あれは本物?
「このチョコクロワッサンおいしいー!」
「ああ。俺もパンは結構食べてきたけど、こんな上手いパン食べたことねぇな。メリッサ、よくこんな美味い店見つけたな」
4人でベンチに座りながら、さっき私の購入したチョコクロワッサンを食べる。ナディアとアデルはチョコクロワッサンが想像以上に美味しかったのか、非常にご機嫌な様子で頬張っていた。
けれども私は……。
「あれメリッサ、食べないの?」
ナディアが私の一口しか食べられていない、両手で持った状態のまだ量のあるチョコクロワッサンを見つめる。
……さっきあのお店で見たのって、セレーネだったよね?このケルンセンの歌姫。国民から女神のように崇められる存在。
普通芸能人っていったら、もっと豪華な衣服に身を包んで、高級店をはしごして、店員さんに高圧的な態度で接して。まあ全部ゴシップの記事の話だが、そんな圧倒的な経済力とそれを鼻にかける傲慢さのイメージが強かった。
けれどもあの時私の至近距離にいたセレーネは、可愛らしく素朴なワンピースと帽子を身に付け、店員にも優しい口調で気さくに話し掛け、何より人気の少ない隠れ家的なお店に買い物へ行く。しかもあの時の会話の様子からして、かなりのお得意様といった雰囲気だった。
……私の中の芸能人のイメージと全然違うし、何よりあの女性達が話していた情報とも全く異なる。
まあ、あの瞬間だけで人間性を判断するのは困難なのだが、それでも話し方も雰囲気も態度も、とても柔らかくて温和な印象の女性だった。
私が見たのは、一体何だったんだろう。一度耳にした情報と現実が一致しないと、こんなにも動揺するものなのか。
「メリッサ!メリッサ!」
「……へっ?」
私の両サイドに座っていたアデルとナディアが、私を心配そうな顔で見つめていた。
「あ、良かったぁ!さっきから声掛けても全然反応ないし、パン全然食べてないし、体調悪いのかと思った!」
……しまった。私の考え込んでいる様子から、体調が優れないのだと判断してしまったらしい。昔から妙に、考え込むと周りの声が入りにくくなる時がある。
パンの方を見ると、クロワッサンの中に入ったチョコが少し柔らかくなっていた。
さすがにチョコが溶けるのはまずい。私は食べるのを再開し、パンを一口口に含んだ。
さっきは味が分からなかったけど、もう一度落ち着いて食べてみると、クロワッサンの程良くカリカリとした触感と、ほんのりと甘いチョコレートの相性が良く、舌の上で優しく溶けていく感覚が確認できた。
チョコクロワッサンは私のバイト先のパン屋でも売っていたし、いろんなお店のチョコクロワッサンを食べてきたけど、その中でもこのチョコクロワッサンは食べた瞬間ランキング一位に入るくらいに美味しかった。やっぱり私の嗅覚と直感は合っていたし、購入して良かった。
私はパンを全て食べ終えると、パンを包んでいた紙を集め、捨てる為にゴミ箱を探して街を歩いていた。
しばらく歩くと路地裏の入り口付近にゴミ箱があるのを発見し、そこに捨てた。
みんなの元へ戻ろう、と思ったその瞬間、私は路地裏の入り口付近で何か柔らかくて花っぽい甘い香りのするものとぶつかってしまい、思わず尻餅をついてしまった。
「え!?一体なに……」
私はぶつかった存在を確認するために顔を上げた。
「……」
路地裏の入り口付近で、私は久しぶりにスマホの確認を行った。しばらく充電をしていなかったのか、電池の残りがあと30%くらいだった。
旅の中でほとんど使用はしていないが、でももう使えなくなることを覚悟しておいた方が良いかもしれない。
そんなことを考えていると、30代くらいの男性の集団が私の横を通りかかって、先頭に立っていた男性が私に息を切らしながら話し掛けてきた。
「なあ君!この辺りで歌姫を……セレーネを見なかったか!?水色の髪に翡翠の瞳の、このケルンセンの歌姫を!我々の女神を!」
「セレーネ……?まずそんな容姿の方は見ていませんし、私は旅の者なので、顔も分からないんです。すみません」
考え込むポーズを取りながら分からないと答える私に、男性達はやや落胆しながらどこかへと走って行った。
「……もう行きましたよ。誰もいません」
私の足元にあった、体育座りをすれば大人一人は入れそうな箱に、私はしゃがんで小声でそう呼び掛ける。
すると箱の蓋が恐る恐るといった感じで開く。
「……ありがとう。すごく助かったよ」
数十分程前に聴いたものと全く同じ。聴いているだけで身体がふわふわと浮きそうな、優しくておっとりした声だった。
水色の緩いウェーブのかかったロングヘア―に白いフリルのワンピース。さっきパン屋で遭遇した人。
このケルンセンの歌姫、セレーネが、私のすぐ近くで追っ手から隠れていた。




