第三話 神様
頭がどうかしたのだろうか。
僕は頭を抱え、テーブルの向こうの白髭老人を睨む。
そんな僕を見つめ、男性はにこやかに茶を啜る。
逃げることや助けを呼ぶことを諦めた僕は、男性を自室の座椅子に腰を下ろしてもらった。
男性は相変わらず穏やかであり、僕の心は次第に冷静を取り戻しつつあった。
「さて、さっきも話したが僕は神様なんだよ」
「そうなんですかと素直に受け入れられないんですけど」
「じゃあどうしたら信じてくれるかな」
「神様にしか出来ない事とか見れば納得するかもしれませんけど」
「ドアを閉ざしたり、スマホを操作してみたりしたよ」
「調子が悪かったのかもしれません」
「んー。君はなかなか頭が固いのかな」
「普通ですよ」
「じゃあ今僕の力でこの部屋から出れない様にしているんだけど・・・試してみるかい」
男性は仙人の様に笑い、どこからでも出てみろと言う。
試しにベランダへの引き戸を開けてみる。
力を込めても確かに開かない。
本来、安アパートのベランダには僕が育てている植物が並んでいるのだが
引き戸のガラス板からそれが見えない。
酷く曇っている様なので手で擦ってみるが何も変わらずだ。
他にも窓を開けようとしたり、もう一度玄関のドアを開けようと試みたがビクともしない。
僕はため息をついた後、冷蔵庫から随分濃くなってしまっている水出しの麦茶を取り出し
コップと一緒にテーブルの上に置いた、手汗はいつの間にか引いていた。
「信じがたいですけど、本当に神様なんですか」
「いかにも」
「こんなイメージ通りのビジュアルだとは思わなかったです」
「それは当たり前なんだよ。これはあんたの・・・佐藤満くんの思い描く神様を具現化した姿だからね」
自分の名前を口に出された事に驚きつつ、僕はテーブルの上のお茶に手を伸ばした。
「それでどういったご用件ですか」
「単刀直入に言うと、満くんに人生のイベントを・・・いわば「きっかけ」を与えにきたんだよ」
「どういうことでしょうか」
「人には色々なイベントがあるだろ。誕生、受験、入社、結婚、出産、我が子の巣立ち、死。色々あると思うんだけど、これには必ず「きっかけ」があると思わないか」
「まぁ確かに」
「結婚するには相手と知り合うきっかけが必要だし、就職先なんかもきっかけで固まっていたりする」
「でもなんとなくってのもないですか。なんとなくこっちがいいとか。感覚的な選択。僕なんて特にそればかりだと思います。なんとなく進学先も決めたし、今の会社に入ったのもなんとなくです」
なぜかモヤモヤとした黒い感情が胸から喉の辺りまで上ってくる様な感覚がある。
次第に気持ちが苛立ってくるが、何故そんな気持ちになるのか僕には解らなかった。
「なんとなく決めるようになった「きっかけ」があるとは思うけれど、満くんにとって進学と就職は大きいイベントではなかったということなんじゃないかな。そこには個人差がある。例えば進学先に拘りを持たなかった生徒が適当に進学した先で、珍しい部活動に出会い熱中する。これは進学先自体に「きっかけ」は無いけれど、そこの進学先に決めたことで珍しい部活に出会い熱中する「きっかけ」となった」
「わかったような、わからないような。それで僕にその「きっかけ」をなんで与えないといけないんでしょうか」
男性はにこやかな表情から一変し、眉間に皺を寄せた。
「満くんの様な「きっかけ」の総体数が少なくて、更にそれを避けている人を僕は救いたい。きっかけを与えて今の生活を変えたいんだよ」
「なんですかそれ」
「神の助けだよ」
「いや、結構です」
「警戒しなくてもいいぞ。対価がある訳じゃないから」
男性はまたにこやかな表情に戻り茶を啜っている。
「そういうことじゃないんです。別に今の生活でいいんですよ」
僕の声が次第に大きくなっているのが解った。
「そんなに今の生活に拘りがあるのか?」
「今の生活に満足してるんです。正直いって余計なことで迷惑な話にしか思えませんけど」
僕の中で苛立ちが膨らんでいく
この安定した生活を壊されたくないのだ。
僕は今の生活で良いと思っているのだから、それ以上を望むことはない。
平穏な日常、毎日変わらない日々、最高に幸せを感じる。これが平和というんじゃないのか。
何も変える必要もないし何も変わってほしくない。
自分の安らぎの場所を散らかされそうになる様に感じた。
「満くんの未来を見た僕は悲観したよ」
「なぜですか」
僕の突っ張った言葉に男性が口を噤んだ。
「孤独死でもしてたんですか」
僕の言葉に男性の表情が曇るのが解った。数秒の沈黙が流れる。
「やっぱり。予想はしていたんですよ。でももう割り切ってます」
「割り切ってるって。・・・満くんが想像しているよりも実際は悲惨だよ。本当の意味で未来の満くんは孤独だった。その未来を脱却するために満くんへ「きっかけ」を与えようと決意したんだ」
「そんなこと言われても困ります。なんで僕なんですか。他にもいるんじゃないですか。もっと助けなくちゃいけない人が・・・もっと助けを必要としている人が」
僕のその言葉に男性は悲しい顔をして黙り込んでしまった。