拝啓、人でなしの旦那様。それでも私はあなたが好きです。ば~~~か!!
従姉妹のことは可愛がってない、の続編 アルテローズ視点
学生時代の回想および学院生活の予想外ポイント
現在軸は婚姻を結んで魔導学院に入学した後
親愛なるハルトムート様。
実のところ、卒業プロムでマリリエッタ殿下があんなことを言い出す可能性自体は考えていました。賢明な方ならあんな自殺行為はされなかったでしょうけれど、非常に不敬ですが、殿下は頭が茹だっている方でしたので。きちんと目の前の現実が見えていればご自身がハルトムート様の婚約者ではないことにもすぐ気付けたでしょうに、高等学校を卒業するまで気付かれなかったんですもの。学校のお勉強が出来てもあれでは賢明な方とはとても言えません。
貴族学校でも高等学校でも、実のところ殿下の評判はあまりよろしいとは言えませんでした。王族であり、基本的にその場で最も身分の高い方ということになることが多いのに、リーダーシップを取られないのです。他の者に正しく指示を出して物事を差配するということをされません。自分の希望をはっきり口にされないのに、周囲がそれを汲み取って動くことが当然だと思っておられるようでした。つまり、ハルが一番嫌いなタイプの方です。ハルは自分の考えていることを勝手に察したつもりになって余計なことをされるのが嫌いなので。逆行前のハルトムート様とうまくいかなかったというのも(それが真実であるなら)その所為でしょう。
殿下の評判がぐっと悪くなったのは、高等学校になってアンネリーゼさんが入学してきてからです。あの方があからさまに殿下に嫌がらせをして、殿下がそれにちゃんとした反撃をなさらないから、身分が下の者にも強く出られない王女と余計に見下されていました。ご自身はそれを理解されていなかったのかもしれませんが。
アンネリーゼさんは殿下の婚約が破棄されればご自分がハルトムート様と婚約できると思っていたようです。ハルは鼻で笑うでしょうけど。アンネリーゼさんの巧みなところはあの言動で(悪意込みとはいえ)味方に付く人間を持てたところです。ええ。アンネリーゼさんが最終的に愛を勝ち取って公爵夫人になると本気で信じて応援していた貴族はいません。平民を見下しているので平民出身の方は関わらないようにしていましたし。私も個人的な付き合いはありませんでした。皆、精々愛人愛妾として迎えられるのが関の山だと思っておりました。私はそれもないと知ってましたけど。私の婚約者ですし、私が愛人を持たないでほしいと言えばそうすると約束しておりましたし。
正直なところ、ハルトムート様が学園に不在で個人的な付き合いのある方もほとんどおられないのに、本人のいないところでハルトムート様の寵愛を取り合っている殿下とアンネリーゼさんを滑稽に思っておりました。やり取りそれ自体はまるで、前世に読んだよくある異世界恋愛ものみたいだったので、この世界は何か原作のある世界なのかもしれないとも思ったりしましたが。あ、私は該当する物語を知らないので、単によくある話としてです。主人公もヒロイン(烏滸がましいですがこの場合私でしょう)も不在なのに脇役と当て馬が争っているなんて、失笑ものです。あるいは、ハルが実質転生者みたいなものなので本来の筋から離れてしまった結果があの喜劇なのかもしれません。その場合、本来なら私はただのモブだったのでしょう。殿下もアンネリーゼさんも私のことなど一切眼中にない様子でしたし。
それと。もしも殿下が本当に10年後に死んで逆行したというのであれば、それは恐らくアンネリーゼさんも同様でしょう。アンネリーゼさんが、ハルトムート様と殿下が婚約を結んでいるのだと勘違いする理由がそれくらいしかないのです。私とハルトムート様の婚約は別に隠されていたわけではありません。広く喧伝されてはいませんでしたが、公式の場に同伴が必要となればハルトムート様は当然のように私を伴っておられましたので。いくら普段と見違えるくらい着飾って並んでいたとしても、殿下が私とアンネリーゼさんを髪色で勘違いすることがあっても、アンネリーゼさんが私と殿下を勘違いすることはありえないのです。まあ記憶している限り、そのような場でアンネリーゼさんと会ったことはありませんけれど。
