4.新入社員歓迎ツアー-4
「こちらを見ていただきたいのです、グイドニスさん!」
「ふん。今更そんな……これは、財務……諸表?」
《万紫千紅》から手渡される文書に軽く目を通し、ベルナはその内容の価値に瞠目する。
そこには、《安息の地》が力を挙げて踏破した断層の詳細だけでなく、入手した欠片やそれに由来する収入までも事細かに記録されている。
欠片とは人知を超える力を持つアイテムの総称である。欠片を収集し、その効能や危険性を判別する事は社会にとって大きな貢献であり、冒険者がこの国で一目を置かれている主な原因の一つだ。
有名な例として、アドヴァンスの地下水浄化システムのコアはまさに欠片であり、数千万単位の人々の生活を支えている。
欠片はその有用性と発掘時に負うリスクが合わさり、とんでもなく高価だったりする故、高レベルの断層の情報は値千金である。
この財務諸表の情報としての価値を考慮せずとも、ここに書かれている内容から《安息の地》のメンバーの手の内すらも簡単に推測する事が可能だ。
これは、メンバーの安全にも関わってくるクリティカルな情報のはず。何故、《万紫千紅》はそんな大事な情報を差し出してくる?
勿論、ベルナは貴族の誇りに賭けて、情報を他人に漏らすつもりはない。《安息の地》の競合ギルドからどんな大金を積まれても、ベルナは監察員の仕事にかこつけてそのような不正をする人間ではない。
それでも、《万紫千紅》の情報開示は大きなリスクを負う行為だ。
……可能性は低いが、ベルナや、彼女が代表する国に対して敬意と誠実さをアピールしているのか?
いや……もしかして……《万紫千紅》は国に対して、多少協力的なのだろうか?先ほどまでの態度は軽視されないためのパフォーマンスであり、情報の開示は誠意の発露?
だとすると……恐ろしく交渉上手である。
確かに、相手が国だろうと、組織を運営する身として一番大事なのはいかに舐められない事だ。それが全てと言っても過言ではない。
一度交渉の場で負けを認めると、次から次へと不当な取引や要求が吹っ掛けられる。我慢の限界を、譲歩の可能性を……無限に探られる。
そうすれば組織は、終わりだ。
ベルナにも、身に覚えはある。
大公家令嬢である彼女は、現に麻薬取引でのし上がり、「カルテル貴族」と陰で言われてもむしろ誇らしげにしている厚顔無恥な婚約者がいる。グイドニス大公家が他の貴族派閥に交渉の卓で負け続けた結果の一つだ。
ベルナを一度怒らせ、落としてから……持ち上げる。その間に、栄えある歴史を誇りながら、今や落ち目の貴族である彼女の心の柔らかい部分を、言葉に出さずに刺激する手腕。
なるほど。流石と言わざるを得ない。
これが……高レベル冒険者。
これが……あの、《安息の地》のリーダー。
「そ、そうですか。《万紫千紅》閣下、最初からそういう態度を取っていれば、私も無暗に……敵対的な……態度を」
ベルナの言葉は、目の前の文書の量を見て尻すぼみになる。
《万紫千紅》が魔法を行使しているのか、ダンボール箱が空を浮いてベルナの前に積まれてゆく。
余りにも多すぎる。これらの情報の真偽を判定するのは、ベルナ一人では不可能に近い。
やはり《万紫千紅》は非協力的なのか?ベルナはまだしても弄ばれたのか?い、いや、でも……
「あ、グイドニスさん!冒険者管理局からの転属書はありますか?」
「え、ええ。ここにありますが」
「うむうむ、ささっと、はい」
「……?《万紫千紅》閣下?」
「これでグイドニスさんは我が《安息の地》の一員です。短い期間かもしれませんが、ギルドマスターとしてサインしたからには、グイドニスさんの身の安全はこの私が保障いたします」
「!」
《万紫千紅》が握らせてくれた金属製のギルド徽章の冷たさを感じながら、ベルナは速やかにサインされた転属書を見て少し恍惚となった。
こういう公式文書には、魔法がかけられている。サインと同時に、管理局側には文書の副本が同時に作成される。《万紫千紅》がそれを知らないはずはない。
ならば、簡単に説明すると、このサインは冒険者としての名声と尊厳を賭して、実際にベルナの安全を保障する声明でもあるのだ。
ファデラビムという危険な地で、その声明がベルナにとっていかに価値ある物なのかバカでもわかる。
もし《安息の地》が本当に犯罪者ギルドであれば、言い訳を見つけ転属書にサインせず、ベルナを何処かで殺害し後処理すれば、「国からの使者はそもそも到着していなかった」と言い張る事が出来る。
そしてこれを数回繰り返せば、誰も派遣されて来なくなるでしょう。
正直、ベルナも最悪そうなると踏んでいた。
《万紫千紅》は……黒ではないのか?
