第八話 新藤さん
「きっかけ」の神様と何やら可笑しな踊りをしてから数週間。
あれから新藤さんとの「きっかけ」は訪れず、神様も姿を見せていない。
僕は毎日いつもと変わらないルーティンをこなしていた。
仕事へ行き、定時に会社を後にしてミントへ寄り自宅へ帰る。
一つ、いつもと異なるのはミントで買っていたお気に入りの炭酸飲料を飲んでいない事だ。
ミントであの炭酸飲料をすっかり見なくなったのだ。
初めは在庫切れだと思っていたが、あれからいつまで待っても補充がされていない。
店が取り寄せを辞めたのかと思ったが、炭酸飲料の置かれていた冷蔵庫の箇所には
未だに値札と商品名が書かれた紙が置かれており、空きスペースとなっている。
物足りなさを感じてた僕は、インターネットで炭酸飲料を調べてみたが、特に販売中止などの情報も見つからなかった。
「いらっしゃいませ」
金曜日。キャバクラ恋歌の帰り道、ミントへ寄った。
普段あまり飲まない僕だが、今日は飲む気にもならずアルコールを一滴も身体に入れていない。
頭がスッキリとして、気分が良かった。ミントの店内に漂う爽やかな香りがいつもより感じられる。
僕はドリンクコーナーでお気に入りの炭酸飲料がまだ入荷されていないことを
横目で確認すると、リンゴジュースを手に取ってレジへ向かった。
今日も新藤さんがレジで会計をしてくれた。
この前の一件で、気持ち悪がられたり警戒されると思っていたが
そんな事もなく新藤さんはいつもの様に事務的だった。
「あの・・・」
僕がレシートを受け取り、その場を立ち去ろうとした時
新藤さんが口を開いた。
「ごめんなさい。いつもお求めのモノですが・・・もう少々お待ち下さると」
新藤さんがそういうと僕の方をみて申し訳なさそうな顔をする。
初めて目が合った気がした。その端整な顔立ちと透き通る様な白い肌、切れ長な瞳が僕の方に向いている。
「いえ・・・こちらこそ済みません」
「恐らく、来週には入荷すると思いますので」
「あ、はい。済みません。楽しみにしてます」
突然の事で僕は動揺した。
声は震えており、顔が熱くなるのが解る。
恐らくうまく笑顔が作れていない僕は気持ち悪かったと思うが
僕の言葉に新藤さんが優しい笑顔を見せた。
信じられないが、それは偶然見かけたあの優しい横顔と同じだった。
もしかしてこれが「きっかけ」か。
ぎこちない足取りでミントを後にし、自宅に向かうオレはいつの間にか軽快な足取りに変わっている。
これだけのやりとりで、こんなに上機嫌になるなんて不思議だった。
それとも僕が阿呆なだけかもしれない。
二三度言葉を交わし、ちょっと笑顔を見ただけで僕の心のどこかが満たされる様に感じた。
幸福と表現していいのだろうか。簡単過ぎないか。
自宅に着くと僕は、部屋の灯りを付け、いつもの様にTVの電源を付けた後アクション映画を再生した。
暖房をつけっぱなしにしている為、部屋は暖かく僕を迎えてくれている様だった。
一人暮らしにしては綺麗に見える僕の部屋だが、趣味もなく物欲も無いため単純に殺風景なだけである。
けれど気に入っている部屋であり安らぎを与えてくれる場所だ。
ホコリが目立つフローリングに腰を下ろしミントで買ったリンゴジュースを飲む。
いつもより甘く感じ頬が緩む。
「元気かい?満くん」
突然、トイレの方から聞き覚えのある声が聞こえた。
水が流れる音とトイレのドアが開くと穏やかな表情の神様が立っていた。
僕はもう驚かず、近くにあった座布団を手に取りそこに座るように促す。
「久しぶりですね。もう来ないのかと思っちゃいましたよ」
「そうだね。随分遅くなって済まないな」
神様が座布団に腰を下ろすと、いつの間にか手に持っていた缶コーヒーを景気よく開けた。
「僕は常に満くんの中で見ているんだけど、彼女に若干近づけてようだね」
「え、ちょっと待て。聞いてないんですけど。僕の中にいるんですか」
「言ってなかったかな」
「・・・言ってなかったです」
神様が言うには、きっかけを与える為にかなりパワーを使うらしく
姿を維持するパワーがなくなってしまうらしい。姿は維持できないが
意識はあるらしく、意識のみで僕の中へ宿って力が回復するまで待っていたという事だった。
先ほどまで浮かれていた事を思い出した僕は恥ずかしくて仕方がない。
「さて。次の「きっかけ」を聞こうか」
そんな僕を気にせず、神様は缶コーヒーを飲み干すと顎から伸びる長い白髭を揺らして喋った。
白髭がコーヒーで少し染まっている。
「残る「きっかけ」は2つだ。満くん・・・君は何を望むんだい」