金縛り
目を開けるといつもの天井。だが、四肢は動かせない。
これはかの有名な金縛りという奴ではなかろうか。
辛うじて動かせる眼球で辺りを探ってみるが、元より霊感や心霊現象とは無縁の俺だ、枕元に何かが立っているという事もなかった。
一瞬焦りはしたが、何かが起こるわけでもない。
ただ気がかりな事は、見上げる天井が色褪せて見えるのだ。いや、天井だけではなく目を動かして見える範囲全てが、モノクロで薄っぺらく見える。
(何なんだ一体)
身体に自由が戻ったのは、体感にして5分程経った頃だろうか。実際はもっと短かったかも知れないが、目で見える位置に時間を確認する術が無かった。
金縛りが解け、世界に色が戻ってきた。
身体を起こし、買い換えたばかりのスマートフォンを確認すると、時刻は9時32分となっている。
「完全に遅刻だな......」
授業開始は9時。ここまで確実に遅刻が決まっていると、焦りも無くなるというものである。
俺はゆっくりとシャワーを浴び、朝食を摂る事にした。
学校に着いたのは12時過ぎ。
クラスの奴らに遅刻を弄られながら席に着いた。
それからその日は何事も無かった。
何だったのだろうと不思議に思いつつも、下校時間には朝の出来事など記憶から無くなっていた。
しかしそれは、ある意味初めての経験であり、そして始めの経験であった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
初めて金縛りが起こってから、2ヶ月が過ぎた。
暦の上では冬であるが、本格的な寒さはこれからだろう。登下校路の名も知らぬ雑草達にも、霜が降り始めている。
あれから金縛りは頻繁に起こった。
始めのうちは3日に1度。段々と金縛りの感覚が短くなって、今ではほぼ毎日のように意味の無い毎朝を過ごしている。
「よ!遅刻魔の司くん!今日も社長出勤お疲れ様です!」
学校に着くなりそんな声を掛けられる。
この状況ではそれも仕方ないと割り切ってはいるのだが......
「うむ。くるしゅーない。......てか、遅刻魔はやめろ。『たまに』だろ?」
「いやいや!ここんとこ毎日じゃねーか!」
そう。金縛りが起こった日は必ず遅刻していた。
理由は至極単純。金縛りの後時計を確認すると、必ず9時32分だったからだ。
最初は偶然かと思ったが、毎回その時間だった。
霊的な理由は信じていない為初めから除外し、俺は金縛りの原因について様々調べてみたが、今ひとつ有益な情報は得られなかった。
次に行ったのはその時間に起きて過ごす事。
たがこれも、どれだけ前日に早く寝ようが絶対にその時間まで起きれず、逆に起きて待とうとしても絶対に途中で記憶が飛ぶ。
特に原因がわからず、このままでは卒業に支障が出るのでは無いかと思い始めてはいるものの、有効な打開策も見つけられぬままに日々は過ぎていった。
そして今日も......
(また遅刻かぁ)
金縛りにも慣れたもので、色褪せてモノクロの天井を見つめたまま、早く終わらないかなぁと考えていたその時、耳元で声が聞こえた。
「やっと見つけた」
それは少女の声。何故、と考える間も無く、俺は目一杯眼球を右へと動かして、声の主を探した。
限界まで傾けた視界の端に映ったもの。それは妖精であった。丁度手のひらサイズの人型で背中の羽を羽ばたかせて宙に浮いている。
とうとう幻覚をも見えるようになったか。
そろそろ病院へ行くべきかもな......
「よし、行くよ!......って動かないんだっけ。ほら早く起きて!」
そういってその妖精の少女は俺の真上に来ると、俺の額に小さな手を乗せてきた。すると、さっきまでの
金縛りが嘘のように、身体に自由が戻ってきた。相変わらずモノクロな世界のままだったけど。
身体を起こして全身を動かしてみるが特に異常はない。何が何やらわからず困惑していると、少女は更に言葉を続ける。
「さっ!これで動けるようになったでしょ?行くよ!」
「は?ち、ちょっと待ってくれ。行くって何処へ......」
「大丈夫!心配しなくていいから!」
そういって俺の肩に乗る妖精。
「いや、訳が......」
「おーい!神さまー!見つけましたー!呼び戻して下さーい!」
妖精が何もない天井に向かってそう叫んだ瞬間、俺の視界は白く包まれた。