せめて本当に殿下と婚約を結んでおられるレオンハルト様を交えていれば物語としての体裁も繕えたかもしれませんけれど、おふたりともレオンハルト様のこともあまり眼中にない様子でしたね。レオンハルト様はハルと違ってプライドが高くて情の強い方のようなので、婚約破棄しないとしても殿下を愛しているわけではないでしょう。ハルが気にしていないのか気付いていないのかはわかりませんが、彼は身分の低いが優秀な女性を囲って公爵家の女主人として取り仕切らせることで殿下への意趣返しにするつもりのようです。彼と同じ年の平民出身の才女に学園で愛を囁いているのを見かけました。勿論、彼も最初からそのつもりだったわけではないでしょう、でもある意味、先に婚約者を裏切ったのは殿下ですから文句は言えないでしょうね。本当に、恐ろしい方。
女心に鈍感なハルトムート様。
ハルトムート様は貴族女性に偏見を持っておられます。ご自分に好意を見せる女性は皆、ハルトムート様の美貌か地位が目当てであって、ハルを好きなわけではないのだと。まあ完全な間違いではないでしょうし無理もない偏見だと思います。ある意味最も身近な女性であるお母さまはハルトムート様を美しい人形のように扱っていますし、その美貌に一目惚れして迫ってきた女性は王女殿下だけではないようなので。アンネリーゼさんがすり寄っているのが公爵夫人の地位を求めてのことだというのも完全な勘違いではないでしょう。
でも基本的にご自分の外面が良いことは忘れておられるようです。私もハルの内面を知らなければハルトムート様はお伽噺の王子様みたいな完璧な紳士だと思っていたでしょう。
ハルの内心がどうあれ。その行動の動機がどんなものであれ。ハルトムート様が優しげな顔で実際誰にでも優しい紳士なのは単なる事実なのです。美青年に優しくされて少しもくらっとこない女性などそうそういません。少し見ていればそれが自分だけでなくどんな方にも分け隔てなく与えられるものであるのがわかるので、脈ナシとわかるだけです。そして脈ナシとわからないか、わかっていても迫るのが、ハルの嫌いなハルトムート様の顔や地位が目当てな人たちくらいなだけなのです。
ハルが私を"婚約者とはこう扱うものだ"と認識しているからそうしているのだ、と知っている私だって実は例外ではないのです。ハルが別に私に惚れているわけではなく、私を妻にするのが一番都合が良く、次点で私に振られても一生私に操立てして生きていることにするのが都合が良いと考えているのも知っています。本当にそこはどうかと思うのですけど。
あなたが本当は自分自身以外の人間に興味がなくて、人の世の中で生きるためにはそれを表に出すと都合が悪いから身内には情があるというふりをしているだけだというのも知っています。愛妻家の振りをするのが一番女性との付き合いを少なく出来て、その妻も自分にあまり執着せず利害の一致して仕事をしてくれる人がいい、くらいの理由で私を選んだのも理解しています。本当にどうかと思いますけど。
それでも。ハルが私に対して見せる情なんて簡単に切り捨てられる程度のものだと知っているけれど。それでも、私はあなたを好きになってしまいました。だって、仕方ないじゃないですか。そこにあなたの恋心なんて欠片も含まれていないとしても、あなたは完璧で物語の王子様みたいな、素敵な婚約者だったのです。他に愛している人がいるわけでもなくて、そもそも人間を愛する才能のない人だって、わかっているんです。
あなたは自分の顔面の威力をわかっていなさすぎる。あなたみたいに美しい人に、特別扱いされた女の子が、ずっと恋しないでいるなんて無理に決まっているのに。知っていても勘違いしてしまう。あなたが、唯一私を愛しているんだって。そんな事実はないのに。
顔を合わせるたび、優しく微笑んでくれる。おしゃれをすればすぐ気付いて褒めてくれる。マメに私の好みに合うものを贈ってくれる。手紙をきちんと読んで真面目に返してくれる。精霊伝信でメッセを送ったらくだらないことでも真剣に返信してくれる。悩み事があれば自分事のように真剣に相談に乗ってくれる。私のことを大事に扱ってくれる。きっとこれ以上を望んだら贅沢過ぎるくらい。
最初はハルトムート様が本気で私なんて相手にするわけないって思い込みがあったから真剣に取り過ぎず流せてただけなんです。ハルトムート様ほど美しい人は見た事なかったから、高位貴族の美少女たちに比べたらその辺の野草みたいなものの私なんて釣り合わないって。好みの顔ってわけじゃなかったし。ハルトムート様の美しさは好みとか関係なく美貌でぶん殴ってくるレベルだから皆惚れちゃうものだけど。
そんな美しいひとが、私に微笑んでくれるから。営業スマイルじゃない、心からの笑顔も見せてくれるから。手が届くものだと、錯覚してしまうのです。あなたは私を愛してくれるんだって。あなたは、婚約者にはそうするものだと思っているからそうしているだけなのに。
