6.目に見えない真実-2
断層。それは既知の世界から空間的に切り分けられた、小さく独立した箱。欠片はそこから発掘され、また、断層攻略における貢献の度合いに応じ経験値という恩恵が受けられる。
ベルナの断層に関する知識は、それでほぼ全てであった。それ以外は、手練れた冒険者でも、油断をすると直ぐに命を落とす危険な場所、ぐらいしか知らない。
双生の鮮血湖に立ち入って、直ぐに感じたのは骨を刺す様な寒さだった。
外との温度差は明らかに二十か三十度以上もあり、全身の筋肉は急激に収縮し、関節の節々は度を越えた激烈な温度変化に痛みを感じ始めた。
ガタガタと歯を震わせながらグレゴリアの方を覗くと、天人の方はまるでこの気温を気に留めている様子はなく、至って平静である。
視界が悪い。と言うか、断層内はどう見ても夜であった。月明かりはあるが、それもまだ弱々しい。
「きゅ、急に、夜に……なりました?」
「いいえ。断層は基本各々独自な時間帯が存在します。そして双生の鮮血湖のように室外の場合もあれば、踏破まで完全に室内の場合もあります。そんなのんびりしてよいのですか?もう始まっていますよ?」
「え?」
グレゴリアの言葉に呼応するように、もぞもぞと目の前の大地が揺れ、白骨化した指が天に突き出され、続々と人間の骨格のようなクリーチャーが這い出る。
「な、なに?!」
「骸骨兵と骸骨猟犬です。比較的低級なアンデッドですね」
「言ってる場合ですかっ?!向かって来てますよ!湖じゃなかったの?敵ってお魚さんとかじゃないの?!」
「ええ。何かしらの原因で自死した一対の男女が、その骨を埋めた湖……という事らしいですよ。基本的にアンデッドが出ます」
「先!に!言って!ください!」
地面から完全に体を出した途端、カクつきながらスケルトン共は脇目もふらず、真っすぐベルナの方へと歩き出した。
「何で?!何で私?!」
「断層内では、こちらから特に動きがないと、殆どの場合敵は一番弱っている……つまり、生命力が一番衰えている方を狙います。常識ですよ?」
「冒険者の方の常識を!私が!持ってる訳!ないじゃないですか!言ってないで助けて!」
前方にいる、犬の骨格が走り出す。物凄いスピードである。おまけに吠えている。肉が完全にないのに、大音量が出ている。ベルナは自分の膀胱が今日二度目の致命的な打撃を受けた感触がした。
「ですから、私がやったらベルナ嬢に経験値が入らないのです。ビナーの説明も完全に聞いていませんでしたよね?先ほど、その見事な肉体に惚れ込んだ陰影の三人がいるではありませんか」
言い方!逞しくて頼りになりそうって思っただけ!
「陰影さん達!タスッ、助けて!」
「んご?」「んごご?」「んごごご?」
先ほどまで静かに立っていただけの三体の魔像達はベルナの方を向くが、首を傾げていた。
「もっと具体的な指示を出さないといけませんよ。あくまでも魔像である事を忘れていませんか?本当の意味でベルナ嬢の言葉を理解している訳ではなく、インプットされた音節に応じて動作を行っているだけですよ」
「た、戦って!パンチ!パンチッ!」
完全に傍観を決め込んでいるグレゴリアに怒りをぶつける暇もなく、ベルナは大慌てで脳裏に浮かんだ言葉をそのまま叫ぶ。
すると、右二体の魔像はベルナが指さす方向に向けて駆けり出し、拳を握り締め、振り落とす。見た目からして想像できる通り陰影らは剛力を誇っており、その拳骨はスケルトン共のスカスカな体を粉々に砕きながら大地に叩き込まれ、大きな振動音で大気を震わす。
どうやらスケルトン共は魔像の敵ではないと視認できて、一息つくベルナであったが、駆け出していなかった一番左の『陰影』はおもむろにベルナに振り返り、こちらに向けて歩いてくる。
きょとんとするベルナの前に立つと、非常に緩慢な動きでそれは身にまとっている唯一の衣類である黒のポージングパンツに指をかけ、ゆっくりとそれを降ろそうとする。
「ちょ、パンツじゃなくて、パンチって言った!脱ぐな!着ろ!」
「んご……」
心なしか、陰影一号はベルナに怒られて少ししゅんとした。
「グレゴリアさん?これどういう事?ねぇ?」
「あぁ……音声認識ってのは、ちゃんと発音しないと、誤認識される場合ってあるらしいですね」
「誤認識?!欠陥兵器じゃないですか!」
「あらひどい」
「あ……」
目の前の陰影に加え、スケルトンの一団に勝利した二体もベルナの方を見て頭と肩を落とした。
さっきあくまでも魔像って言ってたよね?言葉を本当に理解してはいないって言ってたよね?何で私が悪者みたいになってるの?
「……正しく発音すればいいでしょ」
「ええ。冷静な指揮が求められます。頑張ってくださいね」
「……グッ……」
脳に血が昇るのを感じながら、ベルナは歯を食いしばる。いいんだ。怖いのより、むしろ腹立つのがまだマシだ。今はそう考えよう。