その『約束』を、君と。
私、藤村 優月がその先輩と出会ったのは、中学校に入学して最初に迎えた梅雨入り間もなくのある日の事でした。
その日、私はいつものように、一人、学校の裏庭の花壇の側でお弁当を食べていました。
別に友達がいないとかコミュ障だとかいうワケではないのです。クラスには普通に友達もいますし、イジめられているとか、そう言った事実も全くありません。
私はごく普通の中学生ですからね。勉強も運動もごく普通の中学生です。ついでに言えば、容姿もごくごく普通です。
そんな私が何故、友達との交流の場として大切な時間である昼休みをこうして一人で過ごしているのかと言いますと……この裏庭にもまた、私の『友達』がいるからなんです。
天塩に掛けて育てた花々。時折やって来る小鳥たち。地面の下に住まっている可愛い虫たち。
そんな存在もまた、私にとっては大切な友達で……けれど、その日は生憎の雨でした。
雨だからと言って、彼らとの交流を諦める私ではありません! 特に花々は、一日見逃してしまえば成長日記に支障を来すくらい日々成長していくんです!!
ですからその日は、校舎の脇の屋根の下でお弁当を食べ終わったら、レインコートを羽織って花々の様子を見に行こうと考えていた矢先の事でした。
背後の廊下から、ガヤガヤと数人の生徒の声が近付いて来るのが解りました。
けれど私はその時、早くお弁当を食べなければという事に一生懸命で、背後の窓が空いており、その集団の中心にいた人物が、私に視線を向けた事など気付かずにいたのです。
「こんな所で一人でお弁当? こんな雨の日に変わってるね、キミ」
涼やかでよく通る声が聞こえ、「お、その卵焼き美味そう! ちょーだい!」……と、長い指が窓の内側から伸びて来て、私の弁当箱の中から最後の楽しみに取っておいた卵焼きを攫って行ったのです。
「ああっ! 最後の楽しみがぁ……って『光の君』!!??」
卵焼きが盗まれた事に抗議しようと振り向いた私の目に飛び込んで来たのは、柔らかそうな亜麻色の髪を、雨だというのにサラサラと傾げた首と同じ角度に揺らし、「ごちそうさま」なんて言いながら悪戯っぽく微笑んだ、この学校に通う生徒なら知らない人間などいないだろう程の有名人『光の君』──こと、湊 ヒカリ先輩、でした。
「へぇ~。ボクのこと知ってるんだ。光栄だな」
「え!? わわっ、うへぇ……! 突然あだ名で呼んでしまって申し訳ありません、湊先輩!」
慌てて言い訳じみた事を言いながらズザザ、と下がろうとする私でしたが、その先輩は楽しそうに微笑みながら、そっと、私の腕を取ったのです。
「光栄だって言ったんだよ。ほら、濡れちゃうから屋根から出ない、出ない」
のわぁぁーー!!?? 『光の君』が私に声を掛けるどころか触れているですとぉぉーー!!??
俄かには信じがたい状況にあたふたとしている私を尻目に、湊先輩は窓から身を半分乗り出してニコニコと微笑んでいます。
え、笑顔が眩しいです……さすが『光の君』!
この先輩が『光の君』などという仰々しいあだ名で呼ばれているのは、何も容姿が目立つからばかりではありません。
亜麻色のその髪は、黒髪ばかりの日本人の中では相当目立っていますけれど……それは日本が好き過ぎてこの国に帰化してしまったイギリス人の父親と、高名なフラワーアーティストである母親の間に生まれたハーフだからで。
スラリと長い手足は今、ジャージに隠されてしまっていて拝見することは出来ませんけれど、棒高跳びの期待の星だなんて事は、全校生徒が知っている程の有名人です。
スタイルが良いだけじゃなく、そのご尊顔もとても麗しいですし、気さくなその性格も相まってとてもファンが多く、『光の君』なんてあだ名で呼ばれているのです。
「ヒカリ? 知り合い?」
「ん、今知り合ったー。これから交流を深めるから先に行っててー!」
ヒラヒラと手を振る光の君に周囲の生徒達がわかったー、と返事をし、遠ざかって行く気配を感じます。
……ってちょっと待って!!??
