その後の話3【5】心臓に銀の花を刺して
私は休暇用のドレスをつまみ、早足で中庭を後にする。
離宮の回廊を歩いていると、ものすごい羞恥心で顔が真っ赤になってきた。
何? さっきのザクト。
フィニスの目の前で私を口説いたの?
ほんと!?
ぐ、ぐああああああああ!!
ザクト、どうしてそういう方向へ育ったの!!
わかる、わかるよ、ザクト、今、もてるね……?
めちゃくちゃモテるでしょ!?
わかるよ!!
壁ドン、顎クイ、おもしれー女、それが様になるのが今のザクト!
だけど今の私、そういうの全部、胃もたれするんだよなあ!!
わあん、今すぐすべてぶちまけたい!!
フィニスに憧れてたころのあなたのこと、一緒にフィニス愛を分かち合って、せっせと胴着に刺繍したこと! 全部全部ぶちまけて、あのころに戻りたい……!
考えるうちに、私はどんどん早足になる。
ひとりになりたい……と思った、そのとき。
背後から声が響いた。
「皇后陛下!! どうかされましたか!? 」
ざ、ザクトーーーーーーー!!
ザクトがめっちゃ心配そうな声出して追っかけてくる!!
待って、どうして!?
ここで来るべきはフィニスでは!?
いや……違った。これは、私のわがままだ。
会食の主は、フィニスなんだから。
途中で席を立つなんてできないはずだ。
フィニスは来ない。
ザクトはめっちゃ足が速い。
私は、よりによって人気がないほうに歩いてる!!
うわああああん、どうしたらいいの!!
……あっ!!
「そこのひと!!」
「…………え?」
円柱の陰から、すっとんきょうな声がする。
私はほっとして、円柱に駆け寄った。
「そうそう、そこの柱の陰にいるひと、ちょっと来て、私の身代わりになって!!」
「み、身代わりって、え、誰の? あなたの!?」
相手はうろたえているけど、関係ない。
私は柱の陰に手を伸ばし、使用人を引っ張り出した。
地味な顔の青年で、あんまり見覚えがないけど……お仕着せ着てるし、使用人で間違いない。
私は彼に、急いで自分のショールを巻き付けた。
「はいっ、じゃ、ここに立ってて!! で、向こうから騎士が来るから、来たら適当に逃げて。よろしくね!!」
青年の背中をぽんぽんして、手近な部屋に飛びこんだ。
扉の向こうは薄暗くて、かびくさい。
普段は使われていない部屋だ。
飾り格子にはまったガラスの向こうから、やんわり月光が落ちている。
廊下のほうからは、うろたえた使用人の声が聞こえてきた。
「え、あ、いや、その、さすがにこれじゃバレるんじゃ……」
バレても頑張れ!! 頑張るんだ!!
続いて、軽やかな足音と、ザクトの声。
「皇后陛下~。皇后陛下……あっ、そこですか!!」
「バレてない!! なんで!? なんでバレないんですか!?」
叫ぶ使用人。そして、二人分の足音がバタバタと遠ざかる。
……よーし。
よーしよしよしよーーーーし。
いい感じ。無事に使用人がザクトと追いかけっこを始めた気配。
私はとっとと逃げよう。
と、振り返ると。
無人だと思った、薄暗い室内に、人影があった。
長身の、男の、影…………。
「…………き……きゃーーーーーーーー!!!!」
わ、すごい!
私、ちゃんと貴婦人らしい悲鳴あげてる!!
日頃の訓練の成果だなあ、なんて思ってる場合じゃないんだわ。
真っ黒な人影は私に歩み寄り、手を伸ばしてくる。
誰?
わからない。
使用人じゃないと思う。
怖い。
怖い気配を感じる。
逃げなきゃ。
私は身を翻して、逃げようとする。
その手を、誰かが掴む。
「っ……!! ………………? ん?」
ぎょっとして、息を呑んだ。
直後、あれ? と首をひねる。
これは…………。
「こちらですか、皇后陛下!!」
ばん、と扉が蹴り開けられて、ザクトが飛び込んでくる。
私は驚いて彼を見た。
ザクトはすでに抜刀している。
殺気に光る獣の目をして、ザクトは、私の隣を見ている。
私の手を、捕らえた相手を。
ザクトはうなった。
「――陛下を放せ。さもなくば、貴様は騎士の剣の神髄を味わうぜ。その御方は俺の、心の花だ」
心の。
あ……そういう、こと?
