7.サクセスプラン 1オブ3
秋雨が止んで、澄んだ空気が冷たく肌を撫でてゆく。夜の帳に包まれて外灯が青や赤に輝く都心外れの通りを、俺はケイゴと二人酒を飲んで酔ってふらふらと歩いている。
この状況に陥れば俺は俺になれる。感情のままに語り出す声がする。
「一見正しい事ばかりを言っているような、ご尤も主義の奴らこそ一番質が悪い。奴らに持論なんてものはない。ただ上げ足をとっていかにも自分が正しいって面をしているだけだ」
「そりゃそうだ。世の中そんなに何もかもがうまくいくわけがない。成功する奴もいれば失敗する奴もいる。世の中にはたくさんの不公平があるのに、その不公平を誰かのせいにして、自分はいかにも正しいと思わせて善人面をする、そういう奴らがたくさんいる」
人を批判するだけで過ぎてゆくような人生を送りたくはない。それでも世間のいびつさに屈折した憎悪が湧き立つ。葛藤から生まれ、苛立ちに奮う声が批判を生み出している。俺たちはいったい何を探しているのだろう。
後期始めの講義「国家形成論」で語った助教授の世間批判に、はらわたが煮えくり返るような感情が溢れ出したケイゴに付き合い、酒を飲んで語り、夜道を歩き回っていたら、俺の導火線にも火が付いていた。
だが、そこに燃え出した感情はただの燃え移った小さな教授批判でしかない。この時代に生まれた歪みを消すためには実動するしか利を成さない。
「大切なのは、俺らがくだらない善人面をした都会人にならないことだけじゃないか?」
「その為に、俺は何を成すべきだろう?」
ケイゴは迷っていた。森を離れて都心へ来た。都心に溢れる無駄な競争の中で、この先どう社会に出てゆくかに迷いを感じている。
卒業までにはまだ三年以上あるけれど、二年の後期が終れば、三年には進むべき方向をより明確にしなくてはならない。しかしどのゼミに参加しても善人面した奴らが偉そうな態度で上から俺ら学生を見下ろしてくる。これが世の中だと諦めて、この世間で生活してゆく術だけを身に着けてしまえば、ただ楽なだけの一生を送るだけだ。
ケイゴはその為にこの都心に来て帝都大に入ったわけではない。俺らの関係が語り合う先は、より価値のある未来への点火となるはずだ。
今はまだ言えない。マサキと俺の計画は着々と実行への道を突き進んでいる。その全てが成功したら最初はこいつに伝えたい。
世界の中ではここは僅かな点にしか過ぎない。多く過ぎ去った時代と同じように、長い時代の先にある未来を考えれば、その頃には自分の存在はさらに無意味へとなってゆく。今の時代に存在意義も刻めない俺には未来の歴史に存在し得るわけもない。
「時代をゆっくり変えてゆこう。その為の準備を今はするだけさ」
俺はケイゴにそう伝えた。フッと消えた蝋燭の炎のようにケイゴは静かになり、僅かに白くなった息を大きく吐き捨てた。
※
青空の下には広い緑の芝生が広がっている。チクチクとした芝の上に寝転がって太陽が眩しく輝く空を見上げている。訓練の連続で疲れた筋肉を緩め、古い城壁に囲まれた城跡の公園で鈴虫の音色を耳にリラックスさせられて休む。
「休むことも大切だ」と言ったマサキの言葉を思い出す。
心身を休ませるには疲れを感じる必要があるとも言っていた。これがその疲れだな、と俺は理解する。
風が吹いている。夏の光を失った柔らかい光が体を温める。人工回復装置だけでは回復できない疲れがあるのを理解する。
あおといない状況に安らぎを感じることもある。だからといって、彼女が嫌いになったわけでもない。たまにこうして一人の時間を作ることも大切だ。
汚れた脳を洗い流すような澄み切ったピアノの音色がどこからともなく聴こえてくる。ピアノの音色は身体をずんと重くさせる。疲れた身体をより疲れさせるけど、どことなく心は安らいでゆく。
弾けて弾むピアノの音が心の内から身体の隅々に響き渡ってゆく。脳内のモヤモヤした黒い煙が浄化され消されてゆく。
「いい音楽だろう?」と男は言ってきた。
俺はその声の主を読み取れない。市川であるか、マサキであるか。
「先生も音楽を聴くんですね」と、俺は言ってみる。
「確かに、彼は聴かなさそうだね」そう言うのはマサキだろう。
「耳には音も届くようだね。こちらには君の声しか届かないけれど」と彼は続けて言った。
「先生は、海辺のレストランで、デザートを食べるとしたら、何がお好きですか?」
俺はまだ、彼をマサキと決めきったわけではない。声質を聞き取るには不十分な装置のようだ。
「ブルーベリーのタルトかな。コーヒーを付けてね。あれは実に良かったね」
「合言葉にはなりますかね」
「ブルーベリーのタルト?悪くない。ローストビーフってパターンもありだね」
「わかりましたよ。それで?俺に心地よい音楽を聴かせて安らがせてくれるためだけに、通信しているわけではないでしょ?」
「決行日は1月2日。詳細は、後で直接伝えよう。二週間後の土曜日夜九時半『ロンドンタウン』というカフェで会おう。場所は検索すればわかる」
声はそう伝えられて、ふと消えた。暖かい日差しが体を包み込む。いつまでも芝生の中に埋もれていたい。このまま時が過ぎて、目覚めた場所に幸せが訪れてくれることを切に願う。
白昼夢のようだ。『ロンドンタウン』は夢のまま、目覚めて調べてもどこにもない場所なのかもしれないと感じてしまう。何もかも、現実味がない。そういった日常がここ一年続いている。




