自分を「見てくれた」人なんだろう。大切な人だったんだろう。短期間でしかない交流の間で、二人の関係性を勝手に決めつけてしまった自分の考えの浅はかさに後悔する。

 ……そしてそれは、子どもを愛せない母親に対して、子どもはどこまでも一途に想い、慕い続けるのと似ているのかもしれない。

 そこでまた、自分の母親の事を思い出した。施設に預けるという形で私の事を捨てて行った。それは変える事の出来ない事実だ。私の心から一生消える事なんてないだろう。けれど、同時にある一つの考えが頭の中に浮かび上がった。


 お母さんは、少なくとも施設に入るまでは私の事を育ててくれた。毎日のご飯を作ってくれたり、保育園のお迎えに来てくれたり、休みの日には一緒にお出かけしたり。そんなありふれた幸福な毎日を過ごしていた時、突然お母さんは私を捨てた。

 そこにどんな背景があったのかは全く分からないが、少なくとも私を捨てるまで、どんな形であれお母さんは私と一緒にいてくれた。私の事を「見てくれた」。

 今まで何かを捨てるのは、その対象に対する愛着が全くないからだと思っていた。でも、少しでも私と向き合ってくれたという事は、少なからず私に対して情や思いやりがあったのだろうか。

 目を閉じ、なるべく考えないようにしていたお母さんの姿を思い浮かべる。黒髪のセミロングに気の強そうな顔立ち、通っていた保育園のお母さん達から「性悪そう」と陰口を叩かれるくらいには美しい容姿の持ち主だが、その性格はおっとりとしていて、幼少期は明朗快活だった私と対照的だったお母さんの姿を。

 胸の奥が痛んだ。以前は思い出す度に、まるでナイフを胸に刺されたかのような鋭い痛みが走っていたが、今は裁縫針を刺すような、ちくりとした痛みに留まっていた。

 

 「……今まで私の事、育ててくれて本当にありがとう。忘れないよ。……さよなら」

 この「さよなら」に、もう永遠にあなたには会わないという思いがあるという事を、すぐに察した。そしてセレーネは一瞬アンナに微笑みかけると背中を向けて歩き出し、私達はそれを追いかけた。

 しばらく歩いたところで後ろを向き、アンナの方を確認したが、アンナは私達を追いかけてくる事もなく、ただ地面にへたり込んで下を向いていた。このまま追いかけてきて、背中を刺してきたりといった事もないだろうと思った。

 アンナがどうなるかはまだ分からない。この国に警察があるのであれば、いつかはこの大胆すぎる計画なんてすぐ明らかになってしまうだろうし、もし明らかになる事がなくても、セレーネという存在を殺そうとした、という消せない事実がアンナを一生苦しめるだろう。

 

 しばらく歩き、人気の少ない広場へとやって来た。

 セレーネは広場にあった噴水に座り、私達もその姿に寄り添うように腰掛けた。

 「……疲れたね!何か」

 この広場にやって来るまで会話が全くなく、まるで乾燥地帯みたいに殺伐としてきた空気を少しでも変えようとしたのか、明るく声を発するセレーネ。

 疲れたね。それは本来なら、セレーネに対して投げかけたい……いや、それだけでは済まないような経験を、セレーネはした。

 何て言葉をセレーネに向ければ良いのだろうか。そう思って下を向くと、視界の先に暗い影が伸びた。

 

 「……セレーネ!」

 聞き覚えのある声だった。顔を上げると、今まで様々な事を問い詰めたかったが出来なかった、セレーネのマネージャーであり恋人、眼鏡姿が特徴的なジャンさんが息を切らしながら立っていた。

 その姿を見た途端、これまでの怒りや不満が堪忍袋の許容量を無視する様に爆発して、この人を本気で殴ろうと立ち上がった。

 「……っ!」

 隣に座っていたアデルが私の異変に気が付き、思いっきり腕を掴み、強引に座らせる。

 

 「……ちょっとアデル!」

 何で止めるの、という念を込めた視線をアデルに送る。

 「……お前の気持ちは分からないでもねぇよ。でも少しだけ待っとけ」

 ……この状況で待っとけってどういう事?そう思いながら何とか怒りの気持ちをコントロールし、ゆっくりと座る。


 「……ジャン」

 神様を見つけたかのような、どこか縋るようなトーンとでジャンを見上げるセレーネ。

 「……セレーネ、ごめん。君の事を守る事ができなくて」

 恋人を危険な目に遭わせた人が言いそうな、言葉だけなら安っぽい台詞だったが、その表情と口調には明確な自責と後悔の色があって、それを見てもう少しだけ見守ろうと思い直した。

 

 「僕の話を、聞いてくれる?セレーネ」

 「……うん」

 誰もいないその空間で、まるで世界に私達しかいないような感覚に陥った。

 

 

 

 

 


 

 

 

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