第十四話 転進と思惑
宮廷で謁見が執り行われる数日前、皇都から別々の方向に三台の馬車が出発していた。一台目は東へ向かい。国境付近から訪れるロンドール辺境伯に、秘密裏の接触を予定している、元第一騎士団団長ファルゴス・フォン・アレイユが乗る馬車。元副団長のレイモン・フォン・ゴルベックと共に、かつての戦役で戦った魔法士や回復魔法士を連れ、冒険者を装い馬車を走らせていた。
二台目の馬車は元第二騎士団団長アレッシュ・フォン・フォーブスと、元副団長のクリム・フォン・エンドルフが商人を装い、冒険者に扮した従者を従え、一路西を目指していた。このメンバーは、西側にある貴族領の調査を目的としていた。皇国東側の貴族達は、常に帝国や大森林からの脅威に備えているため、概ね貴族としての責任感や危機意識が強かった。しかし西側の貴族達は、遅くに皇国に組み込まれたこともあり、その地域の民衆も含めて他国的意識が非常に強かった。加えて、魔物や帝国からの侵攻などを受ける事もなく、それ故に大きな隙があった。教会関係者は、そんな浮ついた貴族達のプライドや虚栄心を巧みに擽り、その領内を内部から腐らせていった。
そして三台目の馬車は、元第三騎士団団長ミレイユ・フォン・オルトランと元副団長のグスタフ・フォン・バークレイが、元第三騎士団の者を伴い、皇国東北部の大森林へ向かっていた。目的は、もちろん森の中の家族を捜し出し保護すること。但し、発見後は速やかに皇女へ連絡し、ともに現地へ赴く予定になっていた。
最初に団長達が、この任務の話しを聞いたとき、俄には信じ難い思いだった。しかし、皇后陛下から既に第三皇女は宮廷を離れ、行動を開始したと聴き、団長達の迷いは消えた。あの有名な籠もり姫が自ら宮廷を後にした。目も碌に見えず、僅か五歳の子供が覚悟を決めて旅立っている。その事実が皆の決意と行動を後押しした。
出発前に、それぞれの騎士団団長は、人知れず下町の診療所を訪れていた。ある者は、今後の打ち合わせを、またある者は具体的な指示を仰ぎに来ていた。特に時間を掛けて話し合っていたのが、第三騎士団の二人だった。広範囲な大森林の捜索は、少数の人員では不可能なため、少しでもヒントになる話しを聴こうとしていた。
そして、東に大森林があり西には街が存在する地形と、過去の魔物の氾濫で、森の中に打ち捨てられた家がある事などの情報が追加された。その結果、場所は皇都から北北東から東北東の間を重点的に探すことを決めた。さらに森の中では、罠類には十分な注意が必要と指摘された。
それから皇女は、各騎士団長に対し充分に注意するように伝えた。皇国が来るべき未来に対して行動を開始したことで、何らかの変化が必ず起きていると語った。帝国側がどの段階で変化に対応するかは不明だが、何れは対処してくることが考えられる。その為、森の家族を襲った暗殺集団の特長や攻撃方法、それに対する有効的な戦い方などを伝えた。万が一の時、何かの助けになるよう、少しでも生き残る可能性が高まるように。そして、誰一人欠ける事なく、皆が必ず戻って来る事を願っていた。
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それから二日後の午後に、目的の人物が訪れてきた。ウィドックの連れてきた人物を一言で表現すれば、驚くほど純粋だろうか。とにかく、こんな貴族がいたのかと、信じられない思いだった。それまで、皇族や貴族の中で育ったフェリエスからすれば、まさに奇跡に近い存在だった。貴族であれば、幼い頃から多少の駆け引きや立ち回り術を身に付け、それなりの狡さや強かさを身につけているものだが、目の前の彼女はまるで違っていた。まさに大抵の男が理想とする、現実には存在しないはずの女性像そのままだった。汚れなく純粋で、一途でひたむき。そんな令嬢を見ていると、如何に自分が薄汚れているか気付かされる。まだピチピチの五歳なのに。まぁ、かつてのOL時代を入れるとアラフォーに近付くのだが。そんなことより、果たして自分が考えている方法が、可能なのかと心配になってきた。
