プロローグ
俺には何も無かった。
将来の夢もなく。
やりたいことがあるわけでもなく。
欲しいものもなく。
何か望みがあるわけでもない。
生きる意味が、目標が、目的がなかった。
何もなければ、失うものもない。
そして、何かを得ることもなく。
その実、何かを得る必要もなかった。
ただ何となく満たされて。
心だけが飢えていた。
虚構に全てがあった。
だから人と関わることを辞めた。
現実に期待することを辞めた。
虚構を愛し、共に生き、そして死ぬ。
一人でいい。
孤独だけが俺を癒し、孤独だけを我慢すればよかった。
あらゆる感情を強要してくる人間を、嫌うだけで生きていけた。
ただ幸福に憧れるだけで幸せだった。
…それでも光は隕石のように襲来する。
まだ生きる意味も、目標も、目的も見つけられてはいないけれど。
光があるのなら、生きる意味も目標も目的も既に持っていることに気づいた。
生きる意味を探すこと。
きっとみんなそうやって今を生きている。
それに納得し、ようやく歩き始めたはずだった。
まだ大半の人は苦手だが、嫌いではなくなった。
でも、それだけ。
人と関わることは苦痛の方が多いから。
少しずつ慣れていければいいと思っていたのに。
そんな俺が。
人に想いを伝える、などと。
何を間違えたのか。まあ全てか。
光に、その輝きに憧れて、踏み出したことを間違いだとは思ってないけど。
…正解だとも、まだ思えていないのだ。
———これは夢だ。
遅咲きの桜が入学式も終わったというのに、まだちらほら残っている。そんな季節。
ある日の放課後、夕日に染まる空き教室。
一人の少年が、緊張の面持ちで立っていた。
———もう今すぐにでも逃げたい。
今更になって、彼の心に湧き上がる衝動。…まあ、致命的に遅すぎるのだが。
少年の目の前に、長い黒髪とルビーのような瞳をもつ可憐な少女が立っている。
その姿は、意識していないと思わず見とれてしまうほどだ。
———不相応なことは分かっている。分かっていてここに来たのだから。
逃げたくなる気持ちを抑えて勇気…とは言えない、それ未満の感情を絞り出す。
———言葉を発さなければ。まずは一言、一歩近づく言葉を。
「えと、は、初めまして。き、桐山晴人と申します。その、今日はわざわざ来て下さり…」
「ご丁寧にありがとう。轟姫花よ。御託はいらないわ?今日はそのために来たのでは無いのだから。」
ヒィンッ
彼女の凍てつくような声音と露骨な言葉の刃に内心びっくりした。
何とか人の好い笑顔を作れているだろうか。
…多分作れてない。なぜなら…
———すっごく、睨まれています。
敵意全開な彼女に、今すぐ帰りたい俺。
状況はどう見ても絶望的。
とんでもない逆境の中、それでもこの気持ちは伝えなければならなかった。
宙に浮くような感覚と熱い体、そして真っ白になる頭の中。
心には勇気も覚悟もなく、ただ勢いだけで———踏み出した。
俺は———
「———っ」
今この瞬間はきっと人生屈指の大一番。
死ぬまで忘れない、なんなら死んでも忘れられないだろうから。
これは10年後に青春と呼ぶことになる、誤答から始まる物語。
人物紹介
桐山 晴人
この物語の主人公。
轟 姫花
この物語のヒロイン。