婚約破棄で私は自由になる
私には生まれた時から前世の記憶がある。
前世は日本人として、ごく普通の家庭の中で育った。
学校卒業後は、ごく普通の会社に入社し、事務員として働いていた。
結婚して、子育ても経験し、多分寿命を全うしたはずだ。
生まれ変わったとして、前世の記憶が残っているのは何故なのか。
しかも、ここは前世の世界ではない。何処か西洋を思わせる国だが、似て非なる所だ。
そして、日本ではなかった貴族制度が主流の世界観に、馴染むことが出来ないでいる。
もちろん、この世界で生まれた時から過ごしてきているので、側から見れば違和感なく過ごせているだろう。
要は心の問題なのだ。
私はこの世界では、貴族として生まれた。
名前は、ローズ・ハーモニー。子爵家の令嬢だ。
ううっ、名前負けしそう。心が折れる。
「ローズ。何をブツブツ言っているのです。もうすぐ婚約者のアデル様が来られるのですよ」
今世の母がそう言った。
アデル・マキシマム伯爵令息。
私の婚約者だ。
翡翠色の髪と同じ色を持つ三白眼。長身で、フェミニストなアデル様は、令嬢たちにも絶大な人気がある。
何故、そんな人が私の婚約者なの?
私は、ここでもごく普通の茶髪に、灰白色の目、中肉中背の全く目立たない容姿。
こんな私とアデル様が並んでパーティに参加した時は、どんなに周りの令嬢たちから非難の目で見られるか……。
はぁ……。 心が折れる。
そんな事を考えていたら、アデル様が来られたようだ。
私は玄関まで行き、アデル様を出迎えた。
「アデル様、ようこそお越し下さいました。お待ちしておりましたわ」
心にもない事を言う私に、笑顔でアデル様は挨拶をする。
「やぁ、ローズ。僕も会いたかったよ。
これ、君に似合うかと思って持ってきたんだ。気に入ってくれるかな」
そう言って、薔薇細工の髪飾りをプレゼントしてくれた。
いやいや、薔薇って。名前だけでプレゼント決めただろ。
いつも、アデル様は薔薇が入っている物をプレゼントしてくれるが、本当に似合ってると思ってくれているのか?
「ありがとうございます」
顔が引き攣りそうになるのをグッと堪えながら礼を言うと
「すぐに着けてほしいな」
と、笑顔で催促する。
すぐに、女性の使用人が私の髪に薔薇細工の髪飾りを着けてくれた。
「やっぱり! 似合うと思ったんだ」
笑顔でそう言ったアデル様を、お茶の準備をしている四阿に案内しながら、ソッと溜息をついた。
ああ、本当に。心が折れる。
アデル様は私より3歳年上の21歳だ。私が学園を卒業したらすぐに結婚する準備に入り、半年後には結婚する約束となっている。
もうすぐ卒業式だ。
学園では色んな令嬢から、アデル様の噂を聞かされている。
「ローズ様。アデル様って、本当にお優しいのね。この前、パーティでお会いした時、ダンスで疲れていたわたくしに、さりげなく飲み物を持って来て下さったのよ」
「アデル様って、とてもおモテになるのね。この間、街で数人の女性に囲まれていたのをお見かけいたしましたわ」
「ローズさん。アデル様の女性の好みをご存知? アデル様って、金髪のグラマラスな女性を好ましく思っているらしいですわよ」
本当に色々と余計な情報を、聞いてもいないのに皆、教えてくれるのだ。
「そうなんですのね。教えて頂きありがとうございます」
私の返事はこれ一本だ。
大抵の人はこのセリフに、面白くなさそうにすぐに去っていく。たまに強靭な心を持つ人が、何度も嫌がらせのように言ってくるが、このセリフと傾聴、同意を繰り返していけば、そのうち諦めて去っていく。
うん、傾聴と同意。大事だわ。
「今日もアデル様のファンが嫌がらせに来たわね。ローズ、大丈夫?」
こんな私にも友達はいる。幼なじみの彼女は、私の親友だ。
「ありがとう、マーガレット。私は大丈夫よ。この3年間、言われ慣れてるもの」
3年前、学園の入学とともに、私はアデル様と婚約した。
その頃から、アデル様のファンの令嬢たちから、色々と絡まれているのだ。
「あの人たち、ローズのことが羨ましくてしょうがないのよ。ただのやっかみよ。
もうすぐ卒業式でしょ。卒業したらローズは晴れてアデル様と結婚するんだから、そうしたら、あの人たちは、何も言えないわ。
あと少しの辛抱よ」
マーガレットはそう言って、私を慰めてくれた。
でもね、マーガレット。私はいずれアデル様に婚約破棄されるわ。
そうね、卒業式が婚約破棄のタイムリミットになるはず。
だからきっと卒業式に婚約破棄される。
婚約破棄をされたことで、私は自由になれるのだ。
何故、婚約破棄されると思ってるのかって? 答えは簡単。
アデル様は、モテる。
いつも、周りに女性がいる。
アデル様は、私にも優しいが、他の女性にも優しい。それはもう分け隔てなく。
そしてアデル様の側には、いつもある女性がいる。
女性にしては少し身長は高めだが、ピンクゴールドの緩やかな長い髪を腰まで垂らし、ボリュームのあるバストに、引き締まったウエスト、魅力的なグラマラスな体型。
なんて、けしからん!