今後の事を考えると、辺境伯令嬢のエリシアを、何とか取り込んでおきたいのだが、中々に難しいかもしれない。さらに、これから行動を共にするという提案を、受け入れてくれるだろうか。考えれば考えるほど、目の前で挨拶をしている娘には、あまりにも荷が重いのではと考えさせられた。
「ここでは、何ですから奥へまいりましょう。」
診療院入り口で、挨拶を交わしていた者にマルティナが声をかける。詳しい話しは、間違っても周囲の人間に聞かれてはならない。その為、一行は建物奥に設けられた、食堂スペースへ移動するのだった。
皇女の要望により、ここを訪れたのは令嬢とその執事だけだが、この執事はかなりの使い手のようだった。実際、診療所奥のスペースへ踏み込んだ瞬間、セフィードの存在に気付いていた。これまでにも精霊セフィードの存在に気付いた人間が数人いた。彼らの前に訪れた騎士団団長達は勿論だが、ボードレックとウィドックも、辛うじで何かの気配を感じていた。
このことから騎士団の団長と副団長達には、自分が行っている各感覚器官の強化方法を教えた。これを習得する事が出来れば、騎士であれば有効的に活用できるのではないかと考えたからだ。実際この方法を使い周囲の状況を感じることが出来るのは、団長クラスの人間で朧げに感じる程度だった。しかし、訓練次第で暗闇などで活用することが出来れば、その優位性は計り知れない。つまり、使いようでかなり効果があると思われた。それなのに目の前にいる執事は違っていた。その存在を的確に捕らえていた。そして、驚いた事に辺境伯令嬢までも気付いていた。
「如何なさいましたか。」
奥へ誘うマルティナは、突然立ち止まった二人に声を掛けた。立ち止まった二人は、食堂スペースの椅子の上に置かれたズタ袋を見詰めていた。その二人の行動に、皇女は思わず感嘆の声を上げる。
「ほぉ、お二人とも分かりますか。その感じですと的確に捉えられているご様子。実際、ここを訪れたものでも僅かな者しか気付きませんでした。お二方は何か特別方法を、ご存知なのですか。」
その言葉に令嬢と執事は顔を見合わせ、何かの意思疎通が行われた。おそらく、長く共に居る者だけが、理解できるやり取り。それは、ほんの短いやり取りだったが、小さな溜息一つの後、辺境伯令嬢は話し始めた。
「恐れながら皇女様、あれは何と言って近付いて参りました。何か良からぬものです。」
「そうか。私には精霊と申しておる。ただ、精霊ではない事は分かっている。其方達がそこまで警戒するものでもない。本当に危険なものであれば、私が気付く以前に、私に危害を加えた筈だ。それより、どちらかと言えば、私は随分と助けられたと考えている。ただ、あれの目的が未だに分からないが、何かあるとは気付いてる。まあ、心配する事はない。安全は保障しよう。」
その言葉を聴き、納得の頷きをした令嬢が話し始めた。先程までとはまるで違う、別人のような雰囲気に変化していた。皇女はまたも驚かされた。先程までは、どちらかと言えばおっとりとした感じがしたが、今は鋭さが増し明晰で隙のない印象を受ける。本当の令嬢は、こちらなのだろうと感じられた。それまで本人を覆っていた、霞がかった何かは取り払われていた。
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辺境伯令嬢を送り出した後、ボードレックとマルティナに声をかける。先程聞いた話しのことだ。この国の置かれた現状、未来予想とそれに対応した騎士団の動き、そして明日の謁見で確認して欲しい事をお願いした。その話しの後だった。それは六年程前に辺境伯領地で起きた、ある事件に関することだった。この事件は、辺境伯領地の者にとって、大きな変化の起点となった。皇女は当然この話しを知らないし、ボードレックとマルティナも知らなかった。
