歌姫の秘密
お菓子や飲み物を配ったり、スタッフさんたちと話しているうちに、だいたい30分は経過した。
アデルたちからセレーネと一緒に過ごしても良いと言われたけど、あまり長居しすぎても心配させてしまうだろうし、何より部外者の自分がここに長時間いるのも気が引けてしまう。
セレーネにきちんと伝えて、今日はもう帰ることにしよう。私はスタッフさんたちと会話していたセレーネに声を掛けた。
「セレーネ、あんまり長居しすぎるのも申し訳ないし、そろそろ帰るね。ありがとう」
そう言って舞台から見て左側へと歩き始めると、「待って!」とセレーネに腕を掴まれた。突然腕を掴まれるとは思っていなかったので、思わず「へわっ!?」と素っ頓狂な声を出す。
「えっ……ど、どうしたの?」
「多分伝えてなかったよね?舞台から見て左側は、出口じゃなくて照明とか、天井に吊るす調度品の調整を行ってる場所に繋がってるんだけど……あっ、ほら、あそこに繋がってるんだよ」
セレーネは舞台から見て左上にある観客席……よりも上にある、照明やレフ版などが置いてある少し狭いギャラリーのような場所を指差した。あんなところあったのか。初めて来た時はセレーネの歌声に聴き入っていて、全く気付かなかった。
ということは、出口は舞台から見て右側へ進んだ場所にしかないのか。おしゃれなデザインの劇場だけど、ちょっと複雑というか、少しだけ残念な構造だと思った。
「出口に戻るんだったら、私が案内するよ。警備員のおじいちゃんにもお菓子渡したいし。一緒に行こっか」
そうして私は、セレーネと一緒に出口まで向かうことになった。
人の気配が全くと言って良い程感じられない出口までの通路を歩いていると、奥の方に僅かだが白い光が見えてきた。出口が近いんだろう。
「ここまで案内ありがとう、セレーネ。じゃあ私これで……」
「セレーネ?ここにいたの?」
後ろから少し高めの声が聞こえて反射的に振り返ると、そこには明るい茶髪のマッシュルームヘアの眼鏡をかけた、あの幽霊みたいに立っていた青年が立っていた。
セレーネは彼の姿を見て「ジャン!」と言った。「ジャン」というのは多分この青年の名前なんだろう。
「メーちゃんを出口まで案内したくて。この劇場、舞台裏から通じる出口が少ないでしょ?」
「それはそうだね」
友達……いやむしろそれ以上にフランクな空気感で会話をする二人を、私は少し困惑しながら見つめ、セレーネが私の困惑の視線に気付いて私の方を向くと、私は慌てて「あぁごめん!」と反射的に謝罪する。
「何かすごい、ナチュラルに会話してると思って……でもってセレーネの仕事にも関わられてる?感じで……えっと……」
……自分でいろいろ言っておいて、一体何が言いたいんだ。心の中でそう突っ込むのと同時に、セレーネが「あぁ!」と納得したように声を上げた。
「紹介するのが遅れちゃってごめんね。この人は私のマネージャーのジャン。私のサポートをしてくれている人だよ」
「あ、挨拶が遅れてすみません……。セレーネのマネージャーのジャンです……」
……まねーじゃー?……あっ、マネージャー?芸能人のスケジュールの調整とか管理をする、仕事の全面的なサポートをするあのマネージャー?
あぁ、なるほど、と納得した。マネージャーだったら、セレーネとは気軽に会話をしても全然大丈夫だし、舞台裏を堂々と歩いたり、楽屋に入ることだって許されているだろう。
……幽霊とか、そんなひどいことを考えてしまってごめんなさい。そう心の中で反省すると同時に、セレーネが周辺をキョロキョロと見回しているのに気付いた。
別に周辺には何もないけど……。どうしたのかと思って私はセレーネに声を掛けようとした。
「セレーネ、どうし……」
「やっと会えたよ~!ジャン~!」
嬉しさが溢れたテンションでそう声を上げると、そのままセレーネはジャンの首の後ろに勢いよく手を回し、同時に身体をジャンの身体に密着させた。
……コレハイッタイナンダ?
私の目の前で、この国一番と言っても過言ではない歌姫が、自分のマネージャーに抱き着いている。
これは恐らく、というか確実に、説明しなくても二人はそういう関係性なんだろう。
いや、スキンシップの激しいセレーネのことだから、異性にもそういったことをしているのではないかという考えも一瞬頭の中に過った。
けれども常識や倫理観のしっかりしたセレーネが、そういったことをするとは少し考え辛いし、何よりセレーネのジャンを見る表情……。
目には愛しい人を見る時特有の幸福の色が見えたし、頬は特に化粧は施していないはずなのに、綺麗な桃色に染まっている。正直化粧をしている時より綺麗だ。何より表情全体から、嬉しいという気持ちが伝わってくる。
好きな人に会えた時の気持ちは、同性と異性では内容が全く異なる。
私と一緒にいるときのセレーネの表情も幸せそうだが……。今はそれとはまた違った意味で、そしてそれ以上に幸せそうだ。
……この国の歌姫の、ある意味とんでもない秘密を私は知ってしまったかもしれない。




