第十六話 謁見と断罪
皇帝との謁見後、怪しい人物のあぶり出しを行っていたエリシアは、ここに来てかなり顔色が悪くなっていた。先程から、明らかに教会寄りの貴族達が意見していたのだ。彼らの心を覗くために、強大な指輪の力など、借りる必要はなかった。歪んだ欲望と薄汚い感情、それらは普通の人間でも、彼らから感じ取る事ができた。真面に相手をすると、吐き気を感じてしまう連中だ。エリシアは余りの気持ち悪さに、急いで指輪を外した。
辺境伯は、エリシアの苦しそうな様子に心を痛め、今現在も皇帝に意見している貴族を冷めた目で見ていた。中央近く、西側寄りの領地を持つ伯爵だった。これと言った特長のない領地、ただ皇都に近い領地を持つだけで、無意味に特権意識の強い者達は、口々に不平を述べていた。ある者は、これまで皇国に尽くして来た自分たちの献身を、またある者は、何故自分たち貴族を信用して頂けないのか、疑いをかけられること自体に、納得がいかないと捲し立てていた。
そんな彼らの姿に、東側貴族達は苛立を感じた。明らかに宗教関係者と結託し、彼らの手ごまの如く振る舞う貴族達に対し、東側貴族は憤りを抑えることが出来なかった。彼らは帝国の脅威を全く理解していない。直接の被害がないことや宗教関係者の巧みな話術に、かつての貴族らしさや威厳は影を潜めていた。その危機感の欠落した愚かな行いが、最悪の結果を招くことに、考えが至っていなかったのだ。
この不快な空間が、更にエリシアに負担を掛けていた。エリシアは目を閉じ、静かに堪えていた。エリシア自身も西側寄りの貴族に対して、良い印象は持てなかった。東側の貴族達は、警戒しながらもエリシアに対し、貴族の礼を尽くしてくれた。しかし、西側寄りの貴族はあからさまな嫌悪感を隠そうともせず、近付く事すら避けていた。そんな不愉快極まりない空間に、さらに不快さを増す男が現れた。
「皇帝陛下、私どもが宮廷で耳にした話では、第三皇女は暗殺ではなく、魔力暴走によるものと伺っておりますが、如何なのですか。」
多くの不快な貴族達が声を上げる中、さらに不快な声を響かせ、ゴーグレイ枢機卿がその貴族達の中心にいた。あからさまな挑発行為に、皇帝は眉をひそめたが、目的が不明なため冷静な対処を始めた。
「ゴーグレイ枢機卿、そんないい加減な情報を鵜呑みにするとは、教会上層部の方々は何を考えておられる。」
「何をと仰られても、確認が必要な重要事項ではありませんか。ここに居る大勢の貴族に対し、何の説明も無しに納得しろと、まさかそんなことで誤摩化されるとお思いか。」
「ほう、つまり其の方は、教会が施した封印が役に立たないと言いたいのか。」
「いえ、そうでは御座いません。それ故の確認なのです。私共、教会の施した封印が解ける訳がありません。しかし、万が一その封印が解けてしまった場合、その理由や原因を調べなければなりません。我がベストラ教は、神に仕える敬虔な信徒なのです。間違っても民達が苦しむ事が無いように、その不安の素となる問題を、解決せねばならないのです。」
「民の苦しみか。お前達、宗教家が民からお金を絞り取っているそうではないか。敬虔な信徒が何故ゆえ金勘定に力を入れる。民衆から不満の声が上がっているぞ。金のある者のみに封印を施し、金のない者は金ができるまで封印しないそうではないか。これまで功績や民の事を考え、不問にして来たが、今現在の教会の体質が変わらねば、何れベストラは排除されるぞ。」
この皇帝の言葉に、ゴーグレイ枢機卿は息を飲んだ。まさか教会を敵に回すとは考えていなかったのだ。皇帝の発言に驚いたのは、枢機卿だけではなかった。この場に居る貴族の殆どが、驚きを隠せなかった。皇帝の言葉に、始めは驚愕していた枢機卿だったが、冷静に考えれば皇帝が単に脅しを掛けただけだと軽く考えていた。
「お言葉ですが皇帝陛下。それは、あくまで一部の不届きものの仕業でございます。そんな一部の者の悪行で全てを判断されは困りますな。大体、私達が居なくなったら、誰がこの国の民の封印を施すのです。良くお考えになった方がよろしいかと思われますが。」
ゴーグレイ枢機卿は余裕の表情を浮かべ、皇帝にその頭でよく考えろと言って来た。ベストラ教なくしては、国の未来は立ち行かないのだ。もちろん、皇帝もそんな状況を理解している。その上での言動であり、行動だった。
「その方もそうだが、お前達は金に対して執着し過ぎだ。今回、第三皇女の暗殺未遂に伴い、宮廷内のあらゆる者から話を聞いたが、特に教会関係者の横暴ぶりは目に余る。お前達は既に宗教家でも何でもない。ただ、この国と民達を食い物にしている害虫ではないか。」
皇帝はそこまで言うと、鋭い視線で枢機卿を睨みつけた。ここまできて枢機卿や貴族達は、皇帝が本気だと言うことに気付いた。そして、枢機卿は無様に震えながら嫌みを言うのが精一杯だった。
