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第13話 おいしいご飯の時間?


 川辺の空気が、ぴんと張りつめた。


 跳ねる河豚カワブタを前に、誰もが言葉を失っていた。


 丸くて、のんびりした顔。

 水面をぱちゃぱちゃと叩く尾。

 見た目だけなら、危険とは程遠い――だが、その血には強烈な毒がある。



「……本当に、やるのか?」


 低く問いかけたのはレグルスだった。

 否定ではない。ただ、確認だ。


「毒が回るぞ」

「今まで誰も成功したことがない」


 フリッツもアッポロも、自然と一歩引く。

 ドクペインは興味深そうに目を細めているが、止めるべきか迷っている様子だった。


「今回は骨の回収だけで十分だ」


 それが、これまでの“常識”。

 だが――


 マールは、そっと胸の前で手を組んだ。


「……だいじょうぶ……だと、思う」

「ちなみに、マールがそう思った理由を聞いてもいいか?」


 レグルスが視線を落とす。

 マールは一瞬だけ言葉を探し、それから――ゆっくりと説明を始めた。



「……きのう……せんたく、してて……」


 ハンナ婆さんと並んだ洗濯場。

 冷たい水。

 乾かない布。


「ねこが……おみず、あびて……」


 そこで、両手を広げる。


「ぶるって……したら……」


 小さな身振り。


「……おみず、とんだ」


 隊員たちは顔を見合わせた。


「……つまり?」


 フリッツが首を傾げる。

 マールは、少しだけ早口になった。


「結界って……守る、だけじゃなくて……中身、ごと……動かせないかな、って……」


 その言葉に、ドクペインの目がかっと見開かれる。


「とりあえず、やって見せてくれ。危なかったら、俺たちでどうにかする」

「うん、わかった」


 マールは河豚カワブタへ一歩近づいた。


「つつむ」


 淡い紫色の結界が、そっと河豚を包み込む。


「まわす」


 次の瞬間。

 結界が、くるり、と回転した。


 最初はゆっくり。

 やがて、目で追えないほど速く。


 ――ぶわっ。


 赤黒い血と水分が、遠心力に弾かれ、結界の内側へ集められていく。河豚の身そのものには、毒の気配が触れない。


「……っ!?」


 フリッツが息を呑む。

 アッポロは思わず拳を握りしめた。



 数秒後。

 回転が止まり、結界が静かにほどける。


 川辺に落ちたのは――


 水分と血をほとんど失い、ぎゅっと締まった河豚の身。見た目は、まるで干物だった。


「……毒、ない……」


 薬物の専門家であるドクペインがすぐさま駆け寄り、頷く。


「信じられませんが……成功です。毒性反応、ゼロ」


 彼の口から、次々と専門用語が飛び出した。


「なるほど、液体と固体で比重が異なることを利用して……これは、理にかなってますよ。かなり……面白い」


 その間、レグルスはただ、黙ってマールを見ていた。


「……」


 やがて、小さく息を吐く。


「……魔法の応用、か」


 ぽつりと、独り言のように続けた。


「幼いからこそ思いつく柔軟な発想なのか……いや」


 金の瞳が、柔らかく細められる。


(これまで常日頃から、工夫を重ねた生活を送ってきたからだろう。そうしなければ、生きていけなかったから――)


