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第14話 修行の成果


 真っ暗!!

 それが、マールの最初の感想だった。


(……あれ)


 目を開けても、何も見えない。

 かわりに感じたのは、結界越しに伝わる圧迫感と、少し息が詰まるような空気だけだった。


「……え」


 小さく声を出すと、もわ、と妙に響いた。


(……たべられた?)


 どこか他人事のように考えながら、マールは反射的に結界を保つことに意識を向けた。薄い紫色の膜が、身体を包んでいる感覚がある。


(……大丈夫そう。でも、ここからどうしよう?)



 その頃、川辺では。


「マール!!」


 レグルスの叫びは、もはや悲鳴のようだった。

 アッポロは斧を構え、今にも飛び出しそうになっていた。


「腹をぶった切るか!?」

「駄目だ!」


 フリッツが即座に叫ぶ。


「中にいるだろ! マールが!」


 全員、分かっている。

 分かっているからこそ、誰も決定打を出せない。


 レグルスの拳が、ぎり、と鳴った。

 そのときだった。


 ポイズンフロッグが、ぴくりと震えた。



「……ん?」


 ドクペインが目を細める。


「何やら様子がおかしいですね?」


 視線が、自然とポイズンフロッグの真ん丸なお腹の一点に集まる。もし今でもしっかりマールの結界が展開されていたとしたら。


「……なるほど」


 ドクペインは、早口になる。


「カエルは、捕食後に危険物や消化不能な異物を吐き出す習性があります。それも――」


 ――げぼっ。


 説明の途中で、嫌な音がした。

 次の瞬間。

 ポイズンフロッグが大きくのけぞり、


 ごぽん、と。


「それも胃袋ごと、中身を吐き出すんです。だからあの中にはマールが……」


 言い切る前にレグルスが剣を引き抜き、胃袋とカエルを分断した。そして怪力のアッポロが胃袋をメリメリと剝がしていくと、中から小さな人影が出てきた。



「……っ!」

「マール!!」


 レグルスが駆け寄る。

 その声に反応したのか、結界がゆっくりと消えていく。


「……あれ?」


 マールは自分の手を見て、首を傾げる。


「……出れた?」


 毒の痺れもない。息も普通にできる。

 その言葉を聞いた瞬間だった。レグルスの身体から、ふっと力が抜けた。


「……っ」


 顔色は目に見えて青く、剣を持つ手がわずかに震えていた。膝が抜けそうになるのを、どうにか踏みとどめ――次の瞬間、マールを強く抱き寄せる。


「……すまない……」


 低く、かすれた声だった。


「俺のせいで、怖い思いをさせたな……」


 それ以上、言葉が続かない。

 ぎゅっと締めつける腕は強く、でもどこか頼りなかった。そんなレグルスの胸元で、マールはきょとんと瞬きをする。


「……だいじょうぶ」


 小さな手が、そっと彼の服を掴んだ。


「おじさんが、助けてくれるって分かってたから……」

「……俺が?」

「うん。だからマール、それまで結界がんばったの……」


 レグルスが、はっとして顔を上げる。


 結界で毒を遮ったこと。

 無意識に、身体を守ることだけに集中していたこと。


 それを聞いた瞬間、

 レグルスは完全に言葉を失った。


(……戦闘中に取り乱していたのは、俺のほうか)



 ドクペインが、軽く咳払いをする。


「結論から言いましょう」


 淡々とした声だった。


「結界は万能ではないことが、今回お互いによくわかりましたね」


 その言葉に一同は押し黙る。だが安心させるように、ドクペインは「ですが」と指を立てながら続きを語った。


「反射防衛としては完璧でした。毒は完全遮断。発動も即時。合格点どころではありません」

「……丸呑みされたのは想定外だがな」


 フリッツが肩をすくめる。


「次は捕食や拘束してくる敵への対策ですね」

「……ああ。そうならないよう、俺たちでフォローせねば」


 レグルスは短く頷いた。

 その視線は、自然と森の奥へ向かう。


(……しかし浅層に出るはずのない魔獣がどうして)


