第十三話
「貴様……私の姿を見ても動揺しないとは『力あるもの』か?」
ふと思い立ったように目を細める魔物は自分たちに対抗しうる人類を総称して『力あるもの』と呼んでいた。
「その呼び方懐かしいね。……うん、俺は君たちが呼ぶように力あるものだよ。正確には昔そう呼ばれていたことがあるというだけだけどね」
優吾は懐かしい呼ばれ方だと自然と笑顔になっていた。頭の中では仲間との思い出がふわりと浮かぶ。
勇者のパーティにいる頃に、そのメンバーは全員、魔物から力あるものと呼ばれ、その高い実力を恐れられていた。
「それで、俺がその力あるものだとして、君はどうするんだい?」
穏やかな表情で問いかける優吾の言葉を聞いた魔族は吹き出すように高笑いをする。
「……くくくっ、はーはっは! ――『力あるもの』だと? 確かに質問したのは私だが、すでにこの世界にいるはずがなかろう! 魔王様が三百年前に倒されて以来、人には強者と呼べる者はいても力あるものはいないはずだ」
優吾を馬鹿にするように語る魔族の言葉は真実だった。優吾が冒険者の質の低下を口にしたように、実力のある冒険者でも彼が賢者として活躍していた頃の一線級の冒険者に届かない。
「ふーん……三百年いなかったからといってなぜ今もいないと断言できるんだい?」
先ほどまでとは一変し、優吾の言葉はまるで冷気が乗ったかのような冷たい鋭さがあった。周囲の空気が一瞬でぴりっと棘のあるものに変わる。
「うっ……そ、そんなもの今の人族を見ていればわかるであろう! 我らに勝てる者などいるはずがない!」
魔族は自分の力に自信があり、あれだけのことを成した優吾を前にしてもそれは揺らいでいなかった。だがどこか口調には焦りがにじんでいる。
「なるほど、それでさっきの質問には答えてくれるのかい? 君は何者で――なぜあの街を襲おうとしたのか」
再度噛みしめるようにゆっくりとした口調で質問をする優吾に、魔族は苛立ち、鋭い視線を送ってくる。なぜこんな男に自分が問い詰められているのか考えたくもなかったようだ。
「っ答えるわけがなかろう、貴様のような人間風情に!」
吐き捨てるように魔族がそう言ったことで、優吾の最後通牒は決裂という結果になる。
「そうか、ならしかたないね……《貫け“雷神の槍”》!」
困ったように薄く笑った優吾の杖の先から魔術が発動される。空中に生み出されたそれは言葉のとおり雷属性の槍だった。そこまでであれば、似たようなものは魔法でも存在する。
「こんなのって……」
だが隣で見ているリーネリアは魔族に対する恐怖以上に、その魔術に驚いていた。
優吾が生み出したのは普通のサイズではなく大地を大きく貫けるほどの巨大な槍だった。そして、稲光を纏ったその槍は真っすぐ魔族へと向かって行く。
「……なっ!?」
魔族は抵抗する間もなく、優吾の放った雷神の槍に貫かれ、訳の分からないまま絶命することとなった。その場には魔族がいた痕跡など一遍も残さずに稲光の消失の余波でバチバチと小さな放電が残るだけだった。
「ふう、これで魔物討伐完了かな?」
「……も、もう一度聞きますが、あなたは一体何者なんですか?」
あっさりとこの世界の人々が恐れる存在の魔族を倒してしまった優吾に戸惑いながらリーネリアが問いかける。
しかし、優吾はその質問には答えずに周囲を確認してからリーネリアの手を取る。
「ごめんね、リーネリア、移動しよう」
「えっ、ちょ、ちょっとどういうことですか!」
走り出す優吾に戸惑いながらも、その手を振り払えなかったリーネリアは、引っ張られるまま走りながら優吾へと質問する。
「いいからいくよ。――ちょっとやり過ぎた……」
優吾の魔術によって魔物は一掃され、それ以降は街へと向かう魔物の気配はなかった。そのため、徐々にそのことを理解した冒険者たちが危機を救ってくれた英雄の登場に沸き立つと予想できた。
今はまだ優吾の魔術の威力に驚き、現状を理解できず放心状態の者がほとんどだが、少したって落ち着けば魔物を撃退した英雄の正体を突き止めようと躍起になるのは明白だった。
「別に力を隠すつもりはないけど、さすがにアレだと全員から問い詰められてしまう。ほとぼりが冷めるまで時間をおかないと!」
優吾の姿を見た冒険者も中にはいたが、そのほとんどがローブのおかげではっきりとは記憶に残っておらず今のうちに姿を隠せば誤魔化せると考えていた。
「で、でも、今逃げ出したら逆に注目されるのではっ?」
優吾とリーネリアは最前線におり、他の者は立ち尽くしている中で走り出せば目立ってしまう。その指摘は当たっていた。
ただし、その対象が優吾でなかった場合だったらという但し書きが必要になる。
「安心して、隠蔽魔術使ってるから俺たちから注意がそれてるはずだよ。とりあえず、リーネリアの家に行こう。魔物の残党がいるかもしれないから、念のため家まで送るよ」
彼らの姿は第三者からは見えないようになっており、まるで透明人間になったかのようだった。周囲に声も聞こえないようにできるこの魔術のおかげで誰の視線も集めていない。
「は、はい……」
リーネリアは優吾があっさりと隠蔽魔術などという言葉を口にしたため、呆気に取られてしまい、言われるがままにする以外の選択肢が浮かんでいなかった。そんな彼女が黙ってついて行きながらも優吾という存在についてあれこれと想像を巡らせてしまうのは仕方のないことかもしれない。
