01:春の序曲
01:春の序曲
奏でる音は澄んでいて
ゆったりとしたメロディーは人々の心を奪ってゆく
彼女のすらりと伸びた美しい指が奏でる曲は
まるで魔法
まるで奇跡
「ほぅ…あれが噂の…」
「カインズ子爵も、きっと鼻が高いことでしょう」
「素晴らしい、音色だ…」
とある地方の音楽会で、観客を惹きつける一人の演奏者。
ホールの真ん中に置かれた一台のグランドピアノに向かい鍵盤に指を滑らせる少女は、腰まであるブロンドの髪を惜しげなく背に流し、青と白のコントラストが見事なふわりとしたドレスを身に着けていた。
舞台を囲むようにして、立食していた貴族たちは皆、その少女に、その演奏に惹きつけられている。
数分間の演奏が、まるで永遠の時であるかのように感じられ、人々は演奏に聴き入っていた。
静かに消えてゆく曲の最後、完全に彼女の手が止まった後も続く静寂。
椅子から立ち上がり、彼女が深々と頭を下げた時ホール内は惜しみもない拍手で包まれた。
これが、田舎に住む子爵令嬢の奇妙な人生の物語の始まりである。
「マリア!聞いたわよ!この前のヴェンダーでの音楽祭、素晴らしい演奏だったんですって!?」
「え…、そんな…!私はただ、一生懸命演奏しただけで…」
「あーあー!私もマリアの演奏を聴きたかったわぁ!」
「ミシャがそう言ってくれるなら、私、何時でも弾くよ?」
「本当っ!?嬉しい~~~!」
昼下がり、庭園で二人はお茶を飲みながらゆっくりとした時間を過ごしていた。
ロングブロンドの髪、湖畔の様な透き通った水色の瞳をしたマリア・カインズは胸にピアノの楽譜を抱きしめながら相手の話を楽しそうに聞く。
田舎のカインズ家の長女として生まれた彼女はダンスや刺繍、詩などの令嬢が身につけるべき事のへの才能は全く無かったのだがその代わりに、とある才能を持っていた。
「そういえば、マリア!実は、あの音楽祭に…お忍びで王族の方々が来ていたそうよ!」
「え!?えええええ!?う、うそでしょ!?」
「嘘言ってどうするのよ!お父様が、この目で見たって言ってたもの」
「えー…それって見間違えじゃないかしら…」
「そんなことないわ!きっとマリアの演奏を聴きに来られたのよ~」
「え、違うよ!私より上手い方は山のようにいたし」
先日の田舎であった音楽祭にマリアは参加していた。多くの演奏家や貴族の令嬢が参加するその会で、マリアも演奏をしたのだ。
そう、マリアが他人よりも抜きんでている能力とはピアノ演奏、ただその一つであった。
マリアの友人の、ミシャ・フェブナーは眩しそうにマリアを見つめる。
「いいなぁ~!もしかしたら、王宮から御呼ばれして…王子様との出会いとか!素敵!」
「もー!ミシャ!興奮しすぎよ!そんな事あるわけないじゃない」
「そうかしら?カインズ子爵も喜んでいたみたいよ?」
「えっ?………お父様、が?」
「えぇ、貴女の演奏を嬉しそうに見ていたって」
「………そう、よかった……」
ミシャの言葉にマリアは、ほっと胸を撫で下ろした。
マリアには、1人の弟と2人の妹がいる。ピアノ以外の物事に対して不器用なマリアとは違って、弟や妹達は貴族らしくあらゆる事を上手くこなす。だから、とは言わないが必然的にマリアの不器用さが目立ってしまうのだ。
伯爵の令嬢として致命的な欠点を持つマリアは長女であるが、基本的には居ない様な存在として父親に扱われていた。
「姉さん!」
ぼんやりと物想いにふけっていると、テノールの澄んだ声がマリアを現実に引き戻した。
「…ルーイ?どうしたの…?」
声がした方を振り向けば、マリアと同じ見事なブロンドの短髪、スカイブルーの様な瞳をした青年が駆けてくる。
マリアの近くに来ると、すかさず立ち止りマリアの友人であるミシャの腕を取り一礼する。
「ご機嫌麗しゅう、フェブナー嬢」
「あら、こんにちはルーイ様。そんなに走ってどうされたのです?」
「お二人の楽しい時間を邪魔してしまって、申し訳ございません。姉を、借りてもよろしいでしょうか」
「まぁ!何かあったのね?マリア、遠慮なく行ってきて」
「え…?う、うん。ごめんね、ミシャ」
「気にしないで!もしかしたら、ロマンスの始まり?かもね!」
「もー…小説の読み過ぎよ」
「では、失礼します。この埋め合わせはまた今度」
「えぇ、期待してるわ、ルーイ様」
にっこりとほほ笑んで手を振る友人の姿に、マリアも楽譜を持った片手を振りながらも弟であるルーイにぐいぐいと引っ張られていった。
駆け足で歩いていく弟の背を追いながら、マリアは声をかける。
「ルーイ、どうしたの?そんなに急いで」
「………………」
「ルーイ?」
もくもくと歩く弟に引っ張られるようにして続く姉。
弟のルーイとは3歳の差があるものの、とっくの昔に身長は抜かれてしまって今となってはどちらが年上なのか解らないようになってしまった。
いつからこんなに逞しくなったのだろうか。幼いころは、『お姉ちゃん』と呼んでずっと私の後ろをひっついてまわっていたのに。最近では、姿を見かけることも少なくなった。
「ルーイ?聞いてるの?」
「………マリア」
テノールの声が響く。
なにか焦れた様な、切羽詰まったような声に不信感を覚えマリアは眉をひそめる。
「どうしたの、ルー「マリアは、とんでもないものを引き寄せてしまったみたいなんだ」
「え………?」
「とりあえず、屋敷に戻ろう。話は、そこで」
「え、えぇ。解ったわ…」
近くに繋いでいた馬の手綱をルーイは引き寄せ、先に跨るとマリアに向かって馬上から手を伸ばす。
「さぁ、つかまって」
「む、無理よ!私の運動神経の無さは、ルーイも知っているでしょう!?」
「大丈夫、俺がマリアを引き上げるから」
「で…でも…」
「ほら、早く」
弟の強引な態度に、一瞬戸惑ったもののマリアは精一杯手を伸ばした。
「よしっ」
「きゃ!」
掴まれた腕は簡単に引き上げられ、気づけばルーイの前に座る様な形になっていた。
マリアのホワイトの髪飾りが風に揺れる。
馬の背に横座りの様な形のマリアの姿をルーイは抱き寄せ、耳元で囁く。
「俺にしっかり掴まって。でないと、落ちるよ」
「っ……!」
その言葉にギュッと自らの胸元にしがみつくマリアの姿を見て、ルーイは馬に鞭を打つ。
勢いよく馬は屋敷に向かって駆けだした。