私があなたに近づく女性がいても嫉妬せずにいられるのは、あなたがそういう人間に欠片も興味を持っていないことを知っているから。あなたが他の子を選ぶことはないのだと、知っているからにすぎません。そのあまりの関心の無さに一周回って気の毒になるくらいにあなたは他人に興味がない。まあ私にだって、個としての興味があるわけじゃなくて面倒事の対価を払おうぐらいの意識なんでしょうけど。
本当に、そんなつもりがないとしても乙女の心を弄ぶ酷い男です。ハルは。それでもあなたを好きになってしまった私も大概なのですが。
だってあなたに悪意がないのを知っています。私を裏切っているわけではないのもわかっています。いっそ残酷なくらいにあなたは誠実で、正直でした。婚約を持ちかけた時にその意図を全部説明してくださるくらいには。ちゃんとそれを聞いて、理解して引き受けたのは私です。
いえ、正直なところもっとドライで義務的な付き合いになるものと思っていました。そこは私の認識が甘かったです。あなたが婚約者を求めたのは、婚約者一筋であることを理由に女性の誘いを断ることがメインなのですから、周囲の人間がハルトムート様はアルテローズを愛しているのだ、と判断するような扱いをするのも当然のことでした。名義貸しでは引き下がらない人もいるでしょうから。
ハルトムート様ならもっと美しい人、高貴な人を妻に選べるのに、なんて考えるのがあなたに失礼な考えであることを今は知っています。美貌も地位も、あなたにとっては興味のない、価値のないことだから。婚約者の愛を求めてないとまで仰られたのは流石にどうかと思いますけど。私の愛もいらないと言われたようなものですし。
実際、今更私があなたを愛せないと告げたところであなたは気にしないでしょう。この婚約の最低限の利益をあなたはもう手に入れている。婚約が解消されても元の婚約者をまだ愛している忘れられない、と言って信じてもらえるだけの実績が出来ているから。
それにあなたと婚約を解消するメリットが私にはありません。その原動力が愛でなくても、ハルトムート様は私を妻として相応しい扱いをするつもりがある。私の意志を尊重してくれる。伯爵夫人として相応の生活をさせてくれるでしょう。私が幸せな人生を送れるよう努めてくれると約束してくれました。惚れていない女であっても。
これで私があなたに愛されたいと願ったところで、あなたを困らせるだけでしょう。あなたは誰かを愛しているかのようにふるまうことはできても、他者を愛せない。内心の自由を奪うような要求はするべきではありません。
わかっています。いえ、私はあなたに捨てられたくないのです。そこに恋情がなくても、あなたは私の為に心を砕いてくれる。それは嬉しいのです。
物事に加減というものが存在することを理解していない親愛なる旦那様。
本当に私はハルトムート様を舐めていました。謝るので勘弁してください。ご自分の美貌のパワーを自覚してください。自重してください。同じ学び舎で過ごすからといって、正式に妻になったからといって、ハルトムート様が私を溺愛しているかのような素振りを見せつける必要はないはずです。
賢明な人間であれば夫婦に割って入ることはしませんし、私があなた以外の人間になびくこともありません。あなたが私を愛していなくとも、私はあなたを愛しています。これ以上好きにさせないでください。本当に勘弁してください。あなたの顔は10年かけて見慣れたとてときめかずにいられるようになるわけではないのです。そんな生易しい美貌ではありません。
あなたにその気があれば国が傾いている自覚をもってください。そしてそれを私を骨抜きにするために使うのをやめてください。
私はそんなに信用できませんか?確かに素直に愛を告げられない自覚はあります。手紙も本音を晒し出しすぎたものは没にしています。この便箋も没というか下書きとしてもっと冷静に伯爵夫人らしい書面に繕ってからあなたに渡すことでしょう。私にもプライドというものがあるのです。大層なものではないですが、守りたいものもあるのです。
いえ、もう一緒に暮らしているのですから、手紙をしたためなくても直接話せばいいだけの話だろうとも思うのですが。あなたとの交流は長らく手紙がメインだったのでこれが一番しっくりくるのです。思考もまとめられますし。