『光の君』が取り巻きを先に行かせる!? この私の為に!?
ヤバい、ヤバいですって!!
『光の君』の取り巻きは怖いお姉さまが多い事で有名なんですから、こんなパンピーな自分が目などつけられたらひとたまりもありませんっ!
「み、湊先輩! おみ足を止めてしまったことは謝りますからどうか……!」
「ヒカリって呼んでいーよ。美味しい卵焼きの御礼にね」
出来るワケないじゃないですかぁぁーー!! 今でも取り巻きのお姉さま達の視線が突き刺さっているのにィィーー!!
「ねぇキミ、名前を教えてくれない?」
既にいっぱいいっぱいの私に対し、『光の君』は更にそんな言葉を投げかけて来るではありませんか!
「え……あ……うぅ……!?」
咄嗟に言葉が詰まってしまった私。
当たり前じゃないですか、この学校で『光の君』に憧れない生徒などいないのです! 格好良くて、気さくで、それでいて全国レベルの期待をされてしまうような陸上選手。
中学生に憧れるなと言う方がムリです! かく言う私も、少ないお年玉とお小遣いを貯めて、一番気に入っていた『光の君』の生写真を買った経験があるくらいなんですから!
「ああ、ゴメンね。人の名前を尋ねるならまずは自分から、だよね。
ボクは湊 ヒカリ。この学校の三年生だよ。趣味は陸上競技。好きな食べ物は卵焼き。キミは?」
窓枠に肘を付き顎を乗せ、楽しそうに問い掛けて来るこの生物は何なのでしょうか……!?
ええ、確かに『光の君』のあだ名に相応しく、雨の中でも眩しいくらいですけれど!!
そんなに卵焼きがお好きなら、毎日毎朝、お小遣いを削ってでも卵のパックを買って母に卵焼きを焼いて貰いますけれども!!
「……ふっ、藤村……優月……です……」
そう答えた瞬間の『光の君』の満開の笑顔を描写する語彙力が私にないことを全世界に謝りますごめんなさい。
アナタの想像する一番の美形がクシャリと顔を崩して笑顔を見せる様を……皆様、お一人おひとりでご想像下さいとしか言えません……。
だって、その時の『光の君』の笑顔は、何にも比喩できない程の眩い光を放っていたのですから!!
「ユヅキ。素敵な名前だね。キミに似合いそうな漢字なら、そうだな……『優』しい『月』って感じだけど……どう?」
「……まさにその通りです……」
……日本政府の議員の皆さま! 美形が満開の笑顔を浮かべたら罰金とか、そんな法律を作りませんか!?
ヤツらが無自覚に笑顔を垂れ流す度に心にダメージを負う負傷者が増えるのですから、次回の国会に提出して下さい、お願いですから!!
「優月。キミにお願いがあるんだけど、聞いてくれる?」
……いきなり呼び捨てですかぁぁーー『光の君』ーー!!
そんな笑顔で名前を呼び捨てされて否と言う事が出来る人間がいたら是非お目にかかりたいです!!
当然、私も否などと言える筈もなく。
耳を貸して、と、悪戯っぽく微笑む『光の君』に吸い寄せられるように、私はフラフラと先輩の側に立ち、その爆弾発言を……聞いてしまったのです。
「キミが育てているその向日葵が咲くまでにさ………………」
「…………!!??!!??…………」
無理ですと、言い掛けるその前に。
私の頬に何か……柔らかい物が触れました。チュッ、という音を、させながら。
メガネのフレームに柔らかい髪がサラサラと触れるのを感じます。
何が起きたのか、即座に理解出来ずにいた私ですが、メガネを通した視線の先──ごく至近距離に、その麗しのご尊顔が悪戯っぽい微笑みを称えて顕現していらっしゃいました。
「約束だよ。宜しくね? 優月」
そう言って学校のアイドルである『光の君』は私の前から去って行きました。
……何でしょう、その背中からは悪戯をやり切った小学生のような達成感に満ち溢れておりましたけれど……。
ねぇ『光の君』、気紛れでいたいけな中学生を翻弄するのは止めて貰って良いですか。心臓がいくつあっても足りません!