その事件とは、今から六年程前にあの大森林を抜けて来た、人間や亜人が多数見つかったことだった。残念ながら、その多くを助ける事は出来なかった。当初、彼らは非道な帝国から逃げて来た、普通の市民達と考えられていた。彼らの多くは酷く衰弱しており、森の中を必死に逃げて来た苦労が窺われた。
当時、グランスロー要塞からの至急の伝令に、辺境伯は帝国の進行かと肝を冷やしたが、詳しい話を聞き状況を確認すると、その後の行動は迅速だった。大至急グランスロー要塞に向かい、衰弱したもの達を出来るだけ助けるように指示を出した。その当時、帝国からの亡命する者は皆無であり、帝国内部の詳しい情報は、国境に関係なく移動する、宗教関係者の言葉のみだった。
そのとき生き残る事が出来たのは、わずか数人だったと聞く。多く者は拷問を受けたのか、体中に傷跡があり、その事を聴くと恐怖に怯え口を噤んだ。それでも根気強く治療し、暖かい食事と安心できる環境を提供し続けることで、信頼を得る事に成功した。その頃から少しずつ、情報が漏れ聞こえて来た。その話しは、信じる事が出来ないほど恐ろしく、底なしの深い闇を感じさせた。この想像を絶する非道で残酷な行為を、皆はどう解釈するべきか困惑した。果たして本当の事なのか、それとも余りの恐怖による幻想なのか判断出来なかった。そのため多くの者は口を噤み、慎重な対応を選んだ。
この話しを聞いた全員が、その残虐さと悪辣さに沈黙した。室内の空気は重く沈み、受け止めるべき現実の重さが体に伸しかかる。そんな中、突然精霊が話し始めた。
(その話は、全て本当のことです。多くの者の命は、果てしなく軽く、そして粗末に扱われました。帝国の行いは、命を冒涜する行為、生きる意思を蔑ろにした非道なものです。帝国の施設では、多くの危険な行為が行われていました。その中に、この世界に存在してはいけない者達などもありました。辺境伯令嬢、あなたはスライムもどきをご存知ですね。)
その言葉に、自分の足下に視線を彷徨わせたい令嬢が、驚いて顔を上げた。なぜ、それを知っていると言いたげな視線と共に、これまで沈黙を守っていた精霊が、何を言わんとしているのか分からなかった。
「セフィード、私にはよく解らないのだが、スライムもどきとは何だ。聴いたことがないぞ。分かりやすく説明してくれるか。」
突然話し始めた精霊に対して、冷静な対応が出来たのが皇女だけであった。それまで微かな存在としか認識出来なかったが、話し始めた途端にその存在感が膨張した。周りの人間達は、そこに突然人が現れたような錯覚を起こした。
(そうですね、説明致しましょう。まず、帝国から逃げて来たのは、人間達に限ったことではありません。多くの動物やそうでないものが森の中に放たれました。多くのものは、森の魔物や自然の環境に淘汰されました。しかし、一部の人間や亜人と同様に、強い生き物や狡猾な生物は森を抜け出るものや、あるいは森のさらに奥へ向かいました。森を抜けて来た生き物の中に、そのスライムもどきがいました。これはスライムをもとに作られた新生物です。普通の魔法は一切効きません。直接攻撃もほぼ効果がなく、唯一の弱点は動きが非常に遅いこと。生物である限り、食物を取らなければ死んでしまう。その遅さが命取りでした。しかし、スライムもどきの存在が知れ渡るまで、多くの人間や動物が犠牲になりました。森を抜けた新生物の殆どは死にました。しかし、森の奥を目指した強力なものは未だ健在のようです。)
この話を聞いていた、辺境伯令嬢の瞳に怒りの感情が浮かぶ、傍に控えていた執事が令嬢を庇うようにセフィードの前に立ち塞がる。
「本当は何者です。偽りの姿で皇女殿下に近付き、私たちに何を望むのです。返答次第では…。」
この令嬢の言葉に、皇女が慌てた。