「心の」
私の手を掴んでいる人影も、囁く。
……手触りのいい、ベルベットみたいな声で。
その声を聞くと、ザクトはきょとんとした。
「え? あ? あれ? ……そこにいるの、フィニスさまです?」
「うん。……そうみたい」
私はこっくりとうなずき、傍らの人影を見上げた。
廊下からこぼれる明かりに、金の瞳が反射している。
フィニスだ。
手を取られたときにわかった。
まぎれもなく、フィニス。私の最愛。
つまり、フィニスは、私を追って来てくれたんだ。
宴席なんか放り出して、礼儀なんか無視して、私を追って来てくれた。
そっか。そうなんだ。
ふわ。
ふ、ふわ……わわわわわわ……。
えええええ……。
し、沁みますね。
なんだかとっても、心に沁みます。
そして――ザクトは。
ザクトは慌てて剣を鞘に収めると、ひざまずいて深く深く頭を下げる。
「申し訳ございませんでした……!! 主君に剣を向けるだなどと、今すぐ首を切られてもおかしくないふるまい!!」
「そのとおりだ。だが、お前は皇后を守ろうとしたのだろう。心の、花と決めて」
フィニスが静かに言う。
なんだか、声がさみしそうだな。
私は心配になってフィニスを見上げ、次にザクトを見た。
心の花というのは、騎士が心に決めた女性のこと。
結婚できない騎士の、疑似恋愛みたいなものなんだけど……。
そこに色っぽいことはいっさいなくて、ただひたすらに騎士は相手を思い、女性は気まぐれに文通してあげたりとかして、日々殺伐とした騎士の心を支える、という関係だ。
女性側は既婚でも未婚でも関係ない。
心の花は、騎士同士の『盟約』とは違う、もっとふわふわ夢見がちなもの。
騎士団にいたときも、そんなことやってる騎士はほとんどいなかった。
でも……ザクトは、もう結婚できる身だよね?
なのに、私でいいの?
絶対手に入らない私を、心に置くの?
ザクトはというと、頬をほんのり赤くしてうつむいている。
「いやー……、はい。その、すみません。今日こそ上手いこと言い出そうと思ったんですけど、なんか、切り出そうとするたびに、皇后陛下がめちゃくちゃイヤそうなお顔になるんで、めげちゃって……」
「えっ、そうだった!?」
「あはは、あからさまでした~~」
「ご、ごめん!! それは、私がめちゃくちゃ悪かった。貴婦人らしくなかったし、あなたを、大事にしてなかった……」
私は本気で謝った。
恥ずかしい。しょうがないことではあるけど、恥ずかしい。
ザクトは純粋な気持ちを捧げてくれたのに、私は変な妄想ばっかりしてた。
ザクトはひざまずいたまま、静かに続ける。
「大事にしてもらわなくていいんですよ。俺は前線に出る騎士なんで。傷がついてなんぼと言いますか……そもそも、好きなんですよね、戦うのが。でも、いや、だから、なのかな。黒狼に乗るあなたを見たときから、あなたっていう存在が、俺の魂に刺さってるんです」
ザクトが語るのは、私たちが世界を救いに行ったときのこと。
そうかあ……このザクトは、そうなんだね。
そんなふうに思うのも、ザクトなんだ。
私がしんみりしていると、ザクトは急にフィニスを見た。
「……あの、もちろん、フィニスさまは敬愛しています。それはもう、わかってもらえてると思ってて。セレーナさまが皇后陛下なのも、もちろんわかってます。ただ、フィニスさまはもう、騎士じゃないから」
ぴくり、とフィニスの手が動く。
どういう気持ちなんだろうな、フィニスは。あとで、聞かなきゃ。
でも今は、ザクトの気持ちを、聞かなければ。
ザクトは私を、じっと見つめて言う。
「俺、セレーナさまの騎士になれませんか」
あー。
あー…………。
私は思わず空を仰いだ。
ザクト。あなたの気持ちは、純粋で、真面目で。
これを断れる気は、全然しない。
でも、これでいいのかな。
私は、フィニスは、ザクトは。
これで、いいのかな……?
「やっぱり、ダメかな」
ザクトがつぶやく。
見れば、彼はいかにもしゅんとしていた。
雨に濡れた子狼がいる、と思った。
私は、そっと口を開く。
「……誓って、くれるなら」
「はい!?」
ぱっと顔を上げるザクト。
すがるような彼の顔を見下ろして、私はゆっくりと言う。
「――私の騎士になるからには、死ねと言われて死ぬ騎士ではダメ。あなたは、いつでも自分が価値あるものだと自覚していなくてはならない。陶酔しながら、冷えていなくてはならない。部下の命も、自分の命も、陶酔の中で無駄遣いしてはならない。……わかる?」
「……はい」
ザクトはちょっと顔をしかめて、考えているようだった。
私は難しいことを言っている。
ザクトは、陶酔の中で死にたいひとだから。
フィニスの命令で死ぬのを夢みているひとだったから。
そんなザクトが、私の騎士になりたいって言うなら……。
そりゃあもう、生きろって言いますよね!?
酔っ払うなって言いますよ!!
残酷かもしれないけど、私はそう言いたい。
これが、私にできる精一杯だよ。
沈黙。
長い、長い沈黙のあと。
ザクトのしかめ面は、ほろりとほどけた。
「すげえ。そうか。そうですね。そうだ……戦って死ぬだけじゃない、生かすのも、真の忠義ってやつですよね!? そっか。そうだ、すげえ!! あなたやっぱり、ぎらぎらに輝いてますよ!!」
――はーーーー……。
よ、よかったよかった~~。
多分、少しは通じたのかな、私の気持ち。
私は胸をなで下ろし、フィニスの手をぎゅっと握り返した。
ね。これで、あなたを見上げて、あなたのために死にたいザクトは、いなくなるのかもしれません。
もしかしたら、そう簡単に変わらないのかもしれないけれど……。
今くらいは、ちょっと浮かれてもいいのかな。
「えへへ。照れますね、フィニスさま?」
「……………………君は、立派だ」
……おや?
私は慌ててフィニスを見上げる。
フィニス、優しい声と、優しい顔だけど…………。
私にはわかる。
これは明らかに、ガチ凹みしてる声と、顔ですね……!!??




