その後の話3【2】バルコニーで朝食を
皇帝、皇后両陛下が夏の別邸に移って二日目。
暗殺者である俺は、大樹の上にいる。
二人の寝室を見張るのに最適な場所だ。
寝室には、真っ白なバルコニーがある。
小さな部屋くらいあるそこには、美しい朝ご飯が整えられていた。
テーブルクロスもまぶしい円卓に載ったぷるっぷるのスクランブルエッグに、さくさくになるまで揚げたベーコン、香辛料を贅沢に使った豆のペースト、中はもちもち、外はカリッと焼き上げられた円いパン、それにかける糖蜜と、南国の果物を使ったジャム、ガラスの果物鉢からあふれるフルーツ。
あー……腹が……減った……。
いや、別に平気だけどね、暗殺者だし。
三日くらい食べなくても平気な訓練積んでるし、さっき携帯食料食べたし。
平気だけど、匂いがな……香辛料とバターと焼きたてのパンの匂いがな!
強烈なんだわ!! 暴力なんだわ!!! 腹の辺りを直撃するんだわ!!!!
は~~、両陛下、とっとと出てきて食っちゃってくれないかな。
それともなんだ?
まだそんなにお熱いわけなのか?
どうかと思うよ、そんな、庶民じゃあるまいし……。
おっ、出てきたか。
ふわふわのカーテンをかき分けて出てきたのは、軽く着替えたフィニスとセレーナ。
セレーナはやたらとすっきりした顔で、フィニスは……寝不足だな、これ。
「は~~! よく寝ました……!!」
「新しい寝台が体にあったようで、何よりだ」
「帝都のより、ふかふかしすぎてなくて寝やすかった気がします。帝都のもの同じのにしてもらいましょうかね? ちなみに今、何時くらいです?」
うーん、とのびをして、バルコニーの手すりに手をかけるセレーナ。
フィニスは突っ立ったまま、まぶしそうにぱしぱし瞬きをして言う。
「朝の八つめだな」
「朝の?」
「朝の」
「………………」
二人は見つめ合った。
しばしの沈黙。
………………。
………………。
そして、セレーナは絶叫する。
「あ、朝ーーーーーーーーー!!?? 私、プールで気絶したあと、朝まで寝てたんですか!?!?!?!?」
「そういうことになるな」
フィニスはこくりとうなずいて、バルコニーの椅子に体をうずめた。
うわあー。
うわー……。
かわいそ。
ええ、それ……揺り起こしたりしなかったのか?
そりゃ、真夜中に起こすのとかはまずいけど、晩ご飯とかさ?
もうそろそろ、充分寝たな、って頃合いでさ?
ゆさゆさって……それくらいしても、よくない!?
皇帝陛下なんだろ!?
今にもアドバイスしそうになる口を押さえ、俺は木の上で身もだえる。
さすがのセレーナもおろおろして、フィニスの向かいに座った。
「ごめんなさい、フィニスさま。さすがになんというか、常識外れな所業でした」
「睡眠に、常識的とか常識外れとかはないだろう」
「ある、と、思います。ある、ありますよ!! どんだけ眠かったんだ、私……」
「眠いなら、眠くなくなるまで寝る。それができるのが、休暇ではなかったか?」
フィニスは言い、円卓を指で叩く。
合図に気づいた使用人が音もなく現れ、フィニスとセレーナの杯に果物入りの水を注いだ。セレーナは真剣な顔でフィニスを見ている。
「……フィニスさまは、優しすぎる気がします」
「優しすぎる」
フィニスは水を飲みながら、考えこむように繰り返した。
こう見ると本当に、びっくりするほど美しい男だ。
装飾品の美しさではない。職人が研ぎ澄ましたナイフの切っ先のような……。
一方のセレーナは、かわいさの残る美貌で熱弁する。
「はい。いえ、その、私の……ためを思ってくださっているのは、わかるんですが!! 私はフィニスさまが大大大好きなので、フィニスさまご本人にも、フィニスさまをもっと大切にしてほしいというか!! し、したいことがあれば、その、はっきり言っていただきたいと、いうか……」
ひ、ひぇ~~~~、くすぐったーーーーい!!
えっ、そこまで言っちゃう?
貴婦人、そこまで言っちゃうの?