その女性とよく市井を歩いていると噂で聞いた。
思い人がいるのに、いつまでも私と婚約を続ける人ではないと思う。
だから、私は。
もうすぐ婚約破棄される。
私は婚約破棄されたら、市井に下って、自分の力で暮らしていこうと思っている。
もともと貴族には馴染めず、いずれは家を出ようと思っていた。
だから私は前世の知識を利用して、商会を立ち上げたのだ。
といっても、10代前半の私が簡単に商会を開くことはできず、家に通ってきていた商会長に、さりげなくアイディアを提供し、小銭稼ぎをしながら、商会の立ち上げ資金を貯めていた。
また、度々市井におりては、生活に困っている孤児たちを家で雇い、ゆくゆくは私の商会の手伝いをしてもらえるように、勉強や礼儀作法を教えていた。
その甲斐あって、私が拾ってきた孤児たちは立派に育ち、今ではなくてはならない人財となっている。
立ち上げ資金も溜まり、商会長の指導の下、15歳で商会を立ち上げた。
《アンローズ商会》
私が立ち上げた商会の名前だ。
分かっている。完全な名前負けである事は。
でも! 目標は大きく! いつか、名前に見合うような商会にする!
そうして、商会の経営をしながら、学園に通い、時々婚約者とお茶会をするといった忙しい毎日を過ごしながら、着々と自立に向けて準備をしていたら、いつの間にか卒業式の日になった。
「ローズ、卒業おめでとう」
両親が卒業式に来てくれていた。
今世の両親も、とても子煩悩な人たちだ。
貴族は血筋のみ重視して、子供は家の繁栄の為の道具としてしか見ない人が多い。
しかし今世の両親は、そんな事は全くなく、私と弟を愛してくれている。
お父様、お母様。
ごめんなさい。
私が婚約破棄されたら、肩身が狭い思いをするだろうけど、子爵家には迷惑がかからないように、私はすぐに家を出るから。
後継の弟がいるから大丈夫よね?
商会が軌道に乗って、たくさんお金を稼いだら、きっと恩返しさせて頂きますから。
「また、この子はブツブツと独り言を言って。ローズ、あなた、もう学園は卒業なのよ? もうすぐお嫁に行くというのに、大丈夫なの? 本当に心配だわ」
お母様が呆れてる。
お嫁には行かないって。
「ごめんなさい。お母様。大丈夫ですよ。
もう卒業だと思うと、色々感慨深くて。
お父様も、今日は来て頂いて、本当にありがとうございます」
「ああ、ローズ。月日が流れるのは早いものだね。
本当に卒業おめでとう。卒業後はすぐに結婚準備だ。一緒に暮らせる日があと少しだと思うと、父様は寂しいよ」
うん、一緒に暮らせる日は、確かに少ない。
「お父様……悲しまないで」
「ハハ。ごめんごめん。めでたい事なのに悲しんだりしたら、幸せが逃げていくね。大丈夫だよ。父様はいつだって君の幸せを願ってるからね」
我が父ながら、なんて素敵なおじ様なのか。
お母様、いい男を捕まえましたわね。
本当に羨ましいです。
「そうだ。アデル殿も今日は来てくれるそうだね。この後、卒業パーティーがあるんだろう? 綺麗に着飾ったローズを見たら、さぞ喜ぶだろうな」
父の言葉に、いよいよ婚約破棄の瞬間が近づいてきたと実感した。
「ええ、アデル様とはパーティー会場でお会いする約束をしておりますの」
そう両親に伝えると、楽しんでおいでと言って、帰っていった。
私は、パーティー会場にある衣装室に向かい、パーティードレスに着替える事にした。
「あ! やっと来た! 遅いわよ、ローズ。もう、みんな着替え始めてるわよ」
マーガレットが手招きして、呼んでくれる。
高位貴族の令嬢は、それぞれ侍女たちがいて、一旦屋敷に戻って着替えをする方などもいるが、卒業パーティーは同じ学園内で行われるので、学園側が準備するための衣装室を用意してくれている。
ここには、貸し衣装もあるし、着付けや髪を結ってくれる人員まで確保されているのだ。