いや。犯罪者ギルドの容疑が完全に晴れた訳ではないが……もしかしたら本当に、交渉の余地はあるのかもしれない。
それは既に、考えうる最上の結果だ。
ベルナは鼓動が早まるのを感じる。吊り橋効果と言う奴だ。
さっきまであれほど憎たらしく見えた《万紫千紅》が、今はどう見ても頼りになる凄腕冒険者の風格であり、妖精種として当たり前ではあるが、《戦争詩人》に負けず劣らず傾城の美貌である。
衣装は完全にふざけているけど。
「あ、ありがとうござい――」
「そうそう、それでね、グイドニスさん」
「は、はい。ベルナで大丈夫ですよ。これで《万紫千紅》閣下はしばらく私の上司に当たりますし、別に敬語じゃなくても良いのです」
「そう?その方がいいならそうするね。私の事も呼び捨……は気まずいか。しばらくはマスターか、ギルフィーナさんとか、好きな呼び方でいいよ。閣下はちょっとむず痒いね」
「は、はい」
「それでね、ベルナちゃんの仕事内容の話になるんだけど。多分もう読めてるよね」
「はい。元から私もそのつもりです」
基本的に、冒険者管理局から発遣される貴族は該当ギルドで受付嬢をするのが習わしである。ベルナも、上手く行ったのであればそのつもりだった。
が。
「そっか!良かったぁ!いやぁ、ベルナちゃん勇気あるね!やっぱり貴族の方って世間を知っている分肝が据わっているね」
「それは、どういう……?」
「うんうん、やっぱりさ、私が心血注いでかき集めたこの資料がデタラメじゃないって確認してくれる作業って大事だよね!」
「そ、れは……そう、ですね?」
「だからベルナちゃんには断層に潜って、実際に資料に書いた事が本当である事を見てもらいます!パチパチパチ!」
「……はい?」
「大丈夫大丈夫、護衛としてうちの自慢の子が随伴するよう言っておくから。経験値も入るしお得!何なら私がお気に入りのやつをピックアップしてあげる!これとか!」
「ん?いやいや。え?」
《万紫千紅》が指で財務諸表の一節をさし示した。
双生の鮮血湖、と書いてある。
断層?に?潜る?私が?
……国でも屈指な、冒険者ギルドが踏破した、断層を?
双生の鮮血湖とか?名付けられている?そんな?名前からしてめちゃくちゃ物騒な所に?
「あの、これ、『初見死亡率42%』って書いて――」
「グレちゃーん!」
「はい、先生」
ずっとそこにいたかのようなタイミングで、《万紫千紅》が叫ぶのとほぼ全く同時に、《戦争詩人》がドアを開けて入ってくる。
「今日からベルナちゃんがうちの子として働くから、仲良くしてあげてね!」
「ええ、勿論です、先生。それはもう、仲良く」
明らかに含みがある《戦争詩人》の言い方に、ベルナの顔が引き攣る。
「初仕事は財務諸表の確認なんだけど、ベルナちゃんを連れて双生の鮮血湖を一回回してくれない?」
「お安い御用です、先生。ビナーから陰影を三体借りて行っても?」
「もちろんだよ。楽しく踊っておいて!」
「おどっ……?いえ。ありがとうございます。さ、グイドニス嬢。参りますよ」
《戦争詩人》は音も立てずにベルナの傍まで歩いていき、目を細めて、蠱惑的にして邪悪極まりない微笑みを湛えた。
「初断層が双生の鮮血湖の冒険者などそうはおりません。流石大公家令嬢、大胆不敵にして仕事熱心。このグレゴリア・グラリス、その胆力に感服致します」
「……は?」
万力のようにベルナの二の腕を掴み、彼女を連行する《戦争詩人》に満足げな笑みを浮かべ、彼女らに対し《万紫千紅》は何一つ悪意のなさそうな表情で手を振る。
ベルナはタイツを履って来た事をとても後悔した。タイツは水跡がとても目立つのである。
◎
「いやぁ、上手くいったぁ――」
ベルナちゃん達の退室後、ようやく肩の力が抜けた私はふかふかの椅子の上でぐったりとしていた。
「……そ」
相変わらず素っ気ない妹の返事も気にならない程の、中々に良好なファーストコンタクトではないだろうか。
「後半何を言ったのか緊張でよく覚えてないけど、このギルドの清廉潔白さを証明する決心と協力的な態度はきっと伝わったと思う!」
「……………ん。良かったね」
複雑そうな表情をする妹であった。何が不満だろう。
あっ。
「そんな拗ねないで!新しい仲間ができたからって、私はいつまでもティフィの事が一番大好きだよ!」
「……そんな事言ってないし聞いてない。パンチされたいの?」
「あはは。ティフィの猫パンチは柔らかくてかわいいからいいよ!」
「次は別フォームでのパンチを所望しているというのね」
「ごめんなさい」
素直に謝る私でした。
「……フィーナ。開発中のアレ、貸し出して本当に大丈夫?」
「……うん?あ、あれね!」
妹が言っているのは多分、借りていいのかとグレちゃんが聞いた「陰影」なるものだ。
たしか、うちの実験大好きっ子のビナーちゃんが開発した新型の魔像で、グレちゃんが戦ったりしている時後ろでよく踊っているやつだ。
グレちゃん、新しいお友達の前で張り切ってるね!早速ライブを開く予定を立てている!
やっぱアイドルのグレちゃんにはバックダンサーがいないとね!
生徒が積極性を見せるのはいつだっていい事だなー
「あれは大丈夫だよ!いいな、グレちゃんのライブ。新曲とか歌うのかなぁ」
「……そんな能天気な展開になるといいね」
額を手で覆う妹であった。心配性だなぁと私はシンプルに思った。