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第10話 レグルスおじさんの苦悩


 朝の光が差し込み、まだ冷たい空気が拠点の一軒家に満ちていた。


 レグルスは、珍しく眠りの浅い夜を過ごしていた。目を閉じるたび、昨晩のマールの姿が脳裏に浮かぶ。


 ――小さな手のひらを震わせながら、何度も結界を張ろうとしていた幼い背中。


 必死で。

 泣きそうで。

 それでも諦めずに光を灯し続けていた。


 あの光景が胸に刺さり続けている。



(……あれほど追い詰めるつもりは、なかった)


 守りたい。傷つけたくない。

 その気持ちが強すぎて――言葉が、重くなりすぎた。


 レグルスは深く息を吐き、家の外に出た。朝の光が金の瞳を照らす。向かった先は、同じ敷地内に住む大家、ハンナ婆さんの家だ。



 扉をノックすると、年季の入った木が軽くきしんだ。


「はいはい、朝っぱらから誰だい……っと、レグルスじゃないかい」


 顔を出したハンナ婆さんは、厳しくもどこか温かい目でレグルスを見上げた。


「どうしたんだい。その浮かない顔は」


 レグルスは言葉を選べず、少し間を置いてから口を開いた。


「……俺は、どうしたら良いと思う」

「……は?」


 ハンナ婆さんは、完全に予想外だったのか目を丸くさせた。




「――ふぅん、そんなことがあったのかい」


 昨日マールに起きた出来事──魔の森での失敗から、夜遅くまで必死に練習していた姿までを、言葉少なにかいつまんで説明していた。


「マールは……努力している。必死に、誰かの役になりたいと思っている。それは嬉しい。だが……」


 言いながら、喉が少し詰まる。


「まだ小さい子なんだ。何かあったら俺は……」


 その言葉を聞いた途端、ハンナ婆さんは大きくため息をついた。


「……あんたねぇ」


 腰に手を当て、じろりとレグルスをにらむ。


「たった一度の失敗で、あの子の未来を諦める気かい?」


 レグルスは思わず目を見開いた。


「ち、違う。そういうつもりでは――」

「同じだよ」


 バッサリ斬られた。

 ハンナ婆さんは、静かに、しかし揺るがぬ声音で言う。



「転ばないように支えるんじゃなく、自分の力で立ち上がれるようにしてやりな。何でもかんでもしてやるのが優しさじゃあない。それはアンタの自己満足だよ」


 そう言ったあと、ふっと視線をレグルスに貸している拠点の家へ向けた。


「……あたしにもね、昔は息子がいたよ。優しくて、しっかり者で……」


 言葉が少しだけ震えた。


「でも、ちょっとした事故で呆気なく逝っちまってね。どれだけ親が大事に抱えていたって、手からすり抜けちまうこともある」


 その瞳には、深い後悔が宿っていた。きっとレグルスたちの拠点も、元はその息子が住んでいたのだろう。



「だからね、レグルス。本当にあの子の安全を願うのなら――育てな。強く、賢く、自分の足で立てるように。アンタならそれができるよ」


 レグルスはしばらく沈黙した。拳をゆっくりと握りしめる。そして、はっきりと頷いた。


「……わかった。俺たちで、強くする」


 その言葉には迷いがなかった。

 マールを――隊の仲間として、一人の人間として。

 強く、守れる存在へ導くために。



 ◆


 拠点から少し離れた、街外れの開けた空地。朝の風がさらりと吹き抜け、柔らかな光が地面に降り注いでいる。ここが今日からマールの“修行場所”だった。


「ここなら安全だ。周りに障害物も少ない。まずは――結界の練習だ」


 レグルスが腕を組み、真剣な顔でマールを見下ろす。攻撃でも逃げ方でもない。彼が最優先で教えたいのはただひとつ――“自分の身を守る術”、結界だった。



「魔の森で生きるには、まず自分を守れなければ話にならん。お前が結界を張れるようになれば……危険はぐっと減る」

「け、結界……がんばる……!」


 マールは小さな拳を握りしめ、気合い十分。

 だが、レグルスは慎重だった。

 結界魔法は高度な技術。普通なら何年も鍛錬が必要だ。


「まずは感覚を掴むだけでいい。魔力を巡らせて――」

「ん……」


 マールは胸の前で、小さく指を組むような仕草をした。それは“癖”のように自然で、誰かに教わったものではない動き。


 次の瞬間――ぱしん、と澄んだ音が空を震わせた。


 ふわり。


 マールの周囲に、淡い紫色の半透明の膜が展開した。光の粒が静かに瞬き、小さな身体を包む。


「…………は?」


 レグルスが固まった。

 アッポロはポカンと口を開け、フリッツは驚きで両手を上げ、ドクペインは無言で目を輝かせた。


「結界だ……ちゃんと張れてる」

「「「マジですか?」」」


 レグルスがためしに拳で叩いてみるが、結界はビクともしない。

 アッポロの巨体が寄りかかっても、フリッツ自慢の特製矢じりで引っ搔いてみても、ドクペインの溶解毒……は実験しようとして他の三人が止めた。さすがに危ないので。



「えへ……昨日、練習したらできるようになったの」

「練習って、昨晩か?」


 マールは照れたように指をつつきながら続ける。


「うん。怖いことがあったら、すぐに結界が張れるように。たくさん、想像したの」

「怖いこと、ってお前……」

「辺境伯家で怒鳴られたり、叩かれそうになったり、物が飛んできたり……マール、いつも怖かったから」


 その声は小さいのに、沈黙の中では痛いほど響いた。


 レグルスの表情が、ゆっくりと変わっていく。驚愕、理解、そして――胸の底から湧き上がる怒りと悲しみ。


(そんなことを、ずっと受けてきたのか……)


 奥歯を噛みしめる音が聞こえるほどだった。

 一方のマールは、一度でうまくいったことに安心したのか、ニコニコと微笑んでいる。



「レグルスおじさん……これで……少しは役に立てる?」


 その無垢な言葉に、レグルスはまぶたを伏せてから、静かに答えた。


「ああ……十分だ」

「ほ、ほんと!?」

「あとは実戦形式の訓練を数日こなせば、森の浅い場所くらいは同行しても問題ないかもしれんな」


 マールの顔がぱっと花のように明るくなる。


 まだまだ道のりは長い。

 けれど――この子は、きっと自分の足で、強く生きていける。


 レグルスはそう確信した。




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