すごいなあ。貴婦人ってもっとこう、ふわっふわと遠回しなことばっかり言うもんだと思ってたけど。
相手思いだし、言いたいことはっきり言っちゃうし、しかもそのあと照れて真っ赤になっちゃうし、ちょっと荒々しくベーコン切ってるし、かわいいなあ。
どうなのよ、彼氏は~~。嬉しいんじゃないの~~?
そんなクールな顔でパンの上に料理山盛りにしてないでさ~~何か言ってみ?
ほれほれ~~。
「したいことはしている、というか、君の寝顔が爆裂にかわいらしくて」
「は、はい!?」
びくんと背筋を伸ばすセレーナ。
フィニスは、というと、淡々と山盛り料理にパンで蓋をしながら続ける。
「見るたびにわたしの中で世界が爆発四散してすべての情緒を破壊するのだが、そこを超えたあとにも無限の『かわいい』平原が見渡す限り広がっている……つまり、かわいいは無限であり不滅であり遠ざかったと思えば近づいてくる、ある種の円環なのだと気づいた」
「目覚めたひとみたいになっちゃってる……!?!?」
セレーナは目を白黒させている。
フィニスはセレーナを見ると、ほのかに笑った。
笑うと、フィニスの顔は人間らしくなる。
やさしく、やわらかく。
「だから朝まで、軽食をつまんだり読書したりする傍ら、ずっと君の寝顔を見ていた。至福だった」
「は、はわ……」
う、うへえ……。
バカップル……というのを遙かに超えて、なんだ、これは?
大丈夫ですか?
思い、強すぎません?
強いっていうか、深いっていうか、もう、熟年夫婦じゃないです???
そのままのノリでどっちかが浮気されたり、殺されたりしたら、どうするんですか?
っていうかここに暗殺者いますしね?
いかんなー、こうやって観察ばっかりしてると、心が鈍るな。
俺は暗殺者暗殺者暗殺者暗殺者、仕事は楽しいな楽しいな楽しいな楽しいな!
観察は仕事のため。何もかもは仕事のため。
そうだ、お仕事しよう!!
俺が気合いを入れ直した、そのとき。
セレーナは勢いよく立ち上がった。
薄化粧の上からでもわかるくらい真っ赤になって、必死に叫ぶ。
「あの、わ、わた、わたし……」
「どうした、セレーナ」
「わた、私は、そこまで大切にされるようなものじゃなくて……いえ、その、大切にしてくださるのは嬉しいんですが!!」
「うん?」
「わ、私だって……やりたいことはある、というか!!!!」
「やりたい?」
おいいいいいいいいいいいいい!!
女の子にここまで言わせといて!! どうしてお前の頭の上にはでっかい「?」が浮かんでるんだよ! 見えるんだよ、「?」が!! でっかくって無邪気な「?」が!!
やだもう!!
黙って見てられるか、こんなもん!!
つっこみたい!! つっこめない!!
鎮まれ、俺の体ッ……!!
俺は思わず自分の体を抱いた。
がさり、と木の枝が音を立てる。
――しまった。
次の瞬間、ひゅ、と風を切る音。
俺はとっさに枝の上に身を伏せる。
何があった。
視線を上げる。
俺が乗っている木の幹に、きらりときらめくフォークが刺さっていた。
びいいいいん……、と震えるフォーク。
視線をバルコニーに戻すと、フィニスと目が合う。
ぎらりと光る、金の瞳。
ぞっとした。
体が固まる。
殺気だ、と思った。
フォークは、フィニスが投げたのだろう。
セレーナも慌てて立ち上がる。
「フィニスさま、どうされました?」
「……あそこに、何かいる気がした。獣かもしれないな」
フィニスは瞳のぎらつきをゆるめ、セレーナに答える。
俺はその隙に、慌てて木の下へと降りた。
今日はこのまま、姿を潜めて……。
「獣!? そんなのいるんですか? だったら、狩りとかできますかね?」
……狩り!?
えっ、マジで!?
俺が固まっている間に、フィニスはごくごく優しい声でセレーナに答える。
「もちろんだ。用意させよう」
ば………………バカヤロー――――――――――――――!!!
俺は全力で駆けだし、新たな隠れ場所を探したのだった。