1.キャンパスライフ 1オブ3
桜の花が大学の校門で華やかに迎えてくれている。俺の新しい大学生活の始まりは満開の淡いピンク色の花びらを付けた桜木が何十本も咲く暖かい春の一日だった。
学園生活は、木製の内装で統一された大講義室に、案内表示の指示するままに導かれ、講義室の左前方の席に座ったところから始まった。
これから学園生活を送る一年生の為のオリエンテーションだ。指導担当の市川助教授が壇上に立ち、大きな声が広い講義室に反響し出す。
「この大学には一流の学問を研究する優れた先生方がたくさんいる。君たちの能力ならば先生方の難しい研究成果の講義を一言一句聞き逃すことなく理解することができるだろう。そして君たちはそれらの研究成果からまた新しい研究を見出し、それぞれの研究の道へと進んでいくだろう。研究は飽きることのない困難なものばかりだ。君たちならばそれらを学ぶ楽しみが理解できるだろう。そしてそれらは応用され、やがてこの国に役立つ多くの成果に変わる。自信を持ってやっていくがいい」
教壇で市川はそこまで話し、一口水を飲んだ。大講義室に集まる一年生たちはその話に興味があろうとなかろうと、お行儀よく黙って聞いている。
そして再び話し出す。
「私はまず初めに、君たちにある問題とその答えを教えておきたい。それは『君たちが何の為に勉学を行い、その結果を使おうとするか?』という問題だ。私はこの答えを『未来の幸福の為』と出す。さて、ではなぜこの問題がどうしてこのような答えに導き出されるのか、君たちは時折考えながら大学生活を送ってもらいたい。質問や疑問のある者はいつでも私の研究室に来るがいい。いつでもその質問や疑問に答えよう。私からの話は以上だ。では皆さん、大学生活をそれぞれに満喫してください」
市川はたったそれだけの話をすると、一礼して教壇から降り、大講義室を出て行った。
気のせいか、出てゆく瞬間に一瞬俺の方を一瞥したような気がした。それはきっと気のせいなのだろう。
『勉学の結果を未来の幸福と結論付ける。その過程について』
俺には興味のない話だ。
二一六八年現在、俺は過去も未来も深くは考えず、ただ今ある毎日を満喫している。
俺の名前は磯島ハヤ、歳は一八だ。そして俺は最優秀評価で手本に等しい人生を歩んできた。最終識別まで優良評価で、ついに国内最高峰の帝都大学の入学までこぎつけた。
家族は父親も母親も一流で、妹もまた中等まで優良児の一六歳、完璧な環境でここまでやってきた。
当然といえば当然。きっと俺は選ばれた人間なのだ。
春風がビューっと吹く。暖かい日差しの間を少し肌寒い風が吹き抜けてゆく。まだ長いコートを着ていた学生たちのコートの裾や女性の髪があちらこちらで靡いていた。
学生の集まるレンガ造りの壁や椅子でデザインされた中庭で、俺は新しく出来たばかりの友人達とどんなサークルに入るか話していた。さっきの大講義室のオリエンテーションで一緒になって、仲間になったばかりの連中だ。
「皆はさ、どんなサークルに入るの?」と、とりあえず聞いてみる。
みんな黙っている。というか、俺の周りに集まった三人はなんだか暗い奴らばかり。
「あの、磯島君は何に入るの?」
聞いてきたのは天田タケ、三人の中では比較的明るいキャラ。とは言っても、もじもじしていてへなちょこ。きっとどこでもいじめられるタイプ。
「俺は、ずっとダンスをやっていたからな、そっち系にしようかと思う」
「ああ、そうか。僕は、運動は苦手で。どうしようかな?」
体もひ弱そうで、線の細いタケは見た目どおりそういう感じ。
「わたし、磯島君と同じのに入ろうかな?」
南あおは俺の目をじっと見て答える。なんだか根暗で、重い感じの女だ。
「そうか、でも男女別のじゃ入れないぜ」
「なんでそういう事言うの!?」
ちょっとしたジョークにマジで突っかかってくる。面倒くさい女だ。
