8.地上へ戻ろう
前回のあらすじ 上層に入ってすぐ、呪いのペンダントを装備してしまった。
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「ブラは無理」
胸が苦しくて息が詰まる。 これは持ってても仕方ないから飾っておこう。 ちなみに胸当ても無理だった。
ブラジャーこそ早々に諦めたけど、ショーツは久し振りに身に着けた。 ずっと履いてなかったからかなり違和感がある。 正直ちょっと脱ぎたい衝動に駆られてる。 ここだけ切り取ると露出狂に聞こえてしまう。 お巡りさん、違います。
兵士が身に着けていたであろう肌着も洗った。 残念ながら黄ばみはほとんど取れなかったけど汗を吸うという意味では今の皮の服より断然マシだと思う。 出来るだけワンピースを着ていたいのでワンピースを汗まみれにしないように服の下に着てみた。 ちょっと肌着がはみ出るけどそれでも布の服に比べたら天地の差。 全然許容出来る。
剣は元々扱えないので持っていくつもりはない。 その代わりペンダントの持ち主が使っていたであろう短剣はお守り代わりに持ち歩く事に決めた。 ちなみにワンピースのどこに短剣を装備していたのかわからず、改めて倉庫室を見回すと、兵士が剣を差す為に身につけていたであろう腰ベルトと同じ所にサイズ違いの腰ベルトが紛れ込んでいた。
「うわっ。 すごく歩きやすい」
靴を履いて初めてのダンジョン探索だったけど、足元の尖った石などを気にする事なく歩き回れるのが素直に嬉しい。 それに安心感からか一歩の歩幅もまるで違う。 靴ってこんなに便利なものなのかと改めて実感してしまう。
足元に翼がついたような感覚でどんどん先を進んでゆく。
ある程度建った時にクワガタ型の魔物を見つけた。 この上層には3種類の魔物がいると聞いていたけど、ずっとバッタ型ばかりだったので新鮮さと緊張が入り混じる。
クワガタ型魔物は、私の足程ある巨大なハサミを有していて、敵と認識した相手に突進し、挟み込んでくる。 一度挟まれたら最後、頑丈な鎧などを装備していない限り、人間の骨など簡単に砕けてしまうという。 勿論今の私もサイズの合わない胸当ては置いてきてしまっているので挟まれたら一溜まりもない。 挟まれれば、の話だけど。
バッタ型魔物と同様に向こうの索敵範囲に入る前に相手の足元に泥魔法を使う。 クワガタなのに羽を持っていないので、他の魔物と同様に成す術もなく泥に飲み込まれていった。 クワガタ型魔物からは赤色のゼリーがドロップしたけど、それは魔物から落ちる食料の中で断トツに美味しかった。 栄養素の問題があるかもしれないけど、「クワガタ型魔物は見つけ次第全部沈める」と強く心に秘めた。
「あ、あれ?」
ゼリーを食べた直後位から急激な眠気が私を襲う。 ぜりーに毒はないのは知識で知っている。 なのでこの眠気はレベルアップしたという事で間違いない。 間違いないのだけど納得がいかない。
未知の層に入るにあたり、浅層の魔物を数百匹倒してもレベルが上がらない位まで上げ、更に念には念をと、相当な時間をかけ無理矢理レベルを上げた直後に私はこの上層に降りてきた。 なのに上層の魔物をたかだか10匹程倒しただけでレベルが上がってしまった。 これでは浅層で頑張った意味がまるでない。
文句を言っても仕方ないので、重くなった瞼を閉じないように住居に戻ろう歩みを進める。
「うう、ここからだと1時間くらいかかっちゃう」
この短期間でのレベルアップは完全に想定外だったので、住居からかなり離れてしまったのが完全に裏目に出た。 せめてどこか安全に休息出来る場所がないかと歩きながら見回すけど、そんな場所はどこにもない。 この酷い眠気の中、またしてもバッタ型魔物と遭遇してしまい、泥魔法で沈めたけど、沈んでいる姿を見ている僅かな時間にも意識を失いそうになってしまった。
30分程歩いたところで遂に意識が朦朧としてきた。 本当にマズい。 私は何とか立て直そうと岩肌の壁にもたれかかる。
「ここがお部屋だったらなぁ……あ」
私は何をしていたのだろう。 いつから住居は一か所しか作れないと思い込んでいたのか。 いくら頭が回らないからって今の私はあまりにまぬけ。
後で治せるからと私は持っていた短剣で左手を傷付けた。 痛みにより少しだけ冴えたので土魔法を使い通路と住居を作る。 とにかく急いで作ろうとしたので、思いの他大きな部屋が出来てしまったけどそんな事を気にする余裕もない。 通路とダンジョンの境目に設置した岩壁もこれまでで最も雑に作り上げた。 あからさまに他の岩肌と種類が違うが、魔物から逃れられればいい、と思考もかなり乱暴になっていた。
