第十五話 思惑と謁見
セフィードの物言いに、辺境伯令嬢が警戒感を強めていた。確かに得体の知れないものに、過剰に反応するのは当然のことだ。皇女はセフィードと長くいることで、それが普通なっていた。本来はもっと警戒するべきことだが、いつも間にか普通に接していた。皇女自身も迂闊なのではと自問したが、何故か家族と変わらないイメージを持っていた。ただ、皇女場合は空間認識能力があるため、常にセフィードの存在が認識出来ていた。普通の人間は、姿が認識できないものに対して恐怖を感じる。見える者は全く気にもしないが、見えない側は簡単に気を許す訳にはいかないのだ。
「とにかく、双方とも落ち着いて頂きたい。この場での争いは控えて下さい。エリシア嬢、どうかお気を鎮めて、冷静な判断をお願います。そのスライムもどきとは、具体的にはどのような生き物なのですか?」
この問いかけには、令嬢を庇っていた執事が返答した。
「普通のスライムは、殆どのものが丸い形状で、それぞれの属性に準じた色をしています。スライムもどきの場合、不定形で色は黒です。そのため発見しやすい状況では、大した脅威ではありませんが、明かりのない場所や暗闇や深い森、彼らの存在が分かり難い場所では、そこが彼らの格好の狩り場となります。やつらの動きは非常に遅く、音など一切しません。気が付いたときには、手遅れの場合がほとんどです。魔法や直接攻撃が効き難い上に、仲間が取り込まれそうな場合は、手の施しようがありません。まさに、最悪の状況です。その存在が確認されるまで、我々はあまりにも多くの犠牲者を出してしまいました。」
話を聞けば、なる程スライムというより粘菌やアメーバーのような存在か。何れにしてもタチが悪い。そして、そのスライムもどきの犠牲者が令嬢の知り合いか、もしくは近い者なのだろう。必死に怒りの感情を抑え込んでいる。その姿は、まだ悲しみが消化しきれていないことを物語っていた。それと同時に、ここまで必死に感情を抑え込むのは、令嬢が魔法を使えることを物語っていた。皇女はこの状況に危ういものを感じたが、未知の生物に対して、有効的な手段が魔法だけならば、それも仕方がないのかと思えた。彼らは決断したのだ。この厳しい状況で、新しい危険な生物に対し、魔法で対抗することを。魔法の危険性と新生物の危険性、その両方を天秤に掛け彼らは選択し実践した。彼らが必要以上に警戒する様子は、ロンドール領では当然の光景なのだろう。セフィードのことを危険なものと考え、警戒したことも頷ける。
「つまり、そう言った新しい生物に対して、対抗できる手段が考え出されということですか。」
「そうです。我々ロンドール領やグランスロー要塞の者達は、建物や部屋に入るとき、必ず確認行為を行います。」
「確認行為ですか?」
皇女は確認行為と聴いて、鉄道関係者の指差し確認を思い浮かべた。日常に於ける違和感や、本来そこに存在しえないものを確認する。しかし、いくら注意していても、それだけではやはり難しいのではないかと思えた。
「分かりやすくご説明致しますと……。」
執事はそこまで言って皇女を見ていた。
「構いません。私の目が悪い事は、既にご存知の通りです。説明を続けてください。」
「分かりました。我々は部屋に入ると同時に簡単な魔法を発動します。これは生活魔法と同じ、火を灯す事と変わりないものです。部屋の様子を記憶の片隅に残し、その記憶と目の前の光景を重ねることで、室内の変化を認識する方法です。そして、森や街など始めての場所での対処方法ですが。こちらに関しては一口では説明し難く、その概念だけ簡単に説明いたしますと、それぞれの人が持つ特殊能力、その最も信頼出来る感覚を使うものです。私ですと視覚を強化し、室内の状況を探索します。お嬢様の場合ですと、また違います。」
皇女はそこまで説明されて、なる程と納得させられた。つまり、自分の使う空間認識能力と同じ発想によるものだった。結局、人間は似たような危機的状況下で、ある程度同じ結論に達するということかと納得した。その後、何とか双方を宥め話を進めた。話の途中、皇女は辺境伯令嬢に秘策を授けた。その渡されたものに令嬢は驚愕したが、皇国はこの件に関して最大限の注意を払い、尚かつ対処せねばならないのだ。ただ、もしもの事を考え、万が一の場合は無理をせずとも良いと伝えてある。後は、明日の謁見次第で対応を考えるため、今回の打ち合わせはここで終わってしまった。時間の無い状態、加えて先読み出来たとしても対処が難しい前日の謀、これならば帝国の脅威はないだろうと、多少は安心できるのだった。
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皇女はボードレックとマルティナに改めて確認した。しかし、六年前の事件に関しては、何も聴いてないとのことだった。そして今はもう、その存在を稀薄なものに戻しているセフィードに目を向ける。何を考え今回の行動に出たのか不明だが、やはり話さなければならない。出来る事なら、宮廷内のゴタゴタが片付いてからと思っていたが、こちらも時間がないようだ。
「それでセフィード。話があるのではないかしら。私だけでいいのかしら。他に聴いて欲しい人がいれば、呼んで来させるわ。」
その問いかけに、セフィードは暫く沈黙していたが、ここが決断のしどころと判断したのか、始めてその重い口を開いた。