しかもアナタ、私の返事を聞かずに去って行ったので、もはやそれは決定事項ですよね?
「出来るのかなぁ……私に……」
トスンと、『光の君』が去った後の窓がある壁に背を預け、灰色の空に向かって私は呟きました。
メガネに一粒、雨が降りかかりますが、そんな事を気にしている余裕などその時の私にはありませんでした。
側には、最後の楽しみに取っておいた卵焼きを奪われた為に空になってしまった弁当箱がコロン、と投げ出され、静かに雨を受け止めているだけで、誰も返事など返してはくれません。
『光の君』が去った後の裏庭は……今まではそれが当たり前だったのに、まるで光を失ってしまったかのように寂しげに見えて。
けれど、成長途中の花だけは雨の恵みを受けてとても……とても嬉しそうに見えましたし、土の中から虫達すら姿を現してくれていましたけれど……けれど!
「……無理です、『光の君』ィィィィーーーー!!!!」
半強制的にさせられてしまった『約束』の内容を反芻し、今やそれを自分が実行せざるを得ない状況に立たされていることに驚愕し。
私、藤村 優月は雨に濡れるのも気にする事なく、屋根の下から飛び出し、絶叫したのでした……。
────…… ** ☆ ● ☆ ** ……────
青い空、白い雲。煉瓦色のフィールドの上には、高く聳え立つ、酷く脆く見える二本の棒。
その間に横たわる『目標』に向かい、これまた酷く脆い棒を抱えた選手が駆けて行く。
瞳に目標を見据え、キュッと口を引き結び、しなやかな身体を前へ、前へ。
そして、手にした棒を地面に突き刺し、その華奢な体躯を青い空への中へ溶かすように高く……高く。
跳んだ。
ポスン、と、マットの上に落ちた選手の耳には。
ハッと息を飲む観衆が漏らす音。同じフィールドの何処かで開催されているのだろう競技の音、そして彼らに送られる声援という様々な音に紛れて。
……カラン、と、『目標』がフィールドに落ちた音が聞こえていた。
だが、マットの上で大の字になり、青く澄み切った空を見上げる選手の表情には悲壮感はまるで浮かんでおらず。
「終わっちゃったなぁ……!」
楽しげな表情で、ただ空を見上げており。
──この瞬間、自分を取り巻く環境が少しずつ変わっていく予感に、ワクワクと心を躍らせていたのである。
────…… ** ☆ ● ☆ ** ……────
ボク、湊 ヒカリがその子を見掛けたのは、最初はただの偶然だった。
柔らかい春の日差しが降り注ぐ放課後の裏庭で、その子はシャベルを片手に、服や手や……頬にさえ土が付くのにも構わぬ様子で、一心不乱に何か作業をしていた。
メガネの奥の瞳は真剣そのもので、けれどその表情はとてもとても楽しそうで。
その頃のボクは、何だか少し目標を見失いつつあって、世界が色褪せて見えていて、その子の事も、良くやるな、と、半ば呆れた気持ちで、ただ眺めていただけだったのだけれど。
突然、何かを発見したらしいその子のメガネの奥の瞳がカッと見開かれる。
