ある侯爵夫妻の青春時代の話
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「あら、ご機嫌ようフリージア様。相も変わらずご令嬢たちとお遊びになるのがお好きなようで」
「ご機嫌ようヴェルテーノ嬢。そちらこそ、殿方を誑かして侍らせるのが大層お上手でいらっしゃる」
「あら‥‥‥‥私はあなた様とは違って、ただ世間話に花を咲かせているだけですわ」
「へえ、僕も君とは違って、気の合う相手と趣味の話をしているだけだから」
にこりと微笑んで言い返すと、目の前の女___アザレア・ヴェルテーノの顔から笑みが消えた。
ああ、本当に‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
なんて可愛いんだ!!!アザレアは!!
ツンとしたその表情も、嫉妬が隠しきれていない眼差しも全てが可愛くて仕方がない!!!
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彼女に初めて出会ったのは3年前、王室主催の舞踏会で言い寄ってくる男たちを軽くいなしているのを見て、面白そうな令嬢だと思い声をかけたのがきっかけだった。
当時僕は婚約者探しの途中で、どんな令嬢にも愛想を振りまいていた。
そうすれば、多少見目が良いのと、次期侯爵であるからか多くの令嬢は頬を赤く染めてこちらにすり寄って媚びを売ってくる。
でも、アザレアは違った。
彼女は僕に全くもって興味を示さなかった。
別段彼女だけではない。彼女以外にも数人の令嬢は僕にあまり興味がなさそうだった。
だけど当時の僕には、彼女は周りと全然違って見えていた。
よく考えれば、これが僕の初恋なんだろう。気持ちを自覚するのに1年はかかったけど。
でも、こんなに多くの男に興味を示さないのならば誰か思い人がいるのだろう。
そのことをほとんど確信していた僕は、出会って半年ほどたったある日、思い人が誰なのかを、彼女の目の前で理解するという、苦痛そのものを味わった。
───アザレアの思い人は、このエヴァルノール王国の王太子、ルハロ・エヴァルノール殿下だった。
当然ながら、叶うはずのない恋だった。
一介の令嬢が王太子殿下に恋心を抱くことは珍しいことではない。事実、かなり大規模な王太子殿下非公認の(当然だが)ファンクラブが確かに存在する。
それでも、ただの令嬢でははっきり言って不釣り合いだし、淡い恋心はすぐに打ち砕かれてしまう。
なぜなら、ルハロ殿下には溺愛している婚約者のミハーリア・ビューラルヘン公爵令嬢がいるのだから。
ビューラルヘン嬢は社交界でも憧れの存在で、完璧で美しく申し分ない将来の王妃だと、良い評判だ。
アザレアも確かに見目麗しいし、名門伯爵家の令嬢なだけあって所作も美しい。
でも、婚約者であり溺愛されている彼女には勝てるはずがないというのをアザレアも分かっていたのだろう。
いつも殿下を遠目から眺めるときは、決まって少しの嬉しさと深い悲しさが混ざり合った表情をするのだ。
そんな姿を見て、ますます興味がわいた。
僕はアザレアにずっと話しかけた。
最初は彼女も冷たくあしらう程度だったが、二か月もすれば少し心を開いてくれて軽く世間話をするくらいにはなっていた。
ある日の王室主催の舞踏会で、ルハロ殿下とビューラルヘン嬢の結婚式を一週間後に行うと王家が発表した。
かなり大規模に行うそうで、招待状を配られた貴族はできるだけ参加してほしいといわれた。
ふと、アザレアはどうしているのか気になってベランダのほうに行った。
「ルハロ殿下!!」
そう叫んで殿下を呼び止める、この四か月ほどで何度も聞いた愛しい声がはっきりと聞こえた。
ちょうどベランダにいて風にあたっていた殿下は、声のする方へ振り向いた。
「ああ、ヴェルテーノ嬢か、どうした?」
「‥あのっ、私はずっと殿下のことが‥‥‥‥ルハロ殿下のこともっ、ミハーリア様のことも‥好きでした‥‥。ですから、どうか、‥ミハーリア様とお幸せになってください‥‥‥‥!」
殿下は少し瞠目して、それからふわりと微笑んだ。
「ありがとう、ヴェルテーノ嬢。絶対に幸せになると約束しよう」
「‥‥‥っ‥はい‥!」
「それじゃあ、また結婚式で」
「‥はい!」
しばらくの間、僕は動けなかった。でも、すぐそこに目に涙をためたアザレアがいるのを見て、飛び出した。
去ろうとするアザレアの手を掴んで、引き寄せていた。
「な、何‥‥、誰?」
「‥‥僕だよ。ロートだ」
「‥‥‥‥‥‥何の用ですの、私は今から‥‥!?」
僕は気づけばアザレアを抱きしめていた。
「何をするのです!私は」何かを言いかけた彼女の言葉を遮り、
「ヴェルテーノ嬢、我慢しなくてもいい。ここには誰もいないから」
そう言った途端、アザレアの瞳が揺れた。そして、彼女は声を上げて泣いた。僕は、彼女の背中をずっとさすっていた。
それ以来、アザレアはツンとした表情で僕を見ては、突っかかってくるようになった。
僕は、そんなアザレアが可愛くてつい揶揄ってしまう。だからか、僕がほかの令嬢たちと話していても嫉妬に満ちた眼差しでこちらを見るだけで、何もしてこないのだ。そこが可愛いところであり、唯一憎らしいところなのだが。
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ある日、父であるローフィス・フリージア侯爵から呼び出された。
この後は舞踏会があるから早く終わらせてほしい。
父の書斎の前で、軽く息を整えて笑顔を作る。子供のころからの癖だ。『如何なる時も感情を表に出すな』という父の言いつけに影響されただけだが。
重厚感のある鉄の扉を軽くノックして入室した。
「‥‥‥‥え?‥‥‥‥どういうことですか?」
「だから、後継ぎとしての勉強のために隣国のカルデリア帝国に一年間留学に行ってもらうと言っておろう」
何度も言わせるな、とため息をつきながら父が言った。
隣国に僕が入学?その間、アザレアには会えない‥‥‥‥?つまり、アザレアは誰かと婚約してしまうかもしれない‥‥‥‥!
