02:開幕のファンファーレ
02:開幕のファンファーレ
「遅いぞマリア!どこをほっつき歩いておったのだ!」
「っ、申し訳ございません」
部屋に入った瞬間に激しい罵声がマリアに浴びせられる。
「ただでさえ役立たずが!何をぬけぬけと!」
「貴方…そんなにきつく言っては…」
「五月蠅い!母の、お前がきちんと躾けぬからこの様な事になるのだ!」
「……父上、そろそろ姉さんを…」
「あぁ、…解っている、マリア!」
トールの仲裁に、父親のドッゴンは俯いていたマリアに激しく、言葉を投げつける。
「いいか?今からお前は、一言も喋るな。ただ、私の横で頷いていればいいのだ。よいな?決して口をはさむな」
「……はい」
いったい何が起きるのだろうか、どっちみちこの様子じゃあまりいい話とは思えない。
ゴッドンは、マリアの姿をちらりと見て舌打ちを一度した後、歩きだす。その様子に脅えながらも、マリアもその後ろを一歩あけてついていった。
応接間に足を踏み入れる。そこは、何故かいつもと違う空気の様に感じた。ピンと張りつめた空気、何処か神聖な、まるで宮殿に居るような感覚になるほど、清らかで。
既にそこには人が居るようで人影がゴッッドンの背中越しに見える。
その人物を見た瞬間、マリアの水色の瞳が緊張と焦りと驚きでぐらりと揺れた。
「娘の到着が遅くなりまして、大変申し訳ありませんでした」
「いや、別に構わないよ」
燃えるような赤く、艶のある短髪
心地よい低音
「……!マリア!頭を下げんか!!お待たせした事を詫びなさい!」
「っ、も、ももも、申し訳ございませんでしたっ」
ゴッドンに頭を押さえつけられるようにして、マリアも急いで頭を下げる。
つい、見とれてしまって身体が動かなかったのだ。
「いや、急に来た私が悪いのだ。娘、顔をあげなさい」
「っ……は、はい…」
恐る恐る顔を上げれば、ばちりと合う真っ黒な黒真珠の様な瞳。
マリアの心臓は、これ以上速くならないというほどまで加速していた。
何故なら、ここにはいていいはずの無い人物が目の前に立っているのだ。マリアの人生の中でこんな近距離でこの方を見たのは皆無に等しい。以前の、即位式で一観客として見たのが初めてだった。
「申し遅れた、我が名はクランツ・ベフォミアだ」
「っ、存じ、あげて……おりますっ!」
マリアは緊張のあまり、顔を真っ赤にしながら語尾がひっくり返るような声をだしてしまった。
その様子にゴッドンはマリアを睨みつけ、対照的にクランツはマリアを優しく見つめる。
すっと、クランツが一礼し、片膝を絨毯につける。
「っ、王子!そのような事は…」
クランツの様子に、ゴッドンが制止しようとする姿をクランツは片手で制す。
マリアの瞳をじっと見つめたまま、クランツはマリアの手首をすっと、なめらかな動作で取る。
ちゅっという軽いリップ音と共に手の甲に口づけられた唇。
いったい何が起こったのだろうか。マリアはただ茫然とされるがまま。
離された唇を無意識に目が追う。
王子の唇はにっこりと弧を描き、視線はマリアに向けられたままで。
「カインズ子爵の娘、名はなんと?」
「っ……え?」
「名は?」
「ままま、マリアでございます!」
「そうか、マリアか」
嬉しそうに笑うクランツ。
マリアはあまりにも美しいその姿に見とれてしまった。
「では、マリア。私と共に王宮へ、来てもらえないだろうか」
「………へ?」
「是非とも、そなたの演奏が聴きたいのだ」
この目の前の王子様は、何を言っているのだろうか。
マリアの思考が追いつかない。
「先日の、ヴェンダーでの演奏会でマリアの演奏するピアノの音を聞いた。私は、そなたに、そなたの演奏に惹きこまれた」
「っ………」
「………マリア」
「は、はい…」
「来てくれる、な?」
「……はい」
じっと見つめられた瞳、触れられたままの手首。
マリアは無意識に返事をかえしていた。