「ねえ、ケイゴ君はなんかやってた?」
あおとの話を逸らし、ずっと黙っていた倉本ケイゴに俺は尋ねる。
「俺は、別に、ない」
何なんだろう?こいつは最も取っ付きにくい。どうして俺はキャンパスライフ初日の、楽しいはずのオリエンテーションをこんな奴らと過ごすことになってしまっただろうか。俺らしくないセレクトミスだ。座る席も辺りを見渡してから選ぶべきだった。
校門からレンガ造りの庭まで続くキャンパスの中央通りにはたくさんのサークルの誘いをする上級生が後輩を求めて並んでいる。様々な光フィルターという装置によりサークルを宣伝する映像が映し出されている。昔は画面が必要だったし、さらにその昔は紙や板に書いて自分のサークルをアピールしていたらしい。今は10センチ四方の四角い球体から出る光が立体的に文字を浮かび上がらせてくれる。掲示板も紙も要るはずがない。詳細なデータは電子データでやり取りされるから紙に書かかれたビラを配ることもない。
俺らは迷い歩きながら映像を見比べている。サッカー、バスケ、オーケストラ、ギターにアニメ、さまざまなサークルの文字や映像が一年生を誘う工夫をこらして誘っている。
「サークルはもう決まったか?」
声を掛けてきたのはサークル勧誘の上級生ではなく、オリエンテーションの教壇で熱弁していた市川助教授だった。急な話しかけには違和感があり俺は彼を警戒する。
「だいたい決まってますよ」
それはもちろんでまかせの嘘で、本当はなんら決まっていない。
「そうか。もしいいのが見つからなかったら、私のところに来るがいい。おもしろいものを見せてあげよう。磯島ハヤ君」
市川助教授は俺の名前を知っていた。五千人近い学生の全ての名前を覚えているわけでもあるまい。しかも入りたての新入生の名前と顔を一致させることは難しい。彼はあえて俺に近づいてきて俺を誘ってきた。そこにある違和感を俺は無視できなかった。
「ありがとうございます。そのおもしろいもの、後で見に行くかもしれませんが、その時はよろしくお願いします」
すぐに不信感を好奇心に替え、俺は市川助教授にそう答えた。彼は笑みを大きくして、二度ほど縦に首を振った。
「そうか。それじゃあ待っているよ」
彼は俺の前をわざとのように通り過ぎ、理学棟へ通じるエスカレーターを降りていった。
市川は情報処理学の助教授だ。オリエンテーションの教授代表を任されたその男は強烈な眼光を持っている。特別な魅力を含んでいるせいか、モニターと睨めっこし過ぎたせいか、俺はまだ彼の持つ瞳の力を理解できてはいない。まだ三〇代半ばの若輩者の助教授がオリエンテーションの大事なところを任されるということは、あの瞳にそれだけの魅力があるということなのだろう。
「あれ?磯島君ね!」
どこからか、心をソワソワさせる女の声がする。少し離れた場所から学生の溢れる通りを走ってやってくる。宮ノ下キイコだ。彼女は綺麗なストレートのロングヘアーを揺らし、近寄ってくる。
俺の心臓は高鳴る。
「やあ、宮ノ下」
「なんだ、どこにいるのかわからなかった。講義室では別々になっちゃったね」
「ああ、俺もどこにいるのかと思ってたよ」
宮ノ下キイコは中等校からずっと一緒の馴染みだ。つまりは俺と同じく、優秀な環境で育ってきた女の子。しかも俺よりもずっとお嬢様で、ずっと金持ちだ。別に金目当てではないが、俺は完璧な彼女が好きだ。俺だけに限らず、多くの男がこの子の魅力に捕われてしまう。今はみんなのアイドルとしておくが、やがて彼女は俺の女にしてみせる。
「キイコは、えええと、何の、サークルに、入るの?」
「うーーん、まだ決めてないけど、おもしろそうな、皆で遊べるサークルに入ろうかな、と思うけどね」
「おお、俺も、そんなんにしようかな?」
俺は少しテンションが上がる。新しい大学生活はきっと彼女と楽しめるだろう。