「必ず後悔するぞ、この国から我が教団の全ての者を引き上げさせるからな。この国は終わりだ!民衆と新たな命を犠牲にした、愚かな皇帝よ。良く覚えておけ!」
ゴーグレイ枢機卿はそこまで捲し立てると踵を返した。そんなゴーグレイ枢機卿の背中に、皇帝が声を掛ける。
「ゴーグレイよ。其方どこへ行く。帝国に赴くのであれば、我が国とは敵国となる。つまりお前達は敵対勢力として扱うことを肝に銘じておけ。この国の大地は二度と踏ませぬからな。」
この宣言に宮廷が揺れた。教会側勢力の貴族は皇帝の言葉に震え上がった。そして西側貴族は、教会を敵に回すことの愚かさに、皇帝がそのうち発言を取り消すなどの対応を余儀なくされると考えていた。しかし、西側でも一部の貴族は、この皇帝の言葉を重く受け止めていた。今後の対応次第では敵対勢力の烙印を押され、攻滅ぼされる可能性があることに気付いていた。
騒然とした謁見の間を静かに退場して行く者達がいた。辺境伯とその令嬢は、騒ぎの最中に不審な動きをするものを見つけた。エリシアの厳し視線に気付いた辺境伯は、エリシアが目で追う者を眺めて記憶に留めていた。そして、少し苦しそうなエリシアを伴い、その場を後にした。
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風邪が吹き抜ける庭園でフェリエスは静かにお茶を飲んでいた。昨日の夜遅く、人目に付かないように密かに宮廷内に戻るのは、至難の業だった。それから皇帝と皇后に久しぶりに合うと、涙が出るほど嬉しかった。実際は、それほど日にちは経過してないが、宮廷を後にしたのが随分と昔の事のように感じられた。その後、皇太子や第一皇女、第二皇女を交えて話をしたのだが、皆ここ数日で少し窶れた感じがした。無理もない、本当にこの数日の忙しさは無謀といっても良かった。それでも、久しぶりに全員が揃っての朝食は、自然と笑顔が溢れていた。
その後、謁見を控えての話し合いは、緊張に包まれていた。特に国内の宗教関係者の扱いに関しては揉めた。国内の宗教家総べてが、引き上げてしまった場合、それに変わる手段がない。いくら第三皇女が、魔法の封印と開放が出来たとしても、この広大な皇国を一人でカバーするなど不可能なのだから。しかし、ここまで腐敗したベストラ教の中にも、良心的な者も大勢いた。特に東側貴族の領地にいる宗教関係者は、比較的まともな宗教家が多かった。これは大森林や帝国からの脅威に対し、人々がいかに苦労をしているかを知っていたからだった。本来の役割を見失う事なく、その土地で民衆とともに生きて来た司祭や助祭などは、その地位が低いこともあり、民衆と同じ目線で生きていたからだった。
これは大きな賭けだった。多くの問題を含んでいたが、この機会を逃すと手遅れになる可能性を含んでいた。段階的な対応ではダメなのかと、問いかける皇帝に対して、第三皇女は毅然とした態度で、宗教関係者の腐敗を断罪するべしと述べた。余りにもきっぱりとした物言いに、皇帝は呆れ皆は驚いた。しかし、その話をよくよく聞けば、納得もするし、急がなければならない理由もある。何が一番大切なのかと、優先順位を問われ、国が滅んでは意味がないと言わざるを得ない。帝国に加担する宗教関係者の排除は、緊急性の高い課題だ。故にこの場合選択は、腐敗した宗教家達を、国外へ追いやることを第一の目的とした。ただ、現実的に彼らが帝国側へ行く事は少ないと考えていた。『もし、移動を始めても、国内西側の暮らしやすい土地を目指すでしょう。』と第三皇女は語った。堕落した人間は厳しい環境には戻れない。帝国に赴くよりこの国の西側の方が、遥かに暮らしやすいのだから。この国を横断し、東の大森林の浅い部分を、魔物に怯えながら帝国へ。それこそあり得ないと、第三皇女は自信を持って言うのだった。
その話を聞いていた皇帝は、何か考え込んでいたが、最後には厳しい表情ながらも微笑んでいた。覚悟を決め、この難局を切り抜けてこそ、この国に活路が開けると考えていた。国内の問題、二分される勢力、宗教に対する民衆の不満、皇国に協力的な東側貴族の集結など、やはりこのタイミングで行動を起こす事が、効果的であり最善と思われた。
「今日の謁見は、のんびり欠伸も出来んな。気を引き締めて掛かるか。」
「貴方、心配はいりません。独りではないのです。私たちも共にあります。この国の最善を、帝国の横暴を許してはなりません。」
皇帝の話に、皇后が力強く答える。皇帝は、僅かに微笑みながら皇后を見詰める。
「其方は、いつの間にか強くなったな。」
「フフッ。陛下、今頃お気づきですか。」
そう話し見詰め合う二人は、妙にキラキラしていた。第三皇女はこの雰囲気に覚えがあった。そして甘い感じのする空間に、引きずり込まれまいと必死に足掻いた。第一皇女と第二皇女は、皇帝と皇后のキラキラに目を輝かせ、皇太子はどこか渋い顔をしていた。その時、第三皇女は危機回避のために、梅干しを思い浮かべ、口の中に拡がる唾液に翻弄されていた。