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62の舟券  作者: 広瀬修一
2/22

オイルショック

1969年

広瀬と榊原は、伊勢市内にある伊勢山田高校を卒業すると二人は地元に就職、

しかし養護教員を目指していた榊原は、お金が貯まるとすぐ京都に出て仏教系の

龍神大学福祉科に入学し、学費を稼ぐためアルバイトでちり紙交換を始めた。


そんな榊原に2年後大きな幸運が舞い込んだ。


当時日本は、東京オリンピックそして大阪万博と続く、好景気に沸いていたのだが

突然オイルショックが襲い、世の中に不安が広がっていった。


そんな時大阪の主婦がトイレットペーパーが無くなってしまうと

騒いだことが契機となり、それがまたたく間に日本全国に広がって、

パニック状態になり一気に故紙の値が高騰していった。


まじめな榊原は町内会や団地などをコツコツと回り

たくさんの得意先をもっていた。


それが年末の大掃除の時期とかさなり、

12月だけで130万もの大金を懐に入れてしまったのである。


当時の大卒の初任給が5万円ぐらいだったから、たった一ヶ月そこらで

一般のサラリーマンの年収の倍の金額を稼いでしまったのだ。


正月、三重県に里帰りした榊原は、広瀬に


「京都に来いやボロ儲けやでぇ」


「住むとこも仕事で使う車も世話したるわ」


と言った。


広瀬は地元の伊勢観光ホテルに勤めていたのだが、自己中心的な性格であったため


「自分は接客業に向かない」


と思い始めていて、もうやめたいと思っていた。

そんなところに榊原の景気のいい話である、その場で京都行きを決めてしまった。


ところが職場の上司や両親の猛反対を受け、辞めるのに長引いてしまって

京都に出てきて、榊原の紹介で西京極にあるアパートを借り、

ようやく仕事を始めた頃には、国がトイレットペーパーの在庫は充分にあると

発表したことで、商社が大量のトイレットペーパーを倉庫に隠していたことが

発覚しパニックが一気に収まり、故紙の値が暴落してしまった。


当てが外れてしまった広瀬だったが、ちり紙交換の仕事をやってみると

これがなかなかおもしろい、1日分の車のレンタル代1000円を払うと

後はいっさい自由である。


好きなところで仕事をして好きな時間にやめ、集めた故紙を指定された

問屋に持っていくとその場で現金を受け取ることができた。


さらにホテルとは違い、客に気を使うことが全く無い。

広瀬は気に入り、そのままちり紙交換を続けることにしたのであった。


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