カストル青年の恋
カストル・リンドヴルムの朝は早い。彼の朝は、愛しい彼女に挨拶することから始まる。
「ああ、おれのかわいいドラゴン、今日も素晴らしく愛らしいね……」
うっとりと微笑むカストルの目の前には雄々しく立派な四肢をもち大きく翼を広げたドラゴンの絵姿。カストル自身による力作である。
ナヴィガトリアの民に特有のプラチナの髪に嵐の前の夕焼けのような瞳をしたカストルは、見た目だけは非常に美しい。けれども彼には難点があった。それがこの毎朝の習慣に象徴されている。つまりカストルは、ドラゴンフェチなのだった。正確にはドラゴンの大きな翼と逞しい四肢、爬虫類っぽい瞳と捻くれた角を偏愛しているのである。人間を歯牙にもかけない気高さも空を飛ぶところも素晴らしい。そんなカストルにとって近所に住むうら若い乙女たちは全くの恋愛対象外だった。
(彼女たちは、そりゃ可愛いけど、羽も生えてなければ角もない、手足も逞しさとは無縁だし……それにおれによく構うし……)
そんなカストルにナヴィガトリアの娘たちは涙することしきりだった。国1番の美貌を誇るゲルダをすらカストルは袖にしたのである。ちなみにゲルダに唯一釣り合うほどの容姿を持ったカストルは国中の男たちにやっかまれ疎まれていたが、この一件で男たちの態度が軟化したのは完全な余談だ。
ある日のことである。カストルは、剣を持って出かけた。小さなドラゴンを狩るためである。美しい上に美味しいだなんて、ドラゴンってのはなんてすてきな生き物なんだろう!きっと神に愛された生き物に違いない、というのが彼の持論だった。このあまりにも頭のネジが緩んだ矛盾とも取られかねない発言を擁護するのであれば、彼はドラゴンのことを「食べちゃいたいほど愛している」のである。
加えて言うならば、ナヴィガトリアではドラゴンはごく一般的に食卓に並ぶ生き物だった。もちろん、狩る時はとても大変な思いをしなければならないので滅多に食卓には並ばないご馳走だが、カストルは1人でドラゴンを狩るほど強かった。そこも近所の娘たちを舞い上がらせ、また落胆させる要因だったのだが、カストルに言わせれば「おれは愛しいドラゴンに釣り合うために強くなったのに何故赤の他人に持て囃されたり落胆されたりしなければならないのだろう」とのことである。
閑話休題。カストルは一人暮らしなので、1人でしばらく食べられるくらいの大きさのドラゴンを狩ろうと考えていた。集落からは離れた海のあたりをうろうろしていればはぐれドラゴンが何頭かこの付近に迷い込んでくるのが常だったので、しばらくここで待つくらいの準備はあったのである。
さてそんなわけで2時間は待っただろうか。ズシン、と大きな音が聞こえてきた。吹雪に紛れ手気配を消すために纏った白い上着のフードを押し上げる。するとどうだろう────そこには山と見紛うばかりの巨体があった。
(お……おおきい……!)
この辺でも滅多に見ないほどの大きなドラゴンがそこにいる。その威容からは数百年、いや数千年も生きてきたのでは無いだろうかと思われた。普通ならそれを認識した時点で恐れをなし、命を惜しんで逃げ帰ったはずである。……その点カストルという青年は普通ではなかった。
18年の人生でも見たことがないクラスの巨躯を誇る竜に彼はこれまでにないほど興奮していた。彼の頭にあることといえば、このドラゴンに近づきたい、触れたい、スケッチしたいということだけである。なので、彼は全く気が付かなかった。上空から何かが豪速球で迫っている、ということに。
しばらくカストルはドラゴンの巨体に見惚れていた。異変に気づいたのは数分後のことである。ドラゴンの巨体がずるずると傾いているのだ。はて、これはただ事ではない。ドラゴンはややあって、どしん、とカストルのいる方向に向かって大地を揺らして倒れ込む。まるで反対側から何かに押されたように。
「いやあ、そんなまさか……」
ゆっくりと気絶して倒れてしまったドラゴンの周りを回り込むと、何かが落ちていた。何か、というか……人である。カストルはびっくりした。この辺では見た事のない、赤と金の混じりあった不思議な髪色だ。眼球は裏返って白目を向いていてどんな色かはわからなかったが。
近寄ってみてさらに驚く。状況から見て彼がドラゴンの脇腹にぶつかったのはまず間違いないようだが、それによって負っただろう傷は見当たらなかったのである。傷らしい傷といえば、ザックリ開いた胸元から覗く大きな裂傷を焼いた痕くらいだ。さらに注視すると、謎の少年の頭の右上辺りに白い文字がピコピコと点滅する。消えたり出たりして良く読めないが、表示はヒューマン、レベルは85。カストルは驚いて目を見開いた。普通レベル85程度の耐久力ではドラゴンの装甲には勝てないはずだ。
『あら、人がいたのね。ごめんなさい。けがはない?』
ふと声が聞こえてきて、カストルは顔を上げた。そして度肝を抜くことになる。はるか上空には点のような何かが浮いていた。普通の人間には何が浮いているのか全くわからなかっただろうが、カストルは「ドラゴンにも釣り合うように」と視力も鍛えていたので、バッチリくっきりその正体を看破したのである。
それは空を飛ぶ異形の少女だった。手足は半ばから鱗に覆われて長い爪を生やしていたし、黒黒した髪の隙間からは捻じ曲がりながら天を衝くような角が生えていたし、背中からは蝙蝠の生やしているものに似た翼が飛び出している。冷え冷えとした金色の瞳には縦に裂けたような瞳孔があり、冷たい双眸で下界を見下ろしているのがどうにも恐ろしげだった。────しかし、考えて見てほしい。この少女の身体的特徴は、カストルの恋愛対象の条件を全て満たしているのである!誰もを魅了するような美貌にカストルの好む要素がくっついているし、それに彼女のつまらないものを見るような目。その少女の外観はこれまでになくカストルの心を動かした。そんなわけで、カストルは彼女にコロッと恋に落ちたのである。
『あなた、頼みたいのですけど、そこで気絶している人を助けてあげてください。』
「はい、それはもう、貴女の頼みだと言うのであれば喜んで!」
『そうですか、それでは私はこれで。』
「あっ、待ってください!お話を……せめてお名前だけでも!ちょっ、待ってー!」
カストルの懇願虚しく彼女は飛び去っていく。カストルは一瞬失意にくれたが、他でもない彼女が目の前に気絶している少年を他ならぬカストル自身に託していったのだということを思い出し、すぐに立ち直った。この少年がなにか彼女のことを知っているかもしれない、と考えたのである。そういう訳で彼は気絶した少年を引きずって自宅に戻った。
目的としていたドラゴンを狩り忘れたことに気づいたのは、少年が目覚めた時のために暖かいスープを作り始めてからのことである。