 胸に、小さな違和感が残った。



「……で」


 倒れ伏したポイズンフロッグを見下ろし、アッポロが首を傾げる。


「こいつ、どうする?」

「……あ」


 マールが、ひょいっと手を挙げた。


「ここ……」


 指差したのは、カエルの背中側。


「……なにか、ある……」

「ほう?」


 ドクペインの目が、ぱっと輝く。


「皮膚の下にある毒腺ですね。通常なら解体時に潰れてしまう場所です」

「……つつむ?」


 マールが首を傾げる。

 淡い紫色の結界が、毒腺の周囲だけをそっと包んだ。


「……おお」


 レグルスたちが結界の周囲をナイフで慎重に切り出す。そうして取り出されたのは、紫がかった小さな袋。


「傷一つありません」


 ドクペインは、はっきり断言する。


「非常に状態の良い毒腺です。薬、解毒剤、触媒……用途は幅広い。高品質な素材を扱える錬金術師なら、喉から手が出るでしょう」

「……すごい?」


 マールが首を傾げる。


(まったく、転んでもただでは起きないってか。随分と図太くなってきたな)


 レグルスは、少し困ったように笑い、彼女の頭に手を置いた。


「……ああ。大戦果だ」


 その言葉に、マールは、にこっと笑った。



 ◆


 街のギルドは、昼どきらしくにぎやかだった。


 依頼書の紙がめくられ、カウンターでは報告と精算の声が飛び交う。いつも通りの、少し騒がしくて、少し埃っぽい空気。


 ――そこへ。


「……え?」


 受付に座っていた女性が、思わず間の抜けた声を出した。

 カウンターに置かれたのは、ポイズンフロッグの毒腺。しかも。


「……ちょっと待ってください」


 手袋越しにそっと持ち上げ、くるりと角度を変える。


「……無傷……?」


 ごくり、と喉が鳴った。


「こんな美品、初めて見ました」


 その一言で、周囲の空気が変わった。


「は?」

「今なんて言った?」

「ポイズンフロッグの毒腺だって?」


 近くにいた冒険者たちが、じわじわと集まってくる。


「普通、解体した瞬間に潰れるだろ」

「どうやったんだ?」


 誰かが、ぽつりと呟いた。


「……その子が処理したらしいぞ」


 一斉に、視線が集まる。


「は?」

「ガキ?」

「そのちっこい子が?」


 マールはびくっとして、反射的にレグルスの後ろに隠れた。すると今度は、別の包みがカウンターに置かれる。


「……それと、これもだ」


 河豚カワブタの身。


「……え?」


 受付の女性の目が、さらに見開かれた。


「これ……無毒化、されてます?」

「……ああ」


 レグルスが短く答える。


「結界で、血と身を分けた」


 一拍。


「――はぁ!?」


 ギルド中に、素っ頓狂な声が響いた。


「そんなの聞いたことねぇ!」

「河豚は骨しか使えねぇだろ!」

「マジでナニモンなんだ!?」


 いかつい冒険者たちが、わらわらと集まってくる。その一歩前に、レグルスが立った。


「……下がれ、ウチの子が怖がるだろう」


 低い声。

 それだけで、熱くなりかけた空気が一段落ち着いた。



「……あの、マールさん」


 受付の女性が、明らかに仕事用ではない目つきでマールに顔を寄せた。


「その河豚……個人的に、買わせてもらえませんか?」

「え?」


 マールがきょとんとする。


「ギルドに出す分とは、べ、別枠で……ほら、あるじゃないですか。大人の裁量ってやつが」


 そう言いながら、受付の女性はそっと周囲を確認する。


「……あ、安心してください。不正はしません。ちゃんと私のお金で買いますから」


 やけに必死だ。


「じつは私、龍帝国でも有名な美食家一族の出身でして」


 さらっと、とんでもないことを打ち明ける。


「魔の森近辺の珍味が見つけやすい、と言う理由でここの受付を始めたほどでして。えへへ」


 視線は、完全に河豚カワブタにロックオンされている。


「お願いします……! これは……私の舌が、今晩の酒のアテに食べろって叫んでるんです……!」


 胃のあたりを押さえながら、真顔で言った。マールは少し困ったように首を傾げ――


「……おねえさんが、そんなに、食べたいなら……」


 そう言って、こくんと頷いた。


「……っ!」


 受付の女性の目が、露骨に潤む。


「ありがとう……! 神……いえ、マールちゃん……!」


 がしっ、と両手で小さな手を包み込む。


「約束する! 今度、私イチオシの街一番のお店で美味しいものごちそうするからね!」

「……ほんとう? レグルスおじさんたちも?」

「うっ、まぁいいでしょう。隊のみなさんもご一緒にどうぞ」


 渋々ながら了承する受付の女性。

 この街では誰がどれだけ食事に誘おうとも首を縦に振らなかった彼女が、幼女に陥落した瞬間だった。



 それを横で見ていたフリッツが、呆れたように呟く。


「……食欲って、人を変えちまうんだな」




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