第六話 欲求
自宅、僕は神様とテーブルを囲み真剣な表情で生唾を飲んでいた。
時計の針は2時を指しており、暖房の微かな音とTVに映し出されているアクション映画がクライマックスシーンを迎え、俳優の決め台詞が深夜に響き渡る様だった。
「僕は意中の人とお付き合いをするきっかけがほしいです」
そう僕が言った後、神様がぽかんと口を開け僕を見つめる。
一瞬時が止まったように感じるほど、あまりにその間が長い。
「なんですか」
ムッとする僕に慌てて神様が穏やかな表情をした。
僕の願いがそんなに意外なものだったのだろうか。
「失礼した・・・意中の人っていう人を具体的に思い浮かべてくれるかい」
僕は夜中のミントで働く新藤さんを思い浮かべた。
レジで業務を淡々とこなす新藤さんと、偶然見た優しい横顔の新藤さんが僕の頭に浮かんでくる。
「満くんは、こういうキリっとした人が好きなんだね。にても面食いだなぁ」
神様が顎に生やした白髭を撫でると、目を細めて僕を見た。
「え。ちょっと、もしかして見えてるんですか」
「今僕は満くんの頭の中にいるからね」
顔面の温度が上がるのを感じる。こんな感覚は久しぶりだった。
「さすが神様ですね」
こんな感覚が物凄く恥ずかしくて僕は神様から顔を背ける。
考えてみれば、恋愛というものを意識するのは学生時代ぶりなのだ。
僕はその頃から恋愛もあまり冒険をするタイプではなく
高校生の頃になんとなく幼馴染みと付き合うことになった。
その幼馴染みとは、高校を卒業すると共になんとなく離れて気付けば自然消滅していたが、僕は少しも悲観せず日々をただ過ごしていた。今思えば、あれは恋ではないのかもしれない。
彼女は僕と付き合って良かったのだろうか。時間を無駄にしてしまったに違いない。
「過去に浸るのも成長には必要だが、過去を思い返してネガティブになるのは良くないぞ」
「また見てたんですね」
神様がゆっくりとティーカップを口に持っていく。
「また迷っているみたいだね」
「ちょっとだけ」
「なんだい」
神様が穏やかに僕を見る。僕はその瞳をじっと見て
神様の瞳の中に映る自分をぼんやりと見つめた。
「僕は知っての通り、なんとなく生きてきた人間です。このきっかけも自分の中では結構踏み込んだんです」
僕には人間として欠けているものがある。
それは「欲求」だ。
いつからこうなってしまったのか、直接的な原因は僕にも解らないけれど
昔は何かしたい事や成し遂げたい事があったと思う。
だけど僕は変わることを辞め、得ることを辞めた。
そして変わらない事を軸にしてそれが一番だと思い、感じていた。
平穏を愛していた。
「好きだからどうしたいとか・・・例えば結婚がしたいとか・・・一緒に暮らしたいとかはないんです。見ているだけで良かったんです」
「・・・本当にそう思うのかい」
僕の脳裏に日々の風景が流れこむ。
僕は幸せなんだ。本当にそうなのか。
もし新藤さんと近づけたらどうだろう。少なからず僕の生活は変わってしまう。
それは僕が避けてきた事だ。
「・・・わかりません。今は少し新藤さんの事を知りたいと思ってます。」
「そんな難しく考えなくてもいいんじゃないか。好きなら進めばいいじゃないか」
「・・・はい」
僕を見つめる神様の表情が優しくなる。
いつの間にかテーブルの上に僕の湯飲みが置かれ、そこに神様が紅茶を注いだ。
紅茶を神様と一緒に啜る。温かい。
「じゃあ、改めて・・・新藤さんと満くんの距離を縮めるきっかけを与えよう」
そう言って神様が立ち上がる。そして拳を高く上げる。
「君の世界にきっかけを!チャンスゲットチャンス!」
神様が腰を絶妙に振り、高く上げた拳をグルグルと回した。
「なんですか。その恥ずかしい踊りは」
神様が誇らしそうな顔で座っている僕を見る。
「儀式だよ。きっかけを与える為のいわば魔法の呪文みたいなものさ」
神様が意気揚々に顎から伸びている白い髭を揺らす。
腰を絶妙に左右へ揺らし、高く上げた拳をわたあめを作るように
グルグルと回すこの動きはヘンテコでアホらしかった。
「君の世界にきっかけを!チャンスゲットチャンス!はい!満くんも!」
「え。僕もその恥ずかしい踊りをするんですか」
「当たり前じゃないか」
「どうしてもやらなきゃですか」
神様は僕の手を引き、僕は漸く立ち上がった。
そして声を合わせる様に言われ、恥ずかしながらも僕は声を上げる。
「君の世界にきっかけを!チャンスゲットチャンス!」
深夜に響き渡る僕たちの声がなんだか可笑しかった。
「よし」
神様が満足そうに頷く。
僕はそんな顔の神様を見て何故だか少し気持ちが穏やかになっていた。
癒し系神様に多少影響されているのかもしれないな。
「なんかこう。じゃじゃーんみたいな音というかアクションというか・・・ないんですね」
「なるほど。それは必要だな。参考にさせてもらうよ」
神様は穏やかに言うと、またその場に座り込みティーカップに熱々の紅茶を注ぐ。
「ちなみにいつ・・・そのきっかけが起こるんですか」
数秒の沈黙の後、神様がティーカップを口元に持っていき紅茶を啜る。
紅茶を啜る音が僕の殺風景な部屋に響き渡った。
「それはわかんない。明日かもしれないし、明後日かもしれないし。来週かもしれないし、来月かもしれない」
「なにそれ・・・」
「心配するな。必ずきっかけはくるから」
「なにそれ・・・」
そんなやりとりを交わした数分後、神様は僕の前から静かに姿を消していた。
日の光がカーテン越しにも感じられる。どうやら朝を迎えたようだ。
またしても睡眠不足を実感した僕は、ため息を大きく吐き、冷蔵庫で冷えているお気に入りの炭酸飲料を空っぽの胃に流し込んだ。