私たち下位貴族は、専用の侍女などいないので、このサービスは本当にありがたい。
私は、一応アデル様がプレゼントしてくれたドレスがあるので、ドレス持ち込みでお願いしていた。
ドレスに着替えた私を見て、マーガレットは溜め息をついた。
「さすがはアデル様よね。ローズを引き立てるデザインをしっかりと把握してらっしゃるわ。とても綺麗よ」
プレゼントされたドレスは、真紅色で、裾に向かうほど濃色にグラデーションがかっている。斜めに幾重にも重なったレースは、まるで薔薇の蕾を思わせるデザインで斬新だ。
ここでも薔薇……。
アデル様、ブレないな。
「ありがとう、マーガレット。貴方も白地に金色が散りばめられていて、素敵な色合いのドレスがとてもよく似合ってるわ」
2人で褒め合いながら、パーティー会場に向かった。
パーティー会場に着いた私たちは、取り敢えずドリンクコーナーに向かう。
時間はやや早めだが、半数以上は会場入りしているようだ。
友人達と、おしゃべりを楽しんでいると、いつも私に絡んでくるアデル様のファンの令嬢たちがやって来た。
「ごきげんよう、ローズさん。素敵なドレスね。アデル様のお見立てかしら? あの方は本当にセンスがおありになること。
でも、着ていらっしゃる方がちゃんと着こなせなければ、せっかくのドレスの魅力も半減しちゃうわねぇ」
そう1人の令嬢が言うと、クスクスと他の令嬢たちも笑っている。
「あ、あんまりです!」
横で聞いていたマーガレットが怒ってくれたが、下位貴族の私たちは、余り強くは出られない。
「マーガレット、良いのよ。この方の言う通りですもの。
私も同じ事を思っておりますのよ?
このドレスは、私には身の丈に合わないくらい素敵なものですもの。
皆様もそうお思いになってるとは、奇遇ですわ。アデル様が来られたら、皆様と同じ思いだったと教えてさしあげなければ」
私がにこやかに言うと、令嬢方は顔を引き攣らせている。
前世合わせれば、あなた方の祖母よりも年上になるのよ。小娘に少々言われたくらいじゃ、痛くも痒くもないわ。
今まで面倒だから、何も言い返さなかったけど、卒業するんだし、もうすぐ貴族じゃなくなるんだし、ちょっとくらい言い返してもいいよね?
いつも何も言わない私が嫌味を言った事で、一旦怯んだが、さすがは何時も絡んでくるだけあって、相手もしつこい。
「そうそう、先程、アデル様をお見かけしましたわよ」
クスッと笑いながら、他の令嬢と顔を見合わせる。
「ええ、わたくしも見かけましたわ。それはそれは素敵な女性をエスコートしながら歩いておられましたわよ」
「そうそう、金色の長い髪に、とても妖艶な女性とご一緒でしたわ」
「ローズさんは、今日はアデル様がエスコート役ではなかったのですね」
口々に話し、私の反応を見ながら笑っている。
知ってるって。何度もその女性と歩いているという噂を耳にしたし、商会の用事で市井に行った際、遠目だったけど実際に2人を目撃したこともあるんだから。
それでもここまで連れて来ている事は、やっぱりショックで。
知らない間に俯いてしまった私を見て満足したのか、令嬢たちは去っていった。
「本当に最後まで失礼な方達よね!」
マーガレットが私の代わりに怒ってくれている事が嬉しい。
これから起こる事を考えて、緊張していると、そこにアデル様が例の女性を連れてこちらにやってきた。
「ローズ! 探したよ。今日は卒業おめでとう。
ああ、そのドレス、やっぱり君にとても似合ってるね。とても綺麗だよ」
にこにこしながら、いつもの様に私を褒める。
その隣で、ピンクゴールドの髪の妖艶な美女が微笑んで、こちらを見ていた。
「ありがとうございます」
お礼を言いながら、隣の女性を見る視線に気づいたアデル様は、
「あっ! 紹介するね。こちら、私の友人のボルサリーノ卿。
私の婚約者に会いたいって、いつも言ってたから、今日一緒に来たんだ」
へ~、いつも私に会いたいと?