そうやく最低限の住居作成が終わった。 ダンジョンを繋ぐ通路から部屋へ身体を引きずるが安心感からかまずます眠気が強くなり、通路の途中で崩れ落ちた。
……左手だけでも治さないと。
既に世界がぼんやりして視界の確保も難しいけど、左手の辺りが赤く染まっているのがわかる。 いくら後から治癒は出来ても失った血液までは戻らない。 恐らく意識を完全に失ってしまうまで10秒もない。 現実と夢の狭間で出来るだけ濃い魔力を全身に循環される。 怪我をした左手がぼんやりと温かくなる。 怪我が治っていく過程で起こる現象なのでもう何の懸念もない。 そのまま静かに地に身体を委ねた。
目を閉じた状態からわかる程の青く輝く光が胸元の水晶辺りから出ていた事や、その直後ダンジョン全体を揺らす程の凄まじい咆哮が鳴り響いた事とか意識を失っていた私が知る余地はなかった。 うん。 それらは全部夢のお話という事にしておこう。 おやすみなさい。
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「ダイジョーブー ダイジョーブー ナニモオコッテナーイ ヒカッテナーイ」
おかしな夢のせいで熟睡ができず、はっと目を覚ました時には全身から寝汗が噴出していた。 残念ながら肌着を通り越し、ワンピースまで汗で湿ってしまっていたので、帰ったら洗わないといけない。
ううん、そんな事より……。
もしこれからする確認で私の不安が杞憂だったならば喜んで奴隷服である布の服を着よう。
私はワンピースに隠れている水晶を服の上から触れる。 ここで水晶の感触がなければどんなに素敵な事だろうと思ったけど、当然ワンピースの下にコツっと硬いモノがある。
見たくない。
でも見ないといつまでも私に安寧の日々は訪れない。 ……見たらもっと深刻な状態になる可能性もあるけど。
もう破れかぶれだと、一気に首元の細い銀色のチェーンを引き寄せる。 水晶が服の間から顔を覗かせたけど、まるで今の私の顔色を完璧に再現しているが如く、透明な銀色だった水晶は真っ青にその色合いを変えていた。
「うあぁぁ!」
夢だけど夢じゃなかった。 私の脳裏に傘を差しながらコマに乗る某人気アニメーション映画の主人公姉妹のセリフが頭の中を反復する。 彼女たちはそれをとても嬉しい事のように言っていたけど、私に関しては絶望以外の何物でもない。 色から想像するに確実に眠る直前に行った治癒魔法というか水魔法が関係しているような気がする。
「となるとあの恐ろしい咆哮も現実……」
水晶の発光と咆哮はほとんど同時に起こった。 どう考えても偶然じゃない。 こんな恐ろしい所にはいたくないし、とにかく絶対に咆哮主とは会いたくない。 まだ暫くダンジョンに籠る予定だったけど、あんな恐ろしい咆哮主と相対するより地上で奴隷商に追い回された方が余程マシ。
そう考えた私は浅層への階段へ向かう。
速足で移動し続けていた時ピタっとその動きが止まる。
この先の通路から人の気配がする。 しかもかなり大勢の。
私はそこで少し迷う。
今までは私の情報が見張りに伝わらないように誰にも接触しないようにしてきた。
結果的に誰にも会えてないけど。
けど今は見つかる覚悟でダンジョンから出ようとしている。 どちらにせよ見つかるなら前方にいるであろう冒険者の人たちと上手く接してパーティーとして見張りをやり過ごせないかと思考する。
幸いにも交渉に使えそうな素材や20セットを越える鎧も住居にはある。
だけど何かが引っかかる。
元々穴だらけの思考だけど、強烈な落とし穴というか重大な見落としというか。 そういう不安が私にあった。
「……わからないけど、一旦様子を見てみよう」
前方から来る気配は真っすぐこちらへ向かっている。 私は近くの岩肌の壁を魔法で押し込み、短い通路を作り、すぐにその出入口を薄い岩壁で埋める。 その上で小さな覗き穴を開け、外の様子を伺う。
前方にいた集団はすぐにこちらまでやってきた。
王国兵……と……えっ!?
私は思わず目を疑う。 やってきたのは冒険者ではなく王国兵の集団。 皆私が回収したものと同じ鎧を身に着けている。 その中明らかに兵士より階級が上だという見栄えがいい鎧に身を包んでいるのが2人
。 その2人はどちらも顔馴染み。 そしてもう1人、私が二度と見たくない顔が覗き穴から見えてしまった。
その男は私をこのダンジョンまで連れてきて、瀕死の大怪我をした私を見捨てた人物。
「奴隷……商人」