06:古びた音色が蘇るとき
06: 古びた音色が蘇るとき
ピアノの音が無音の空間に響き渡る。
か細い背がゆっくりと息を吸い込むと同時に、一気に鍵盤に指を滑らせると溢れ出す音。
しばらくの後、木管楽器の優しい音色がピアノの音と共に響き渡った。
ゆったりとした音が響くと共に、ピアノを囲むようにして座る複数の人々からも美しいメロディが聞こえ始める。
それはピアノを中心に徐々に広がり、部屋中を包み込んだ。
打楽器の音、アコーディオンの音、弦楽器の音が徐々に集まってゆく。
そしてピアノの音。
約3分の音色が全体の合奏で終わるとき、マリアは無我夢中でピアノを弾いていた。
楽しくもどこか儚さを持った曲。
楽しく過ぎてゆく日々を思い浮かべながら、メロディが奏でられる。
「っ……………」
鍵盤から指が離れても、演奏が終わっても心を満たす音。
「よし、練習はここまでです」
「はいっ…ありがとうございます」
本番を明日に控えた今日。マリアは国お抱えの楽団と最後のあわせ練習を行っていた。
流石は国専属の楽団。全員の音がとてもよく澄んでいて、マリアが今まで聞いたどんな演奏会よりも美しく、気高かった。
「マリアさんは本当に素晴らしい演奏をなさる。これは、王子が欲しがるわけです」
「い、いえ!そんな…!私の音をきちんと合わせてくださる楽団の皆様のおかげで…」
「何を謙遜なさいますか。もっとご自分に自信を持たれてください」
「っ………あ、ありがとうござい、ます…!」
白髪の楽団長がにこりと微笑みながらマリアに片手を差し出す。
「明日は、共に最高の舞踏会を作り上げましょう」
「は、はい!!よろしくお願いいたしますっ…!」
その優しい瞳に、マリアは緊張で震える手をさしだし、お互いに固い握手をする。
緊張と希望で満ち溢れたマリアはまるで武者震いのようなものを感じていた。
練習室を出て、一人長い長い廊下を歩く。
窓から見える景色は美しい。
相変わらず、胸には大切そうに楽譜を抱え歩く姿は城の住人からほほえましくみられた。
「あら、マリアさん。調子はどうですか?」
「あ、侍女長さまっ…!だ、大丈夫です!」
「そうですか。後で、侍女のアノにマリアさんのお好きなカモミールティを持っていかせますね」
「そんなっ!お気遣いなく!」
ブロンドのロングヘアをなびかせながら、マリアはまっすぐ自らの与えられた部屋に歩みを進める。
『きれいな、音ね』
「っ………?」
『すごく、まっすぐで…きれいな音』
どこかで聞いたことのある声に、マリアは勢いよく背後を振り返るも誰もいない。
ただ長い長いオフホワイトの廊下が続いているだけ。
ステンドガラスから入る暖かい木漏れ日が優しく真っ赤な絨毯をてらしていて。
開けっ放しの窓から、時折木々のざわめきが聞こえる。
「………空耳…かな?」
疲れがたまっているのだろうか。
それとも、風に乗ってほかのところから声が流れてきたのか。
じっと空間をみつめるものの、こうしていてもらちが明かないのでマリアは足を進めるために前を向いた。
『こんにちは』
「っ!?へ!?」
『あら、驚いた?』
「………………!!」
マリアの目の前には、先ほどまでいなかった女性の姿。
色素が薄いクリーム色の腰ほどまである髪を惜しげなく流し、金色の瞳。エメラルド色のドレスを着こなした、この世にもまれに見ぬ美女がいた。
『うふふ……あなた、とてもいい音色を響かせるのね』
「っ…あ、あの…!」
『きれいな指……この指からあの美しい音色が生み出されるのね』
か細い指で握られたマリアの指を、愛おしそうにながめる目の前の女性。
うっとりとした様子でマリアの指と自らの指を絡ませると、勢いよくマリアを引っ張る形で走りだした。
「っ!?え、あのっ…ちょっと待って!」
『ピアノを弾いてほしいの!来て!』
「へ!?」
その細い身体のどこにこんなに強い力があるのだろうか。
マリアは引っ張られるまま、ものすごいスピードで何度も何度も廊下をまがってゆく。
自分の足が動いているのかもわからない。
景色が見えない。
まるで一瞬、まるで夢を見ているかのようで。
『はい、目をあけて』
「っ………?」
言われて、初めて自分が目をつぶっていたことに気付く。
ゆっくりと恐る恐る瞳を開けば、目の前に広がるまばゆい緑。
「っ………きれ、い」
マリアは無意識につぶやいていた。
不思議の花園とはこのことをいうのか。
視界いっぱいに広がるのは、美しい花々と生い茂る木々。
木陰になっているそこは色とりどりの花々が咲き乱れていて。
『気に入ってくれたかしら?ここは………私の、庭なの』
「すごい……」
その光景に見惚れていると、女性はマリアの腕を静かに握りゆっくりと歩みを進める。
さく、さく、と草を踏む音が響き渡る。
時折聞こえる鳥のさえずりが、どことなく安心感をあたえる。
木々の合間から見える青いそらと、ふわふわと浮く白い雲。
草むらに潜む動物たちが警戒するように、じっとマリアたちを見つめていた。
『たくさん動物たちがいるでしょ。みんな、私のお友達なのよ』
リスや鹿、ウサギ。マリアが田舎にある実家にいた頃に見ていた景色と重なって、少し目頭が熱くなった。
いつも心配してくれた母は元気だろうか。
弟や妹、友人のミシャ…そして、父は、今どうしてるのだろう。
不意に、歩みが止まる。
「………あの?………!」
『さぁ、座って』
「こんなところに……ピ、アノ?」
木陰のしたにひっそりとたたずむ、白いピアノ。
花々に囲まれたその風景は幻想的で。
無意識のままピアノの椅子に座る。
磨き上げられていないが、木のぬくもりが心地よい。
マリアは無意識に鍵盤に指を滑らせていた。
その様子を見ながら、女性はにっこりとほほ笑んだ。
美しい空間に、悲しくも澄んだ音色が響きわたった。
これが、運命の狂い出す瞬間。
使用BGM
前半:「人/生/の/メ/リ/ー/ゴ/ー/ラ/ン/ド」 久/石/譲
後半:「あ/の/夏/へ」 久/石/譲