目玉焼きに何かけるか論争に、参加すらできない
目玉焼き。
それを食べていた。
頻繁に。
子供の頃からずっと。
普通に美味しく食べていた。
そのまま普通に。
なんの縛りもなく。
食べ続けたかった。
なのに、大人になる前。
大人になる[前前前夜]的な時。
見てしまった。
テレビで見てしまった。
[目玉焼きに何かける?]
そんなアンケートを。
そんなランキングを。
そんな国民調査的なものを。
ハテナが、頭の上を回っている。
そんな感じだった。
そこで初めて思った。
目玉焼きって何か、かけるんだ。
かけて食べるものなんだと。
黄身の味は、どうなるんだ。
本来の味は、感じられるのか。
素材は、活きてきてくるのか。
色々と、考えてしまった。
僕の家庭は、みんな何もかけない。
目玉焼きに、何もかけない。
そのままの目玉を頂く。
裸眼を頂く。
それが普通。
そう思っていた。
たまごの目玉を。
人間の目玉と重ねてしまった。
そんな訳はない。
目玉に、なにか調味料をかける。
かけると、しみるから嫌だな。
そう思ってかけられなかった。
そんなわけはない。
導入が素材のみだったから。
シンプル始まりだったから。
ノー調味料、一筋だったから。
かける概念が、ぶっ飛んでしまった。
のだろう。
[目玉焼きに何かける?]
[そもそもかける人間なんているの?]
そう思ってしまった僕は、ボケの人間じゃないか。
もう、大喜利みたいじゃないか。
普通に答えても、大喜利になってる。
そんな現象が起きている。
大喜利番組でも、序盤では出せない回答だ。
大喜利の中盤あたりで出てくる。
そんな、変化球回答だろう。
まあ、あまり面白くはないが。
[何もかけない]の一員として。
アンケートに参加しても、いいのだろうか。
アンケートになることを、意外に思った男が。
[何もかけない派]になって、いいのだろうか。
オムライスには、ケチャップを[ぶちゃり]としぼれるのに。
躊躇なく、たっぷりしぼれるのに。
目玉焼きに、ケチャップは躊躇する。
新雪に、ケチャップをかけているような。
そんな感覚だから。
ちなみに、ゆでたまごも、そのまま頂く。
塩は、かけない。
目玉焼きに、みんな何かかけている。
それは驚いたけど、目玉を飛び出させたりしなかった。
目玉焼きの話をしていた、けれども。