でもあなたが何を望んでいるのか、時々わかりません。ハルトムート様は表情豊かですが、何を考えているのかわかるけどわかりません。大抵の人がその美貌で都合よく解釈してくれていますが、貴族らしい外面の取り繕い方がてんでなってないのに誰も気にしていないのも、あなたが美しすぎてそれどころではないからです。表情の作り方が酷く幼いですし、ポーカーフェイスができない自覚自体はおありなのだろうと推測しています。完全に演じているだけの偽物というわけでもないのでしょうが、本当に感情を押さえられなくて溢れ出ているとかではないのでしょう。相変わらず性質が悪すぎる。
あなたが何を考えているのかわからないというのは、あなたの思考回路の突飛さも込みでの話です。あなたがまるで、咄嗟のことで殺してしまった死体をどう処理するべきか悩んでいるかのような深刻な顔で悩んでいたので、何に悩んでいるのかと尋ねたら、精霊伝信の呼び出しを音光振動のどれで行うのが一番適切か悩んでいるのだと仰られましたね。あなたにとっては相当に深刻な悩みだったかもしれませんが。
あとよく考えると、ハルはうっかり人を殺してしまったところで、それが余程拙い相手でない限り、やっべ。で終わる気がします。偏見だといいのですが。
ハルトムート様は所謂ところの「晩御飯何食べようかな…」などとぼーっと考えているところを物憂げな顔が素敵、何を悩んでいらっしゃるのかしら、と女の子にきゃあきゃあ言われる類の人間です。いえ、ハルトムート様は食事については料理人にお任せしていらっしゃるので何を食べるか悩むことなどないでしょうが。
得意な方を見つけて丸投げするのが得意ですもの。いえ、上に立つ者として間違っておられないと思います。適切な対価を支払っていらっしゃいますし。任せられる方も不満を抱かないよう差配できるならそれはそれで正しいのでしょう。
そういえばあなたが真面目に悩んでいらっしゃるところを私は魔導具に関してと婚約者に関してでしか見ていない気がします。魔導具はあなたの唯一心から興味のあることであるようですし、婚約者のことは根本から他人任せにするべきではないとお考えなのでしょう。私に特別興味があるとかではなく。他に任せられる相手が、代わりに考えてくれる相手がいないから。
嫌というわけではないです。他人任せにされる方が嫌です。手加減はしてほしいですが。
「ハルトムート様、お待たせして…って、ぴゃあああああ?!何を読んでいらっしゃるんですか?!」
「ああ、アルト。すまない。夫婦とはいえ内心の自由は守るべきとは知っているんだが、俺の名前が見えたものだからつい」
「ついで書き損じの手紙を読まないでくださいませ!!」
迂闊だった。私はハルトムート様とのやりとりの手紙に文箱を三つ使っている。一つは未使用の便箋を保管しておくもの。一つはハルトムート様にいただいた手紙を入れておくもの。これは別に見られたところで構わない。そしてもう一つは淑女としてあるまじきことを書いてしまった書き損じの没を入れてあるもの。捨ててしまえばいいだけの話だが、日本語で書いてしまっている時もあるので何らかの機密文書と間違われて暗号解読など持ち出されては困るし、処分に困って捨てるに捨てられなかったのだ。それをがっつり読まれてしまったらしい。よりにもよってハルに。
「もし君を悩ませていることがあるなら、俺も把握しておきたかったんだ。俺は人の心の機微というやつには疎いし、頼りにならない場面もあるかもしれないが、伴侶なのだし」
しょんぼりした様子を見せている彼が本心から申し訳なく思っているかはわかったものではないが、私はこの男のこの顔に弱い。
だって、ハルは他の人間に迷惑をかけることを本心で申し訳なく思わないから。他の人間にはポーズでもこんな顔はしない。私だけだ。どうあれ惚れた男が私にだけ見せる顔なんてお出しされたら、許してもいいかな、なんて気持ちになってしまう。限度はあるけど。
「…ハルトムート様が頼りにならないなんてことは…基本的にはありませんわ。人の心がおわかりにならないだけで、情に理解が全くないわけではありませんもの」
寧ろそれぐらいの弱点か付け入る隙がないと、神さまか何かみたいになってしまうだろう。現状でも十分浮世離れしているところがあるのに。
「遠慮せず頼ってくれると嬉しい。それと」
すっと距離を詰められ、至近距離で目を合わせられる。それこそキス目前みたいな距離で。
「俺が君を捨てる日は来ないよ。一生添い遂げると誓っただろう?君には俺を自分が幸せになるための道具として扱う権利がある。俺がそれを許しているから」
「道具、だなんて」