そして……次の瞬間、パッと花が咲いたような満開の笑顔が、小ぶりなその顔の中に咲いた。
何事かと興味を引かれ、そのまま観察していると、その子はそっとシャベルを置き、小さな白い手で直接地面をほじくり出し……やがて、宝物を捧げ持つように大切にその手に何かを乗せてジッと見入っている。
あの子にあんな表情をさせた物の正体を知りたくて、ボクもつい、その手に注目をしていたんだ。
だって、その子は本当に嬉しそうに、いつまでもジッと自分の手の中のソレを見つめ続けていたんだ。どんな凄い宝物を発見したんだろう、と、気になるじゃないか。
……ところが。
「ああっ!?」
大きな声を上げたその子の手から、突如、黒い何かが零れ落ちる。
そしてその黒いソレは、少しの音も立てず、その子の前から逃げ去って行った。
……どうやらただのトカゲ、だったみたいだ。
「……ハァァ……。もう少し観察したかったのになぁ……。ま、いっか。素敵な出会いがあったんだし! さ、続き、続き!」
自分を鼓舞するようにパンパン、と頬を叩き、作業を再開するその子。
直前まで素手で土弄りをしていたんだ、その頬は当然の事ながら土だらけになってしまっていて。
「……プッ!」
思わず声を漏らしたボクの方を、その子は不思議そうな瞳で、一瞬だけ見やったのだけれど……ペコリと頭を下げると、再び作業に没頭し始めた。
それはまるで、ボクという存在があのトカゲ以下だとでも言わんばかりに興味がなさげな様子で。
……ハッキリ言って、そんな態度を取られたのは初めてだ。この学校に通っている生徒なら、少なからずボクの事は知ってくれているはず、という自負が、その時ガラガラと崩れた気がする。
けれど、不思議とそれは嫌な気持ちになるものじゃなくて……それどころか、とても清々しかったんだ。期待を背負い、皆が理想とする『ボク』でいなくても良いのだと、土まみれの顔で、作業に没頭しているその子を見ながら、肩の力が抜けた気がした。
それと同時に、見失っていたような気がしていた目標は、他人の為にあるものじゃなく、ボクが自分自身で定めたものじゃないかと再認識して……空虚だった心に、ポッと炎が灯ったような気がした。
そしてその炎は……どうやらボクにそれを教えてくれた土まみれの顔のその子に対する感謝と……今までに感じた事のない、温かくて強い気持ちを呼び起こしてしまったようで……
──ボクはその時、その子に恋をしたんだと思う。
恋、と言ってもそれは仄かなもので、辛うじて名前は知る事は出来たけれど、昼休みには決まって裏庭で弁当を食べ、楽しそうに花壇の世話をしたり小鳥の来訪に一喜一憂したり、あの時と同じく虫を発見しては大喜びしている様を遠くから眺めて一人でほっこりしているだけで幸せだ……と、そう思っていた。
……なのにあの雨の日、何故あんな事を言ってしまったのか、自分でも良く解らない。
どうやらボクの中に生まれてしまった恋心は、自分でも気が付かないうちに成長してしまったみたい。
あの日、あの子から盗んだ卵焼きがあんまり美味しかったせいかな?
