ONとのギャップが激しい歌姫
青年に案内され、私たちはこの劇場の舞台裏にやって来ていた。
舞台裏は私が思っていた以上に規模が広く、何個あるのか分からない楽屋に豪華な衣装が掛けられたラック、人がバタバタとせわしなく走り回る廊下に時々すれ違う明らかに違うオーラを持った人という、ドキュメンタリー番組などで時々見ていた光景が今目の前に入ってきていて、その明らかに異質な空気感に一瞬目眩がした。
これは……。多分私は、例えどんな理由があろうとこの世界で生きていくことは無理だろうなと思った。恐らくそこにいるだけで疲弊する。
……それで、セレーネには一体いつ会えるんだろう。
舞台裏をそこそこ移動しているはずなんだけど、今私たちを案内してくれているこの青年の歩く足は止まらない。最初は何個あるか数えていた楽屋の数も、もう数えるのを諦めてしまうくらいには通り過ぎている。
セレーネは、こんなに派手で目眩のする世界を生きているんだろうか。
その世界のことは、その世界で実際に生活してみないとその内情や実態は掴めないものだが、そのほんの一部分しか見ていない私でも、この世界は厳しくてしんどいものだと分かる。
というか、公演後って多分疲れてるはずなのに、こうやって誘いを受けたとはいえ会いにに行って大丈夫なんだろうか。
様々なことをぐるぐると考えていると、青年は歩く足を止め、「ここです。長々と歩かせてしまって申し訳ありません」と謝罪してきた。
案内されたのは、舞台裏の奥の奥にある、明らかに他の楽屋とは違う煌びやかなデザインの扉だった。
「ここでセレーネが待っています。どうぞお入りください」
……ここに、セレーネが待っているのか。あと今気付いたんだけど、この男の人誰?パッと見た感じ、芸能人とかではなさそうだけど、こうやって舞台裏を慣れた感じで歩く姿も、セレーネのことを他の人とは違って特別扱いせず、「セレーネ」と呼び捨てで呼んでいる感じ、一体何者なのだろうか?
セレーネのきょうだい?それとも知り合い?この人は一体……と扉の前で俯きながら考えていると、私の後ろにいたアデルが「おい、何やってんだよ。入らねーのかよ」と声を掛けてきて、その声で思考から引き摺り戻される。
ハッとしてすぐにコンコンコンと3回ノックをすると、中から「はーい」という柔らかい女性の声がして、あ、中にいるのはセレーネだと少し安心する。
「あ、えと……。メリッサです」
「メーちゃん!?来てくれたんだ!入って入って!」
セレーネから中に入るよう促され、扉を開けると部屋にあった丸いミラー付きの白い豪華なドレッサーやテーブルが一瞬視界に入ってきて、その後消えた。
何せ、扉を開けるのとほぼ同時にセレーネが勢いよく抱き着いてきたからだ。
「わふっ……!?」
突然抱き着かれた衝撃で一瞬後ろに倒れそうになったが、脚の筋肉に力を入れて地面を踏み、何とか踏ん張った。ここである意味初めて、毎日行っている筋トレに感謝の気持ちを送りたくなった。
「メーちゃん!来てくれてありがとう!私の公演観てくれたの!?」
セレーネは公演時のあの衣装のまま、私にすりすりと抱き着いてくる。さっきまで強烈なカリスマを放っていた人物とは思えないほど、今は無邪気な少女の姿そのものだ。
「うん。2階席から見てたよ。公演お疲れ様。音楽とか私あんまり詳しくないけど……それでも聴き入っちゃうくらいすごかった」
セレーネは私からやっと抱き着くのを離れると、「本当!?ありがとう!大好きな人に褒めてもらうのって嬉しい!」と満面の笑みを浮かべた。
「えぇー!?メリッサ、セレーネさんと……この国の歌姫とほんとに友達だったの!?」
「いやうん……。あの話、何かの嘘かなと思ってたけど、本当だったんだ」
ナディアとケントが、目を見開きながら今目の前で起こっている状況に驚きを隠せていない。
「いやほんとだよ……。何で私が嘘つくと思ったの。私が嘘が下手なことくらい、みんな知ってるでしょう……」
少し呆れた表情と口調でそう言うと、セレーネがぽかんとした表情で私たちを見ている。
「あっ、セレーネ。紹介するね。この3人は私の仲間たち。ケントとアデルとナディア」
「セレーネさん!はじめまして!私ナディア・ランベールっていいます!私たちの分のチケットもありがとうございます!」
「わぁっ!あなたたちが、メーちゃんが言ってたメーちゃんのお友だち?改めてはじめまして!私はセレーネ・コストナーです!」
……わぁ、すごいなぁ……。打ち解けるスピードが尋常じゃない……。私なんて最初は敬語かつ他人行儀な態度で接してたのに、この2人は完全に出会ったら友達!みたいな感じだ。
ケントとアデルも自己紹介を済ませ、みんなで軽く雑談をしていると、後ろから「ごきげんよう、セレーネさん」という女性の声がした。
……ん?何だろう、今の。普通の女性の声だったのに、何か声の奥にモヤっとした感じが……?
何かと思って振り返ると、そこにはオレンジのロングヘア―に濃いメイク、黒いワンピースを着たいかにも気が強そうな感じの女性が立っていた。
「あっ!イザベラさん!お疲れ様です!」
この気の強そうな女性は、イザベラという名前らしい。
「ええ。今回も素晴らしい公演でしたわ。やっぱりあなたは素晴らしい才能をお持ちなのね」
「ありがとうございます!聴いてくださる方も、幸せだったら私も嬉しいです!」
……何だろう。一見すると普通の会話なのに、どうもどこかに、というか、このイザベラという人が発する言葉の奥に、何か感じるような……?まあ、その正体が全く分からないし、多分私の考え過ぎだ。
「それでは。私はこれで」
しばらくセレーネと会話をすると、イザベラは去って行った。あ、良かった。帰っていくんだ……。私の直感でしかないけど、この人と長時間一緒にいるのはちょっとしんどいかもしれない。そんな主張をするのはさすがにどうかと思うし、相手の方から帰ってくれて良かった。
「あっ!みんなごめんね!立ち話もしんどいと思うし、中に入って話そう!」
セレーネに促され、私たちはセレーネの楽屋にお邪魔させてもらうことになった。