隠蔽効果のある魔法は現代で存在するが、一部の高位魔導士にしかその使用方法の記された書物の閲覧許可は下りていない。
「……一応言っておくけど、俺は高位の魔導士じゃないからね」
「ふぁっ!」
念のため優吾が補足したが、心の中を読まれたことにリーネリアは驚いて変な声をあげてしまう。何で分かったのだろうと戸惑っている。
「更に言っておくけど、俺は別に心が読めるわけでもないよ」
「ふええええっ!」
再び心の中で思っていたことをあてられてしまったリーネリアは先ほどよりも大きな声で驚いていた。優吾のすさまじい実力と魔族の襲来、様々なことが一気に起こり過ぎて彼女の脳内はパンク寸前だった。
しばらく走ったところで優吾はゆっくりと足を止める。
「そろそろいいかな……ここからは歩こう。隠蔽魔術も解除するよ、ずっとひっぱっちゃってごめんね」
周囲に気配がないことを確認してから優吾が魔術を解く。ゆっくりと自然に互いの手も離れていった。
「ふう……。もう、急に走り出すから驚いたじゃありませんか」
体力があるのか軽く息が乱れる程度だったリーネリアは少し落ち着いたことで不満を口にする余裕ができていた。
「ごめんごめん、少しでも早く移動したかったからね。ここまで走らせてから聞くのも悪いんだけど、リーネリアは怪我はしてないかい?」
最初に見た限りでは怪我の類は見られなかったため、優吾は退避を優先したが、念のためリーネリアに確認する。それとなく優吾も心配そうに彼女の全身を確認している。
「あ、はい、少しかすり傷は負いましたが大きな怪我というものはしていません」
きょとんとしつつもリーネリアはそう言って左手の甲の小さな傷を優吾に見せる。これくらいは平気だと彼女は微笑んでいる。
「ダメだよ、見せて……小さい傷だけど女性の皮膚に傷が残るのは良くないよ。《治癒の術》」
優しくその手を取った優吾の魔術によって淡く温かい光が指先を包み、傷はすぐに塞がっていく。優吾は手を取った時に見えた彼女の苦労の痕跡すらもまとめて治していた。
「わぁ……すごいです! あっという間に傷が治りました!」
傷が最初からなかったようにきれいになった指を見てリーネリアは驚き、喜び跳ね回っていた。水仕事等で荒れていたところまでついでというように治ったためか、尻尾が興奮で膨らんでいる。
「そ、そんなに驚くことなのかい?」
優吾にとっては大したことをしてないため、彼女のリアクションに驚かされてしまう。
「だって、一瞬で、しかもあとがわからないほど綺麗に治ったんですよ!」
「ま、まあ喜んでくれてよかったよ……今の回復魔法はレベルが低いのかな?」
困ったように笑いながら優吾は彼女の反応から、魔法の質の低下を予想していた。
「えっと、多分ですけど高位の神官職の方であれば同じレベルの回復魔法を使えるかと思いますが、一般的な冒険者のレベルではこれほど強力な魔法を使うのは難しいと思います」
落ち着きを取り戻したリーネリアは自分が知る限りの情報で回復魔法についての説明をする。
「なるほど、これは予想以上というか予想以下というか、かなり力の低下が起こっているんだなぁ……」
少し残念そうな響きのある優吾の呟きはリーネリアの耳には届かなかった。
家までの道を左手を眺めながらうきうきした様子でリーネリアは歩いていた。
「ふふっ、すごい、すごーい!」
いつもに比べて子どもっぽい口調になっているが、傷が残るかもしれないと思っていた彼女にとって綺麗に治ったことはそれほどに喜ばしいことだった。すべすべの手が愛しいのか時折触り心地を確かめるように頬ずりすらしている。
「――さて、そろそろ家が見えて来たね。俺はこのへんで帰るよ」
家に送るという任務を果たした優吾は笑顔でリーネリアに別れを告げ、踵を返そうとする。
「ま、待って下さい! ユーゴさんは……街を救ったのがあなただということは名乗りでないつもりなのでしょうか……?」
彼女のその質問を受けて立ち止まった優吾はしばし考えこむ。
「……うーん、どうしたものかなって。別に力を誇示するためにやったわけじゃないし、何かを得るためにやったわけでもないからねえ」
あれだけのことをやってのけて、なんの見返りも求めないことにリーネリアは唖然とする。
「うん、やっぱり名乗り出るのはやめておこう。俺の力を今後もあてにされるようでは困るからね」
何かあれば優吾を頼ればいい――そんな状況は個人としても、街のあり方としても望ましくない状況であるため、優吾はそれを回避する選択をとる。
「みんな魔物を倒した英雄を探すと思いますが……。でも、そうですね。みんなの街なんだから、みんなで強くなって守れるようにならないとです」
「まあ、そういうことだね。それじゃあ、日も落ちてきたから帰るよ。俺に連絡をくれたやつに街は無事だと話しにいかないとだからね」
穏やかに笑う優吾にそう言われては止めるわけにはいかず、リーネリアは手を振って彼を見送ることにした。
「それじゃ、また」
これからも会うことがあるだろうと優吾はその言葉を残して家に戻って行った。
しかし、カッツは既に街に到着していたのか、この日は会うことはなかった。
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