出立
そんなわけで場面はカストルと俺の問答から3日後の早朝、冒頭のシーンに戻る。
今日はようやく吹雪がやみ、上空には切れ切れに晴れ間が覗いているのが見えた。いつもよりちょっと暖かい、らしいがそれでもアホみたいに寒い。カストルが俺を助けていてくれなければ確実に凍死していた。俺が着ていた装備はあちこち裂けていて防寒の役には立たなかったので、今はカストルの古着を借りている。というか剣も多分魔王城に置き去りになってしまっているので買い揃えなければ……金は手持ちの分で足りるだろうか、と遠い目になってしまう。遠くを見つめたところでただひたすら白い地平線が見えるだけなのだが。
今俺たちはナヴィガトリア南部の開けた場所にいる。この辺りは本来は海なのだそうだが、表面は分厚く凍っていてとても海には見えなかった。
「この辺だと海の方から飛んできて長旅で弱ったドラゴンが休んでることが多いね。だから良い狩場なんだよ。まあさすがに夏になると表面の氷が脆くなって危ないから冬限定ではあるんだけど。」
「じゃあドラゴンは冬限定の食べ物ってことか?」
「まあ基本的にはそうだね。夏は北側の山の方で狩ることもあるけど、そこまでするのはおれくらいだよ。」
俺は振り返って集落の向こう側に微かに見える大きな山を見つめた。黒い点のようなものが数十ほど山の上を飛び交っているのが見える。多分全部竜種だ。あそこで狩り……と思ったが、カストルのレベルを思い出して俺は考えるのをやめた。
俺がげんなりしているのと反対にご機嫌なカストルはぴいっと甲高い指笛を吹く。ややあって頭上が嫌に暗くなった。次いで地面がゆれ、薄紫の鱗をしたドラゴンが降り立つ。人が3人は載りそうな大きさだ。……カストルの部屋にあったスケッチはこのドラゴンだ。角の形が同じである。
「彼女はフェリ。かわいいだろう?フェリ、彼はアルティ。ご挨拶して。」
ドラゴン、フェリは俺を睥睨し、小馬鹿にしたように鼻を鳴らして少しだけ頭部を下げた。……ううむ、カストルには従順なようだ。フェリは手足を折りたたんで座り込む。カストルは黒くて幅広な紐でフェリの体を固定していく。あれを手網にするつもりなのだろう。鞍をつける気はなさそうなので振り落とされないように注意する必要がありそうだ。
カストルが出立の準備をしている間暇なのであちこちに視線を巡らせていると、ふと集落の方から小柄な人影が走ってくるのが見えた。女性だ。白い髪と翡翠色の目をしていて、輝く女神のように美しい。
「カストル!」
「あれ、ゲルダ?」
彼女はカストルの前で息を切らして立ち止まった。以前カストルの部屋に押しかけてきた娘たちの中にはいなかった顔だ。こんなに美しい娘がいればさすがに覚えているし、あの時見た娘たちは皆健康的なふくよかさを持っていたが、彼女は折れそうなほどほっそりしている。
「どうしたの、こんな朝早くに。」
「それはあなたよ!皆に黙って出ていこうったってそうはいかないんですからね。あなたのことならなんでもわかっているのよ、私。」
目に涙を貯めて言い募る彼女と困った顔をしているカストル。俺は完全に蚊帳の外、空気も同然である。フェリに困ったな、と声をかければ彼女はフイっとそっぽを向いた。か、可愛くねえ。
「どうしても行ってしまうの?」
「そうだよ。どうしても行ってしまうんだ。やることができたからね。」
「いつ帰ってくるの?」
「さあ、夢破れてすぐ帰ってくるかもしれないし、二度と帰ってこないかもしれない。でも行くんだよ。これだけは揺るがない。」
「決意は固いのね。……いいわ、あなたなんてどこへでも行ってしまえばいいのよ。」
「うん。」
「皆には私から言っておくわ。あの薄情者のカストルは皆に黙ってどこかへ行ってしまったって。皆がまだ眠っているうちになーんにも言わずにどこかへ行ってしまったって聞いたら、皆怒るに違いないわ。」
「そうかも。」
「だからきっと、謝りに帰ってくるのよ。」
「ありがとう。……元気でね、ゲルダ。」
「あなたこそ。」
感動的な旅立ちの場面だが、カストルの目的は以下略。暇なので俺から目を逸らし続けるフェリの顔を追いかけてぐるぐる回っていると、そこのあなた!と声をかけられる。
「はい?」
「あなた、カストルが拾ったって言う子でしょう。」
カストルがここから出ていこうとするのはあなたがそそのかしたに違いないわ、とでも言われてしまうのだろうか。美少女、もといゲルダは俺の元までつかつかと歩み寄ってくる。彼女は俺の手をガシリと掴んだ。華奢な見た目にそぐわない力強さだ。ナヴィガトリアの成人平均レベルが50前後だと言うのは確からしい。
「あのね、カストルは言い出したら聞かないしあの顔なのに女の子には興味が無いし、そのくせ優しくするもんだから中途半端に気を持たせるし、はっきり言ってダメ人間よ。」
「は、はあ。」
「だから一緒にいていやだなって思うこともきっとあると思うわ。でも見捨てないであげてね。」
罵るどころか励まされている……。え、どういうこと?
「あの、カストルを連れて行かないで、とかなんかないのか?」
「ないわ。カストルがそうしたいって自分で決めたんでしょう。私が止めることなんて出来ないし、もちろん彼について行くこともできないわ。私は逞しくもなければ特別強くもないし、カストルを連れて空を自由に飛ぶこともできないんですもの。」
ゲルダは悔しそうな顔をしている。……本当は、引き止めたかったしずっとここにいて欲しかったんじゃないか。彼女は、カストルのことを……。
「……まあ、任せておいてくれよ。あいつが目的を果たしたらこっちに顔を見せに行くように言うから。」
「本当?」
「もちろん。ふんじばって連れてくるのもやぶさかじゃない。」
俺が胸を張ると、ゲルダは顔を弛めた。カストルは己の運命を求めて旅を始めるのに、ゲルダはそれも知らないでここで待っているのだ、と思うとゲルダはカストルを1発殴ってもいいような気がしてくる。当のカストルは既にフェリの上に乗っかって俺とゲルダが話終えるのを呆けた顔で待っていた。
「あ、終わった?」
「……お前、1発ゲルダに殴られてこい。」
「なんで!?」
フェリによじ登るとカストルは手網にした黒い紐をぐっと持上げる。フェリは心得たとばかりに立ち上がり、翼を広げた。
「ちゃんと掴まっててね。」
「ああ。」
視点が上に上がっていく。フェリが地上から離れているのだ。地上を見下ろすと、どんどんとゲルダが、そして白い大地が遠くなっていくのがわかる。徐々に何もかもが海の上の小さな染みのようになり、手を大きく振るゲルダの姿が見えなくなっても、俺は地上を見つめていた。
長くなりましたが序章はこれで終了です。少しでも面白いと感じていただけたなら幸いです。
続きも書け次第更新していくつもりなのでよろしくお願いします。