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62の舟券  作者: 広瀬修一
7/22

変化


最終レースがおわり畑井老人と別れ広瀬と榊原の二人は帰路についた。


「すごい人やなぁ本当にわかるんかいなぁ」


広瀬が言うと


「あんなのは観念論や自分がそう思うからそうやゆうてるだけや、

科学的に証明できんことやからおまえの6ー2も、あの人の6ー2も

ただの偶然といっしょや」


榊原が大学に入学した当時は70年安保闘争のまっ最中で榊原も

その流れにのみこまれて日本共生党の組織する青年共生同盟という

セクトに入って学生運動に参加していた。


そこでマルクスの思想や唯物論をたたきこまれた榊原にとっては観念論だと

否定するのは当然だったのであろう。


ただこの日の少し前に榊原は日本共生党の青年リーダーと言い争いになり

青年共生同盟をやめていた。


広瀬に誘われるままに琵琶湖競艇場に来たのも気がめいっていて

気分転換のつもりだったのだ。


その後も広瀬は琵琶湖競艇場に一人で出かけては、畑井老人を探し出し

前走よりもエンジンが良くなった選手を教えてもらっては何度も

大穴を的中させた。


「菊山が妙な宗教団体をつくったもんで、わいは菊山とは別れた

そやけどあの時の修行が忘れられん、そやから死ぬまでに一度は本当の

四国八十八箇所を巡ってみたいと思うとるんや」


そんな言葉を残し畑井老人はぷっつりと競艇場にすがたを見せなくなった。


そこから広瀬の転落がはじまった、たびかさなる大穴的中の快楽に酔いしれて、

もう元には戻れなくて常に大穴をねらうようになったが、畑井老人がいなくては

的中するはずもなく広瀬は負けつづけた。


それでも毎日競艇場にいかないとがまんができなくなっていて、

競艇が開催されていない日は淀の競馬場や琵琶湖や向日町の競輪場にも

出かけ、稼いだ金はすべてギャンブルにつぎ込むようになっていた。


そんな生活が2年ほどつづき


「こんな事をいったいいつまでつづけるのか、

この先、自分はいったいどうなってしまうのか」


と思い悩むが、その翌日にはとりつかれたようにギャンブル場へ

向かってしまう広瀬であった。


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