自分こそがアデル様の恋人だって、主張したかったのか?
ふ~ん、
恋人じゃなくて友人って紹介するんだ。
この期に及んで友人。
ん?
友人?
ボルサリーノ卿?
卿⁉︎
「あの? ボルサリーノ……卿なのですか?」
困惑表情でそう告げる私を見て、
「あ! ほらぁ! やっぱりこんな格好でくるからローズが変に思ったじゃないか!
ローズ、この人、男だからね、男!」
そう言ってアデル様は、ボルサリーノ卿に挨拶を促す。
「ああ、バレちゃった。ごめんね。ローズ嬢。
私はルイス・ボルサリーノ。アデルとは、同じ騎士団に所属しているんだ」
美女から野太い声が出ている。
あれ? じゃ、アデル様の恋人は?
えっ! まさかアデル様は、男色家⁉︎
「違う違う! 全く違うから!
この人は、昔からの友人で仕事仲間!
騎士団の仕事で、ボルサリーノ卿が女性に扮して、恋人同士に変装して市井を巡回することがあるんだ!」
えっ? 私、何もまだ言ってないのに。
アデル様って、もしかして超能力者⁉︎
「いや~、ローズ嬢って、面白いね。
気づいてる? 思ってる事、全部声に出てるよ?」
ボルサリーノ卿が笑って教えてくれる。
「えええええ~!!」
やってしまった。
お母様にも、何度も注意されたのに。
「本当に面白い。アデルが夢中になるだけあるね」
「ちょっ! 何言い出すのさ!
もう、ルイスは黙っててくれよ!」
真っ赤な顔でアデル様が、ボルサリーノ卿に怒ってる。
そんな時、1人の令嬢がこちらにやって来た。
「あっ! やっぱりルイス様! もう! また女装なんかして! 仕事以外でその格好するのやめてって言ってるのに!」
そしてボルサリーノ卿に向かって怒り出している。
「ごめんごめん、ちょっとした余興になるかなって。いい卒業記念になるでしょ? 美女二人でダンス踊るなんて、なかなか面白いと思わないか?
マリア、卒業おめでとう。ようやく俺の嫁に迎えられるな。
そのドレスも良く似合ってる。
今の俺とペアドレスだぞ。嬉しいだろ?」
「はぁ⁉︎ 嬉しいわけないでしょ!
ルイス様の女装は、私より美人になるんだからね!
いっそ、結婚式は私が男装して、ルイス様がウェディングドレスを着ればいいんだわ!」
え~っと。だれ?
何が始まった?
呆然とその様子を見てると、アデル様がそっと教えてくれた。
「あの2人も婚約者同士だよ。私たちと同じで、彼女の卒業を待ってからの結婚の予定なんだ。
今日はお互いの婚約者が卒業式だから、エスコートしに一緒に来たんだけど。
受けを狙って、女装で来るんだもんなぁ」
と、苦笑している。
そうなんだ……。私たちと同じで、卒業を待ってからの結婚……。
結婚?
あれ?
婚約破棄は?
「ん? 何? 婚約破棄って? 誰がするの?」
アデル様が首を傾げて不思議そうにしている。
「え? また声に出てました?」
私が慌ててそう言うと、アデル様は、仕方ないなぁとでも言うように困った表情で。
「はぁ、またそんな馬鹿な事を考えてたのか。
ローズ、君は時々そんな事を口に出してるけど、あり得ないからね。
私は今日という日をずっと待ってたんだから。
もう、このまま私の屋敷に連れて帰ったほうが、実感が湧くのかな?
ローズ、改めて言うよ。
私たちは、結婚するんだからね。
絶対に婚約破棄はあり得ないから、そのつもりでいてね」
真剣な表情でそう話すアデル様を見て、私は知らず知らずに涙を流していた。
「え! 何で泣いてるの? ええっ⁉︎
まさか、ローズは私と結婚したくなかったの? いや、それでも結婚取り止めなんて絶対嫌だけど!