そのことを理解した途端、僕は父の制止も聞かず、全速力で舞踏会の会場へと向かった。
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(フリージア様、なかなか来ないわね‥‥)
会場のベランダで、星がきれいに光っている夜空を眺めながらアザレアは物思いにふけっていた。
(‥‥今日こそは、フリージア様に思いを伝えたい‥‥!先刻からずっと待っているのに‥‥)
アザレアは3年前のあの日────王太子殿下に振られにいった日からずっと、ロートのことが好きだった。
でも、恥ずかしがり屋のアザレアは中々うまく思いを言葉にできず、いつも冷たい態度で接してしまうのをずっと後悔していた。
「‥‥‥‥!!あの馬車は‥!」
アザレアは急いで入口まで行った。
「フリージア様!!」
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「‥ハアハア」
疲れた。息が苦しい。でも、彼女を────アザレアを見つけないと‥‥。
馬車から降りても疲れの取れない僕の耳に、突如、愛しい彼女の声が響いた。
「フリージア様!!」
「‥‥‥‥ヴェルテーノ嬢‥‥?」
ハッとして意識がしっかりしてきた。僕はアザレアに、伝えないといけないことがあるんだ‥‥しっかりしろ、僕!
「フリージア様、大丈夫ですか?とりあえず会場に行きましょう」
僕はパシリとアザレアの右腕を掴んだ。
「待ってくれ、ヴェルテーノ嬢‥‥いや、アザレア。僕は‥。」
「フリージア様‥?」
「‥‥アザレア、1か月後から僕は、隣国に一年間留学に行くんだ」
「えっ」
アザレアはショックを受けた様子で瞠目する。僕は勇気を振り絞って言葉を発した。
「だから、君にこれだけは伝えたいんだ。
アザレア・ヴェルテーノ伯爵令嬢、僕、ロート・フリージアは、君を愛している。どうか、婚約してくれないだろうか‥‥」
「‥‥‥‥‥‥‥」
「アザレア‥‥?」
アザレアの顔を覗き込むと、彼女は___泣いていた。
「え!?どうしたの、どこか痛い?」
「違うんです、嬉しすぎて‥‥。フリージア様___いえ、ロート様、婚約は喜んでお受けいたします‥!」
「ありがとう、アザレア。泣くほど婚約が嬉しかっただなんて、可愛いね」
「なっ‥‥‥‥そ、そういうわけじゃ」
「ふふ、可愛い。しかもファーストネームで呼んでくれて‥‥‥。今はこれ以上ないくらい幸せだよ」
「ファーストネームで呼ぶくらい、いつでもしてあげますわよ‥‥ロート様」
「!‥ふふ、ありがとう。愛しのアザレア」
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それから、僕たちは婚約した。かつて舞踏会で知り合った友人たちや、王太子夫妻からも盛大に祝われた。
婚約の儀を挙げて3週間後、僕は隣国のカルデリア帝国に留学に行く。
「行ってくるよ、アザレア」
「行ってらっしゃいませ、どうかお気をつけて帰ってきてください」
あれ、何だか素っ気ない‥‥?
「‥‥ねえ、アザレア。何だか素っ気なくないかい、君?」
「っ!それは、‥‥‥ごめんなさい、本当は寂しいです‥‥」
ああ、本当に‥‥‥‥‥‥‥‥
可愛い!!!
「ふふ、可愛いね。ありがとう、寂しがってくれて」
「当たり前ですわ。それと、浮気したら‥‥‥一生許しませんから!!」
「こちらこそ。ほかの男に目移りしないでね」
「もちろんですわ!約束ですよ!」
こうして、僕は旅に出た。
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___数年後
僕ら二人の左手の薬指には、きらきらと輝くリングが光っている。
居間へ向かうと、大きなおなかを抱えたアザレアがいた。
「あら、お帰りなさい、あなた」
「ただいま。無理しなくてよかったのに、いつ産まれるかわからないんだから」
そう、実はアザレアは懐妊中だ。もういつ産まれるかわからない状況なので、あまり無理はしてほしくない。
「旦那様のお帰りは迎えたいのですよ。それより、いま動きましたわよ」
「えっ、本当かい!嬉しいなぁ」
「‥‥‥‥この子は将来どうなるのでしょうね」
「将来がとても楽しみだよ」
この産まれてくる赤子が、後に賢王としてエヴァルノール王国の歴史に名を刻む者が溺愛して、尚且つ完璧な才女と呼ばれる王妃となることを、二人はまだ知らない‥‥‥‥。
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