第十三話 盟友と転進
ボードレックに着いて行くウィドックは、自分の顔が徐々に険しくなっていることに気付いていた。落ちぶれた元騎士が、スラム街などで極悪非道な行いや、歓楽街の用心棒と称し悪質な行為に及ぶことを知っていたのだ。故に先を歩くボードレックが、スラム街の方向へ歩いて行くことに、心の内が冷めて行く思いだった。
二人はしばらく歩き、小さな診療院の門を潜った。ウィドックはその入り口で、しばし立ち止まり辺りの様子をうかがった。そこはスラム街の近くではあるが、普通の住民が住む区画であり、ただの診療院に見えた。ぼんやりと周囲を観察するウィドックの耳に、診療院の中から話し声が聞こえて来た。小さな子供の声がする。何事かと中へ向かうと、話し声がはっきりと聞こえた。
「お父様、遅いではないですか?」
「すまない、食事をしていた。」
「へっ?外で食事をされたのですか?何故です?お母様が食事の用意をされていますよ。どうするのです。私は知りませんよ。何故、一言もなしに食事をされたのですか。また、お母様が悲しまれます。」
子供に怒られ、明らかに所在無さげなボードレックを見て、ウィドックは何と声を掛けて良いのか迷っていた。すると、ボードレックを父と呼んでいた子供がこちらを向いた。その顔を見たウィドックは、何かを感じたのだが、その何かが分からなかった。
「あら、お客様がいらしてるのね。あなた、お客様を呼ぶ時は、先に連絡して下さいと、あれ程お願いしたではありませんか。」
建物の奥から出てきた女性はそう言うと、ウィドックの前にやって来た。
「主人がいつもお世話になっております。私、妻のマルティナと申します。あれは娘のフェリです。フェリ。ご挨拶しなさい。」
「フェリです。お父様がいつもお世話になっております。」
そう言うと若い女性と子供は頭を下げた。ウィドックは、何故か滑らかに動かなくなった首を、音をさせつつ強引にボードレックの方へ向けるのだった。
(えっ?どういうこと?あのボードレックが結婚していた?奥手で硬派な男が?……嘘でしょ……奥さん、美人さんじゃないか……あれ?なんか無性に腹が立ってきたな。……あぁ、目から水が、しかも子供!もう、かなり大きいじゃないか…どう見ても五、六歳位だぞ……)
ウィドックは状況を理解して行く過程で、自分がどんどん不機嫌になって行くのを止める事が出来なかった。ボードレックに言ってやりたかった。お前は俺と同じで、独身と言う名の貴族だったのではないのかと。そんなボードレックは、酷くバツの悪そうな顔をしていたが、その顔が無性に腹立たしかった。
「ボードレック!どういう事か説明してくれるよな?なんで綺麗な奥さんとこんなに大きな子供がいるのか。」
剣のある声で問いただす、ウィドックの顔は笑っていたが、目は全く笑っていない。そんな言葉に、約一名だけは“綺麗な奥さんだなんて”と体をクネクネさせながら照れ、当の本人であるボードレックは親に説教をされた子供のように、無言で下を向いていた。
「気付いたら、この状態だった。」
「何が気付いたら、この状態でしただ!気付かないうちに子供なんか出来る訳ないだろ!」
絞り出すようなボードレックの返事に、噛み付くように返すウィドック。少し険悪なムードになった二人に、皇女は助け舟を出すのだった。
「二人とも、その辺で良いのではないか。ウィドックよ、そろそろ気付いてはくれぬか。一応、何度かは会っているのだから。」
この幼い子供の言葉にウィドックは、ハッとさせられた。それとともに、随分と大人びた物言いに、聞き覚えがあることを思い出す。まさか、慌てて幼子の顔を確認する。驚愕に目は見開かれ、間抜けな感じに口が開かれたまま、体は硬直していた。
「ウィドックよ。惚けている場合ではないぞ。其方も存じているであろう。これから話す事は、信じられなと思うが事実だ。心して聴け。」