そして今、ボクの目の前には顔を真っ赤にしたその子が立っている。
ボクが呼び出したんだから当たり前なんだけどさ……泣きそうなくらい緊張を漲らせている様子を見ていると、少しだけ意地悪な気持ちになっちゃいそうだよ。
「良く来たね、優月。……ねぇ、あの日の『約束』、覚えてる?」
問い掛けたボクの言葉に、優月はコクコク、と何度も首を縦に振ってくれる。
相変わらず顔は真っ赤だから、頭に血が集まってるハズだよね。その状態でそんなに激しく頭を振って大丈夫かな、なんて心配をしているボクは、まだ少し余裕があるみたい。
「君が育てているあの向日葵……見事に綺麗な花を咲かせたよねぇ。もう少し待っててくれても良かったのにな……」
優月から視線を外し、裏庭が見える窓辺から外をみやれば、優月が毎日丁寧に世話をしている花壇の中で、一際大きく成長した向日葵がその存在感をアピールしている。
「あの花が咲くまでにあと三十センチ高く飛べたら……か。ちょっと時期を見誤ったかなぁ……。飛べると、思ったんだけどな……飛びたかった、な」
ポツリと呟いた言葉。
誰にも言ったことがない愚痴じみた言葉を……好きな子に聞かせるなんて、ちょっと格好悪いかな。
「……湊先輩、私との約束なんて気にしないで、次の大会でまた挑戦して下さい! 私、応援しますから!」
その名前の通り、優しい優月。
……うん、挑戦する事は止めないよ。誰よりも高く跳ぶ。それはボクのライフワークだからね。
けど……あの『約束』は、そういう事じゃないんだ、優月。
ビシッと、ボクは持っていた三十センチ定規を優月に突き付けた。
「あと三十センチ高く飛べたら、交換する約束。ボクは果たせなかった。だから……」
優月、キミがボクの替わりにこの距離を埋めて、と、定規を優月に差し出すボク。
この距離は叶わなかった夢だ。そして……ボクと優月の距離だ。
優月、ボクはもう、この距離すら我慢が出来ないくらい、キミの事が好きみたい。
……受け取ってくれたなら、約束を果たそう。そして、ちゃんと伝えるから。
「優月、この距離を、君自身が埋めて欲しい」
────…… ** ☆ ● ☆ ** ……────
差し出された、定規。
眼鏡を掛けた少年は、何かに吸い寄せられるようにそっとそれを握り返し。
差し出している、自分より背の高い少女に戸惑ったような視線を向けている。
一方の少女は。
「……こんな距離すら飛べなかった情けないボクと……交換してくれる? 優月。その『一人称』」
女の身でありながら『ボク』という一人称で自分を呼ぶことは、中学校で卒業しようと思っていたのだ。
けれど、その事情は彼女だけのものであり、優月には関係ないハズであるのに……。
今、彼は驚き、目を見開き。
けれども、少女の真剣な瞳から目を反らすことはせず、少年は顔を真っ赤にしながら……それでも、嬉しそうに言った。
「……ハイ、湊先輩。憧れの『光の君』と交換出来るなんて……私は本当に幸せ者です」
そう言って、差し出された定規に握る手を、二十センチ、十センチ、五センチと移動させて行く。
いよいよ、少女が持っているその零地点まで手が届こうかという所で。
突然、少女が定規から手を離し、少年のその手を掴み、グッと引き寄せる。
今はまだ自分より背の低い、メガネの少年の華奢な身体を、ギュッと両腕に大切に閉じ込めると、彼女は言った。
「皆の為の『光の君』は今日で卒業。
……優月、今から『私』は、キミだけの……貴方だけの『光の君』になりたい」
そうして、少女は少年から身体を離し、真面目な表情で彼と向き合う。
「藤村 優月さん、『私』は貴方が好きです、付き合って下さい」
差し出された少女の白い手。
今までは競技の為だけに使われていたその手を、少年はジッと見つめ、ややあって顔を真っ赤にし、夢ではないかと頬を抓ったり叩いたりしていた。
けれど、目の前の少女は全く姿勢を崩さなかったし、抓った頬は痛かった。
どうやら現実である、とようやく理解したらしい少年は、小さな……それでも嬉しさと恥ずかしさと……あらゆる幸せを集めたような声で、言った。
「……湊 ヒカリさん。『ボク』の方がきっとずっと……貴女の事が好きだから。
『ボク』と、付き合って下さい……!!」
そう言われた少女は、最初、キョトン、と少年の顔を見返していた。
けれどやがて、言われた言葉を理解するに至り……ポッと、頬を染めて少年の手を取り言った。
「……優月、大好き……!」
握った手を再び引っ張り、自分の腕の中に収め。
少女は満開の笑顔を。
少年は少しの困惑を残した複雑な表情ながらも、実に幸せそうに微笑んでいた。
それは、花の手入れをしている時よりもずっと幸せそうであったし、『彼女』もまた、親ですら見たことのないくらい、幸せそうな笑顔を浮かべていたのであった。
────…… ** ☆ ● ☆ ** ……────
「湊先輩、いつからボクの事を知っていたんですか?」
「いやぁ~ん! 優月、『ヒカリ』って呼んで?」
「ヒ……ヒカ……ヒカ……リ……さん……」
「ちょっとぉ~。『彼女』に対してそれは冷たいんじゃないのぉ~?」
「だ、だって! 未だに信じられないじゃないですか、わた……ゴホン、ボクが先輩の彼氏、だなんて!」
「なんで?」
「だって『光の君』ですよ!? それにわた……ゴホン、ボクはごくごく普通の学生だし……背だってまだ先輩より低いし、得意なことも……」
「あのね、優月。光源氏ってね、最愛の人への想いを忘れられずに、良く似た子どもを自分好みに仕立て上げようとするような男なんだよ?