(今は、ここにいる人達のみでいい。私の願いは一つ、私の娘を救って欲しい。…残念なことですが、私の娘は既に死んでいます。しかし、その魂が拘束され、この大地に縛り付けられています。本当は、今直ぐにでも助けてあげたい。開放して欲しい。しかし、私ではダメなのです。勿論、普通の人間でもダメなのです。貴方は、その治癒魔法の能力を出来るだけ伸ばして下さい。そして、信用出来る仲間と旅に出る準備をして下さい。それと本日、辺境伯令嬢にお貸ししたものを、旅立つ時に持参して下さい。それまで、どんな事があろうと、私の全力をもって貴方を守ります。そして帝国には充分な注意をして下さい。先に申した通り、彼らは異常です。特に帝国の君主ガルムンド五世、これは野心もそうですが、生にしがみ付いています。その意味が分かりますね。それを支える、あの名前のない男は最悪の存在です。何か危険を感じたら、その場からすぐに逃げ出して下さい。私が話して上げられるのは、この程度です。)
精霊セフィードの話を聞いたボードレックとマルティナが慌てて止めに掛かる。
「姫様いけません。旅に出るなど。不可能です。」
「ボードレック様の仰る通りです。余りにも無謀です。」
勿論、二人の言わんとする事は理解出来る。しかし、フェリエス皇女は、宮廷内の問題と宗教関連の勢力を押さえる事が出来た時点で、行動を起こすことを考えていた。その旅に森にいた家族を加えて旅に出ることで、何か新たな発見が出来る予感がしていた。つまり、現時点で森の家族が助かる可能性が少しあるように思えた。
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宮廷内は静かな緊張に包まれていた。元々、帝国と境界を接するロンドール侯領の辺境伯とその令嬢が、非公式の謁見に訪れるだけの予定だった。しかし、先日の皇女暗殺騒ぎで状況が一変した。それは帝国の間者が、宮廷内にいるのではないかという憶測により、宮廷内に従事する侍女や文官、騎士、衛兵、そして貴族に至まで、その出身や身辺を再度調査された。この件に関して、大勢の貴族から横槍が入った。貴族達から見れば、痛くも無い腹を探られるのは、納得のできるものではない。しかも、よくよく話を聞けば、魔力暴走の可能性があるとのこと。そちらの方が余程問題ではないのか。一大事ではないのかと、皇帝に問い質す者もいたほどだった。
しかし、皇帝は一貫して暗殺未遂という姿勢を貫き、この問題に関しては、次の謁見で対応するとの取り決めが下されていた。つまり、本日の非公式の謁見に、様々な思惑のある者が集められていた。特に皇国東側の貴族達は、暗殺未遂事件に関して、憤りを感じていた。皇国東側の貴族達は、帝国に苦しめられた過去がある。多くの親族を失い、土地を荒らされた。やっとの思いで生き残った者も、命以外の全てを失い途方に暮れた。今回の謁見は、あくまでも非公式であるが、東側の貴族達は率先して参加していた。逆に西側貴族達は、その多くが参列を辞退していた。
これが現在の皇国を物語る構図であった。西と東に分かれて国を二分しかねない状況。さらに国内での宗教関係者の暗躍は、目に余るものがある。産まれたばかりの子に魔法封印することは、その命を守る為に必要な措置である。それはつまり、その命を握っていることと同義であり、安易に宗教関係者に敵対することが出来ない理由だった。それをいい事に、宗教関係者は自分達の欲望を優先し、一般市民からも疎まれる存在に成り下がっていた。
それでも心ある一部の宗教関係者は、このままでは皇国でのベストラ教の信頼が、完全に失墜してしまうという思いから、皇国内の宗教関係者にかつての敬虔で信心深い宗教家へ回帰することを訴えた。しかし、多くの教会関係者の感心は、地位の向上や個人の欲望に向けられ、本来の慈悲深い教会関係者の姿からは程遠い存在だった。
そんな状況下で始まった謁見は、多少の緊張と多くの苛立が垣間見えた。多少の緊張は、この場に心を読むと噂される辺境伯令嬢がいることに関連し、多くの苛立は、東側貴族が西側貴族に対して抱える不満だった。元々、この国は現在の東側貴族を中心とした、帝国に対抗するために団結した小国郡だった。その小国郡が団結し、巨大な国を形成した後に、自分たちの不利を悟った西側の国々が、その巨大化した国に流れ込むように、さらに巨大化したのが現在の皇国だった。
帝国の脅威に対して、東側貴族は団結してこれに対抗しようとする考えだったが、西側貴族の自治権を尊重して欲しいという言い分とが、常に対立の構図を産み、結果的に中途半端な国家の運営を余儀なくされていた。そして、東側の軍関連中心の貴族社会と西側の商業関連中心の貴族社会という構図が、お互いの歩み寄りを困難なものにさせていた。
和やかな挨拶程度で謁見が終了していた辺境伯はその令嬢と共に、謁見の間の片隅にいた。先程から、少し苦しそうなエリシアの様子に、辺境伯は落ち着きを失いかけている。帝国の侵攻に伴う魔物の氾濫により、妻を失ってしまった辺境伯は、最近さらにその妻に似て来た娘を溺愛していた。そんな溺愛している自分の娘が、目の前で苦しんでいた。辺境伯は憮然とした表情で、奥歯を噛み締めていた。本当は、こんな無茶な依頼をした第三皇女を、怒鳴りつけてやりたい気持ちを必死に抑え込んでいた。
皇帝との謁見が終了した後、辺境伯とその令嬢は、謁見の間の片隅に移動し、周囲の様子を窺っていた。怪しげな人物、この国に対して良からぬ思いを抱く人間、それらのあぶり出しを行っていた。部屋の片隅に移動し、エリシアは皇女から渡された指輪をはめた。指輪をはめた瞬間から、膨大な意識の奔流に飲み込まれそうになる。振らつきそうになる体を、必死に支えた。皇女から渡された指輪は、個人の能力を向上させる国宝級の指輪だった。今回は東側貴族が大半だった為、概ね問題となる人物もいなかったのが、せめてもの救いだろう。辺境伯令嬢は、これで西側貴族が追加されると、流石に体が保たないと感じていた。