その言葉にウィドックは、無意識の内にノドを鳴らした。話しを聴いていく内に、驚愕の表情から厳しい顔つきに変化していた。細かい部分は削除し、この国が置かれている現状と今後の危険性。さらに国内に暗躍する間者や帝国協力者など、それらの話しに至った所では、握りこぶしに力が込められた。もちろん、既に行動を開始した騎士団上層部についても説明した。
一通りの説明を終えた皇女は、のんびりとお茶を飲んでいた。診療所の奥に設けられた、食堂スペースで話しを聞いていたウィドックは、今は黙って腕組み、目を閉じて考え事をしていた。その横では、夫役のボードレックに甲斐甲斐しく世話をするマルティナの姿があった。時折聞こえる似非夫婦の会話が、ウィドックを苛つかせ眉間にしわを刻む。ウィドックの酷く苛立った表情に、皇女は何か納得した苦笑いを漏らすのだった。
それはここ数日の間、この二人の何とも言えない甘い雰囲気に、皇女自身が居たたまれない思いをしていたのだ。例えるなら体の何処かが痒いのだが、何処が痒いのかが分からない感じだった。そして、しばらくして気付く、そうか、体の中がむず痒いのだと。この二人の何とも言えない、甘い空間に引きずり込まれると、体の中がむず痒くなるのだった。皇女はこれでやっと、この苦しみを共有する同士が増えた事に、奇妙な連帯感を感じるのだった。ウィドックは、そんな目で見られている事に気付くはずもなく、先程、皇女から頼まれた事を頭の中で考えていた。
「私が、ロンドール侯爵に渡りをつければ良いのですか。」
ウィドックの言葉に皇女は静かに頷く。ウィドックは盛大に漏れそうな溜息を必死で我慢した。そして、未だに意味不明な甘い空間にいる、ボードレックを鬼の形相で睨みつけていた。
「まあ、話し自体は第一騎士団団長が接触されている筈です。都では何処で間者に繋がるか分かりません。それに彼女は注目され過ぎている。お会いするにしても、細心の注意が必要です。これから出す指示を、しっかりと覚え、必ず実行してください。彼女の場合は間者よりも、国内の貴族の方が危険かもしれません。」
その言葉に、ウィドックは無言で頷き、未だに甘い空間にいるボードレックを見て、拳を握りしめるのだった。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
「ゴーグレイ様、今回の一件、どのように思われます。」
「宮廷の対応か。」
ゴーグレイと呼ばれた男は、ワインのグラスを傾けつつ、暖炉の火を眺めていた。五日程前の午後に、宮廷で魔力暴走が起こった。しかし、次の日の発表では、帝国の間者による暗殺未遂にすり替えられた。宮廷内部の者に話しを聴くと、魔力暴走しかあり得ないのだが、何か思惑があることは確かだ。普段から懐柔している貴族共を焚き付けて、情報を引き出そうとしたが、巧く躱されていた。
「サミル大司教。深入りも危険だが、情報が少な過ぎる。それに騎士団の動きがおかしい。それとなく調べさせてくれ。なるべく、貴族側から手を回してくれ。最近、教会は皇帝から目の敵にされているようだからな。」
ゴーグレイ枢機卿は、ワインを飲みながら薄ら笑いを浮かべ、サミルは深く頷き、配下の者達に指示を与えるのだった。
かつてこの世界は民族の数に応じて、さまざまな神を崇めていた。しかし民族ごとの対立が激化し、滅ぼされ淘汰される民族と共に、その信仰もまた姿を消すこととなった。そんな中で、台頭してきたのがベストラ教だった。開祖であるベストラは、魔法の封印と開放。さらに癒しの魔法に関し大きな功績を残した。封印の儀式が確立されるまで、人間達は多くの犠牲を払ってきた。長命種の種族と違い、人間は感情に支配されやすく、そのため魔法の素養のある者は、自らの魔法の犠牲になっていた。
そんな、多くの犠牲に心を痛めた神が、ベストラに魔法の封印と開放、そして癒しの魔法を授けた。ベストラは生涯その神に感謝し、祈りを捧げ続けた。やがて、人間界で大きな勢力を持つようになったベストラ教は、国同士の争いに関係なく、それぞれの国を行き来し、布教活動を続けた。今では、北部大陸を二分する皇国と帝国を自由に行き来するのは、ベストラ教の教会関係者のみになっていた。