……まぁ、諸説あるけどさ。ボ……コホン、私は、優月の良い所、キミより良く知っていると思うんだよね。だから、キミ限定の『光の君』には適任だと思うんだ」
「わた……コホン、ボクを育てて、どうするつもりなんですか?」
「もちろん、ボ……コホン、『私』から離れられなくするんだよ。私は優月限定の『光の君』だからね、キミがいないと何の役にも立たない社会のゴミになるしかないからさ」
「そんなことあるワケないでしょ! わた……ゴホン、ボクなんかいなくたってヒカリ先輩は……!」
「ゆ~づ~き~? 『先輩』だけ余計じゃないかなぁ~?}
「仕方がないじゃないですか! ずっと憧れてた『光の君』とこうして向き合ってるってだけでいっぱいいっぱいなんですよ……!」
「ふ~ん? ずっと憧れてくれてたんだぁ~! ……ねぇ、優月。その憧れの『光の君』の唇は、ココ、だよ」
トントン、と、片方の人差し指でその存在を主張してやれば。
「……出来るワケないでしょ……!!!!」
バッと、顔を覆い、優月が顔を背ける。
「純情なキミも好きだけどさ……私の性格上、待つより奪う方が向いてると思うんだよね。……ってワケで藤村優月さん。キスをしても良いですか?」
「……な、な、な……!!!!」
慌てふためく少年。
そんな彼を楽しそうに、満足気に眺め、現代の『光の君』は満面の笑みを浮かべて、言った。
「中学も今年で卒業だし、高校生になってまでボクっ娘ってのもさ……。だから、一人称を交換して、なんて『約束』をして貰ったんだけど……。
でも私はね、優月、キミの一人称だから欲しいと思ったんだよ。キミがキミを呼ぶ『私』が欲しかった。
だからあの『約束』はね……つまりは『キミが欲しい』って事だったんだけど……やっぱり気付いてなかった?」
語りながら、ヒカリの顔が徐々に優月に近付いて行き……
──チュ、と、夕焼けに染まる教室に音が響き渡る。
ハッと息を飲んで身を固くする『彼氏』──藤村 優月。
ゴチ、と微笑んで悪戯が成功した小学生のような微笑をその秀麗な顔に浮かべる『彼女』──湊 ヒカリ。
「……キミの唇は甘いね、優月。柔らかくて……卵焼きみたい。ねぇ、これから毎日御馳走してね?」
「何言ってるんですか、もう! そんなのボクの心臓がもちませんよ!」
「……まぁ、勝手に食べるけど」
「……ヒカリ先輩!!!!」
顔を真っ赤にして抗議を試みる優月と、その前で楽しそうな笑顔を浮かべるヒカリ。
果たされたばかりの『約束』に、今はまだ少し慣れなくて気恥かしさはあるけれど……これから続いて行く『約束』の先の未来に、二人の心はポカポカと温かい。
そして裏庭では、そのきっかけとなった向日葵の花がそよそよと風を受けて揺れながら、二人の幸せを祝うかのように咲き誇っており。
ヒカリの髪の色のような柔らかな色の太陽がそれを照らし、優月のように小柄な影を、彼が丁寧に手入れをしている花壇に落としていたのだった。
お読み頂き、有り難うございました!