「君を愛している、だなんて無責任なことは言えないからな。実際、惚れた腫れたでこうしているわけじゃない。君を妻として幸せにできるなら、俺も幸せに暮らしていけると信じているだけだ」
ハルの口にする言葉が、偽りない本心であることを知っている。思っていることを全部そのまま口に出すとトラブルになることを察して口をつぐんだり婉曲的な物言いをしたりすることがあるだけで、彼は嘘をつかない。嘘をつかないことが彼にとってアイデンティティにも関わる美学だから。
ハルは自分の思う美しい存在として生きるために、清濁併せのんだ言動をしなければならない次期筆頭公爵の地位を手放した。…私は何をもって彼が美しい存在と定義しているかは理解できないが、その定義の一つに嘘をつかないことが含まれていることは知っている。見目の美しさは関係なさそうだというのも。
だから、本当に彼は私を一生幸せにしてくれるつもりでいるのだろう。それができる人だ。人を愛する才能はないけれど、幸せにする才能までないとはいってない。
「…私があなたを幸せにすることは、できませんか?」
私が零した言葉を聞いて、ハルは考えたこともなかった、とでもいうようにきょとんとした。その澄んだ瞳は宝石のように無機質で美しい。
「君が家のことをやってくれて、趣味にリソースを割けたら幸せだと思うよ。人間の生は短いものだし」
こういうところが本当にハルはロマンスの才能がないし酷い男だと思う。知ってたけど。
「私が直接的にあなたを幸せにはできないんですね」
「俺は真理の探究と理想の実現以外にときめかない人間だから、それはまあ。俺の邪魔さえしないなら誰が何をしようとも別に」
「本当に、ハルは酷い人です」
「…ごめんね?」
本気ではなさそうな謝罪だ。それで今更私が彼を見放すことはないと思っているのだろう。その通りだが。
そもそも私が彼を幸せに出来ないと同時に、本当の意味で不幸にすることもできないのだ。惚れた弱みとかじゃなくて、この男の不幸はしいて言えば興味のない人間に付きまとわれて趣味の時間を欠片も取れない、とかだから。嫌われたくない私にはできない。そもそも彼に見放されるようなことをやらかして、それでもなお付きまとうなんて真似は。そもそもどうしたら見放されるかもわからない。確実に自爆技で誰も幸せにならないし。
「きっと、ハルのことを知ってもハルに絶望せずにいられる女の子は私くらいのものですよ」
目を見て言うのが恥ずかしくて、軽くハグしながら言う。自然な動きでハグし返された。
「俺に付き合ってくれる女の子は一人いれば十分だよ。興味ないし」
なんでこんな男に見つかっちゃったかなあ。この手を取ったのが間違いだったとは、思わないけれど。
「ところで、学院での過剰な接触はどのような意図の…いえ、おそらく、周囲の人間に対する牽制とかなんでしょうけど…」
「高等学校では恋人っぽいことできなかったし、アルトはロマンチストなところあるし、そういうことしてみたいかと思って」
「は」
「正直、アルトが俺に愛を求めているとは思っていなかったけど、春人的に女の子は愛されたいものだって言うし。だから春人の知ってる少女漫画のヒーローを真似てみたんだけど。アルトは少女漫画のヒロインみたいな反応はしないから、方針間違ったかなって検討してたところ」
「春人の所為だった…!」
「ああ、でも」
ハルが、悪戯好きの少年みたいな、無邪気な微笑みを浮かべる。
「純粋に興味もあったんだよね。他の人間が、何で愛を欲しがるのか、俺にはよくわからないから。そんなにいいものなのかなって。狂人の真似をして大路を走ればそれは狂人だ、ともいうし。誰かを愛している人の真似をしたら、誰かのことを愛している人の気持ちもわかるかなって」
「…わかったんですか?」
「ううん。わからなかったよ。俺はきっと、最後まで君を愛せないんだろうね」
ハルの微笑みが、少し寂しそうだったから。思わず、言葉が転がり落ちた。
「それでも私は、ハルを愛していますから」
「君を愛することもできない俺を?」
「あなたにとってはふりにすぎなくても、私には、それは愛であるように感じられますから」
これは、詭弁のようなものかもしれないけど。ハルはハルなりに、私を大切にしてくれるつもりがあるのだということはわかっているから。
「でも少女漫画を参考にするのは控えてください。私の心臓がもちません」
「うーん…今更接触を控えて不仲説を出されたくないし、君がみんなの前でたしなめるか、丁度いい塩梅を教えて少しずつ変化させていくか、選んで?」
「無茶を仰る!」
余談:明梨の初恋は春人
春人「なにそれしらん」