ローズ? 泣かないで?
嫌なところは全部直すから、私を捨てないでくれないか?」
慌てながら、私を必死で繋ぎ止めようとするアデル様を見て、私は肩の力が抜けた。
ああ、そうか。
私はずっと怖かったんだ。
前世の記憶があるから、何をしてもどこか冷めた感情があって。
誰に対しても、一歩引いた態度を取ってしまって。
こんな私が、人から愛されるわけがないと、思い込んでしまっていたから。
アデル様からの想いにも見ないフリをして。
自分のアデル様への想いにも蓋をして。
いつしか人を信じるのが怖くなっていたんだ。
でも。
アデル様は私を裏切らない。
私から離れていかない。
きっと、この人は、どんな事があっても私と一緒にいてくれて、愛してくれる
何故かそんなふうに思えた。
「アデル様」
私が呼ぶと、アデル様は静かに私を見る。
「私、アデル様が好きです。
アデル様と結婚したいです」
そう、自分の思いを伝えた。
「ローズ! ああ、私もだ! 私もローズと早く結婚したい!」
アデル様は嬉しそうに、私を抱きしめた。
いつの間にか卒業パーティーは始まっており、参加している人達は、思い思いにダンスを楽しんだり、料理を楽しんでいる。
「さぁ、ローズ。私達も踊ろう」
「はい! アデル様!」
アデル様に誘われて、私達はパーティーの輪に溶け込んだ。
~アデル視点~
私の婚約者は少し変わっている。
初めて彼女を見たのは、私が学園の友人と共に、護衛を連れて市井に遊びに出た時だった。
まだ12~13歳くらいの幼い少年が1人で、路地裏近くを歩いている。
服装を見る限り、裕福な家の子供のようだ。そんな子供が1人で路地裏の方に向かって歩いているのが、気にかかった。
最近、誘拐事件が頻発している。
主に子供や女性を狙ったもので、裏に大きな闇組織が関わっているとの情報が入り、騎士団総出で、手がかりを探っているそうだ。
しかし、この組織は騎士団員を上手く躱している為、全く手掛かりが掴めないと聞いている。
だから、僕(その頃は自分のことを僕と呼んでいた)たちも貴族の子供だとバレないように、地味な変装をしており、少し離れたところから護衛についてもらっていた。
ちなみに、友人は女装している。
なんで女装? とは思うものの、友人の中では変装は女装なんだそうだ。
変なやつ。
しかも、完璧な変装で、見た目は女性にしか見えない。
完璧すぎて、ちょっと恐い。
でも、声を発すると野太い声だから、すぐにバレるが。
なので、あのように子供が1人で歩いていると、狙われるのではないかと、心配になった。
「おや? あの子、女の子だね」
その時、女装した友人がそう言った。
は?
「少年だろ?」
「いや、あの骨格は女の子だね」
いやいや、骨格って!
お前、怖いわっ!
「女の子が1人で、何処に行くのかな?誘拐組織がうろついている事、知らないのかなぁ」
僕たちは、気になってその子の後をこっそり付いて行った。
その子は路地裏で虚ろな目をした1人の孤児に声を掛けてから、しばらくすると一緒に表通りの方向に歩いていった。
「連れて帰るのかな?」
僕の疑問に
「なんで?」
友人が答える。
「さぁ?」
結局その後、彼女たちを見失い、僕たちは遊ぶ気が失せてそのまま帰った。
あれから数週間後、僕はまた市井に来ていた。
どうしてもあの子が気になって仕方がなかったから。
でもあの路地裏近くに行くも、あの子はいない。
そりゃそうか、都合よくいるわけないよな。
でも、このまま帰るのも癪なので、何か買って帰ろうかと、表通りの店を見て回った。
ブラブラと目的もなく歩いていると、視界の端に、あの時の少年風の子供が目に入った。
(あの子だ!)