 彼女の境遇を想像し、レグルスの胸は締め付けられた。一方のマールは、少し照れたように笑う。


「えへへ、これでお魚、食べられる?」

「……ああ。理屈の上ではな」


 そう言ってから、少しだけ言葉を選ぶように続けた。


「だが、生だ。さっそく焼いてみよう」




 川辺に、小さな焚き火が起こされた。


 拾い集めた枯れ枝に火を入れると、ぱちぱちと乾いた音が立ち、やがて赤い炎が安定する。開いて干物のようになった河豚カワブタの身は、程よい硬さで串を通しやすかった。


「……軽いな」


 アッポロが意外そうに呟く。


「水分がほどほどに抜けてますからね」


 ドクペインは興味深げに観察しながら答えた。


 焚き火の上にかざすと――

 じゅうっ。

 小気味よい音とともに、薄ピンク色の皮目が焦げ茶に色づき始める。


 やがて、じわり、と。

 脂がにじみ出て、炎の中に落ちた。


 鼻をくすぐる香りが、川辺に広がる。


「……魚、だよな?」


 フリッツが思わず呟く。


「なのに……肉の匂いがする……」


 豚肉を思わせるコクのある香りと、魚特有の軽やかさが混じり合い、不思議な食欲を刺激してくる。


「焼けたぞ」


 レグルスの一言で、全員の視線が串に集まった。



 最初に口にしたのは、マールだった。

 小さな歯で、そっと一口。


 ――ぱく。


 次の瞬間、目を見開く。


「……おいしい……!」


 驚きと喜びが、そのまま声になった。

 それを合図に、他の隊員たちも次々と口にする。



 レグルスは一噛みして、わずかに目を細めた。


「こ、これは……!」


 白身魚のはずなのに、驚くほど濃厚。

 噛むたびに、じわりと旨味が広がる。

 豚肉のようなコクがありながら、後味は重くない。


 アッポロの目に、じわっと涙が浮かぶ。


「……うまい……」


 それ以上、言葉が出なかった。


「これは反則だろ……」


 フリッツは串を握ったまま、ぽつりと呟く。

 一方で、ドクペインは完全に別方向に意識が飛んでいた。


「……なるほど……これは……」


 研究用のメスやピンセットで身を摘まみながら、ぶつぶつとメモを取り始める。


河豚カワブタの身には、極めて高濃度の回復性栄養素が含まれていますね……」


 彼は顔を上げ、断言した。


「疲労回復、魔力回復ともに即効性があります。下級魔法薬……いえ、それ以上かもしれません」


 レグルスが眉を上げた。


「魔法薬並み、だと?」

「ええ。しかも副作用なし。解毒さえできれば、ですが」


 ちなみにだが、豚肉にはビタミンB12が多く含まれており、疲労回復に効果があるとされている。それは赤血球の生成や神経の修復が……と難しいことはさておき。


 一同が、ゆっくりとマールを見る。



「……マール。お前いっそのこと、料理人になったらどうだ?」


 フリッツが半ば冗談めかして言った。

 アッポロは深く頷き、


「俺なら毎日通うな」


 と心からの賛辞を向ける。



「……これ、コブラ苺の時みたいに、また売れるんじゃないか?」


 誰かが冗談半分に言う。

 だがマールはそんなことを気にも留めず、串を両手で持ち、


「おいしい……!」


 串を両手で持ち、マールはただひたすらに魚を頬張っていた。焼けた白身を噛みしめ、満足そうに小さく息を吐く。そんな彼女を見て、一同は微笑ましい表情を浮かべた。



 その直後だった。

 焚き火の音と川の流れが、不意に静まった。


 違和感に最初に気づいたのは、レグルスだった。金の瞳が細まり、即座に声を張る。


「……全員、警戒態勢を取れ」


 短い命令だったが、全員が立ち上がった。


 川辺の水面が揺れ、ぬるりとした影が姿を現す。

 膨れた腹と、まだら模様の皮膚。

 大きく裂けた口を持つ魔獣――ポイズンフロッグだった。



「どうしてコイツが……」


 かつて、マールが毒の森で倒れていた際に、レグルス隊が討伐対象として追っていた個体。本来なら、この浅い場所に出るはずがない魔獣だ。


「焚き火で焼いた河豚カワブタの匂いが、魔獣を引き寄せたんすかね?」


 フリッツが冗談交じりに呟く。


「マール!」


 レグルスが名を呼ぶ。


「だいじょうぶ!」


 マールは即座に応じた。

 怯えはない。

 教え込まれた通り、自分の身体を守ることに意識を集中させる。


 淡い紫色の結界が、確実に展開された。

 毒の気配は遮断され、魔獣の放つ瘴気は結界の外で弾かれる。


「よし、良い感じですよマール!」


 ドクペインが素早く確認する。

 一瞬、成功したように見えた。


 だが、次の瞬間――


「え……?」


 ポイズンフロッグが大きく口を開いた。

 そして赤い舌が飛び出し、結界ごとマールをグルグルと包み込む。



「マール!!」


 レグルスの叫びが遅れて響く。


 結界は機能していた。

 毒は防げていた。


 だが、捕食されるという状況までは想定されていなかった。




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