あの子はある商会の店に入り、そこで店の人と何か楽しげに話している。
そして、あの子の側には、あの子より小さめの男の子が一緒についていた。
ん? あの少年は……。
よく見ると、数週間前に路地裏で虚ろな目をした孤児に似ていた。
しかしあの時のような、みすぼらしい格好ではなく、清潔感溢れるしっかりとした従者服を着ていた。
やっぱり連れて帰って、面倒を見てあげているんだな。
そう知る事が出来て、嬉しい気持ちになった。その日は、そのまま気分良く帰途に就いた。
それからも、度々市井に出たが、あの子に会う事はなく、そのまま2年が過ぎた頃、市井で面白い店が開店したと聞いた。
僕はまた友人と共に市井に出て、噂の店に行く事にした。
そこは《アンローズ商会》と書いてある看板が掲げられており、店の中は多くの人で賑わっていた。
そして、ようやく入れたと思った時、カウンター奥から店の様子を見ている少女に気がついた。
見た瞬間に僕は思った。
(あの子だ!)
2年前に見た時よりも、身長は伸びており、赤銅色の緩やかなウェーブの髪が肩下まで下ろされている。
好奇心に満ちた瞳は、青眼の真ん中が灰白色の神秘的な色合いだ。
その美しい瞳で、店内の様子を嬉しそうに観察していた。
僕は、店員にカウンター奥にいる少女は誰かと聞いたが、教えてはもらえなかった。
でも、店の奥にいるということは、関係者の娘かも知れない。
彼女が誰なのか知りたくなり、護衛を通じて調べてもらった。
結論から言うと、彼女は子爵家の娘だった。
ローズ・ハーモニー子爵令嬢。
報告書を読むと、幼い時から少し変わった子で、1人で(隠れて護衛が付いていたらしい)市井に行き、度々孤児を連れて帰ってくるのだとか。
その孤児達に、将来困らないようにと、勉強や礼儀作法を教えているらしい。
また、商才もあり、なんとあのアンローズ商会は、彼女が立ち上げたものだとか。
今まで誰も思いつかなかった、便利な日用品の数々を取り扱っているらしい。
働ける歳になった子爵家の元孤児たちは、その商会で働いて、彼女を助けているとか。
報告書を読み終わった時、彼女の先見の明に衝撃を受けた。
年齢は僕より3歳下なのに、しっかり自立してるじゃないか!
今まで、親の敷いたレールの上を、何も考えずに歩んでいた自分を、とても恥ずかしく思った。
それからと言うもの、何かと彼女が気にかかり、たまにしか店に来ない彼女の姿を見る為に、何度も通った。
彼女の姿が見られた時は、嬉しくて仕方なかった。
また、彼女に倣って、僕も孤児院や教会などに、寄付をおこなった。
僕のその行動に両親は喜び、僕にいい影響を与えた彼女の事も、両親はいたく気に入った。
両親は気づいたのだろう。
僕が彼女の話をする時、必要以上にキラキラして話をしている事に。
まるで、自分の事のように、自慢げに話をしている事に。
ある日、両親に婚約者が決まったと言われた。その婚約者が彼女だと言われた時は、言いようのない喜びが溢れだした。
だって、それまでは直接彼女とは関わりがなかったから。
彼女のことを勝手に調べて、何でも知ってる風にしてたけど、その時の自分は、彼女に比べたら断然劣った人間だと思っていたから、話しかける事も出来なかったから。
これで、堂々と彼女の前に立てる。
婚約者として彼女に紹介され、僕のことを意識してもらえるよう、それからは必死で、彼女との交流を図った。
ローズという、可愛らしい名前の彼女だが、彼女自身は自分に自信がないらしく、見劣りしていると思っている事も知った。
君より素敵な女性はいないのに。
本当はローズの名前が好きで、名前にちなんだ薔薇も大好きなのに。
あえて、薔薇を避けて、違う花の模様を使った髪飾りや、小物類を使用している君に、君は薔薇が一番似合うよと教えてあげたくて。
それからの私の贈り物は、薔薇にちなんだ物ばかりになった。
知れば知るほど、ローズは魅力的な女性で。
たまに、自分では気づいてないけど、思っている事を声に出しているところも、可愛くて。
相変わらず、たまに市井に行けば、フラリと孤児を連れて帰ってきたりして。
とにかく目が離せなくて。
彼女が学園を卒業するまでは、結婚出来ないのが、もどかしく思っていたのに。
たまに独り言で、《婚約破棄》 のフレーズが出てくるのが、堪らなく不安になる。
ローズ。
私は君を離さないよ。
婚約破棄なんて、絶対しないからね。
ああ、早く卒業してくれないかな。
早く結婚して、2人で幸せになろうね。
ただ今、自作『モブなのに最強?』も、連載で掲載中です。
ご興味があれば、そちらも読んで頂けたら嬉しく思いますので、よろしくお願い致します。