episode.36 #疎通
時刻は深夜2時になろうと言うのに、エルザもマルクスもアルノルトも起きてリビングにいた。
「んなややこしい事すんなよ!どいつもこいつも!!俺ばっかり何も知らねーで突っ走って馬鹿みてーだろ!!」
向こうの山まで届きそうな程の声量で怒り狂っているのはマルクスだった。
流石にうるさい。夜中だぞ。
あの後、アルノルトからニーナが何者であるかの説明があった。
ニーナはエラルドの婚約者候補だと言う。本人はその気だが、エラルドにその気が無く話が進んでいないのだとか。
ならば婚約の話しはアルノルトでも良いというのだが、当の本人は魔獣師の女に夢中ときた。
エラルドは魔獣絡みで事を起こしたばかりだし、その辺りでもむしゃくしゃしたニーナがエルザに喧嘩をふっかけたという事らしい。
ニーナとアルノルトが何の関係もなければここまでややこしくは無かったかもしれないが、言葉を選ばずに言えば、【ニーナはエラルドからのお下がり】という事だ。
過去のこととは言え、残酷な兄弟だ。女の敵め。
次に、アルノルトの「ニーナを助ける」発言について。
これは、自分よりも他者を助けるようにとの、エルザの望みであることがマルクスに伝えられた。
それを尊重した上での「ニーナを助ける」であったと。
流石に、エルザが死んだら後を追うとまでは言わなかったが、「お前らそんな話しまでちゃんとしてたんだな」なんて言ってマルクスは呆然としていた。
かと思えば自分の失態を思い出して叫び散らす…今ここ。
「くそ…。俺はもう寝る!」
どすんどすんとわざと足音を立てて自室に戻るあたり、まだまだ子供だな、なんて思いながらその背中を見送った。
「…ごめんね、エルザ」
「何がですか?」
「君を、傷つけたんじゃないかと思って………」
「……………」
大丈夫だと言いたかったが、エルザはニーナの話を聞いた時、それから、盗み聞く形ではあったがアルノルトとマルクスの話を聞いた時、そのどちらも胸が締め付けられて苦しかった。
明確に認めてしまうのが怖くて、曖昧にして、目を逸らしていた気持ちを、誰かに握りつぶされそうな、そんな感覚。
好きになってしまっている、と嫌でも自覚させられた。
エルザはため息の後、意を決してアルノルトを見た。
「そうですね。もうこんな人、嫌いになってしまおうかと」
強く意思を持った筈なのに声が震えた。
それでも涙だけは堪えた。
「エルザ………」
あぁ。その切なさと甘さを含んだ、掠れた声で名前を呼ばないでほしい。
その声だけで、胸が痛いほど締め付けられる。
「嫌いに……嫌いです…あなたなんて………」
嘘だ。いつの間にか、こんなにも好きになっている。
泣いてたまるかと思っていたのに、大粒の涙がボロボロと目から溢れるのを止められない。
アルノルトはその姿を見て、エルザを抱きしめずにはいられなかった。
声を殺して、音を立てないようにして、小さく震えながらエルザは泣く。
そんな姿が愛おしく、その何倍も罪悪感を感じる。
「…………離してください」
「いやだ」
「…全然、帰って来なかったくせに。私の事なんて二の次なくせに。好きだなんて言って揶揄ってたんでしょ」
「違う!揶揄ってなんかないよ、僕は本気でーー」
「彼女の事を優先したくせに」
「………君は物分かりが良いから…甘えていたんだ。ごめん」
なんて情けない言い訳だろうか。
エルザがその小柄な体にどんな思いを閉じ込めていたか。
ニーナを無言で引き渡してきた彼女が、どんな顔をしていたかきちんと向き合って確認すればよかった。
ニーナとエラルドのいざこざなんて放って、すぐにでも彼女の元へ駆け出せばよかった。
1人で泣いていたのかもしれない彼女を、はやく抱きしめればよかった。
「好きだよ、エルザ。僕は君が、何よりも好きだ」
「……嘘、嘘つき…」
「嘘じゃない」
普段、聞き分けがよく、大人びているエルザが、こんなにも素直に拗ねたような態度を取るのはアルノルトの前では初めてでは無いだろうか。
疲れや眠気で我儘を言う事はごくたまにあったが、今回はそれとは明らかに違う。
「ねぇ。どうしたら、僕の気持ちは君に伝わる?」
「………」
「君が望む事なら、僕は何だって叶えるよ。」
エルザはまだ涙が止まらずぼやけた視線をアルノルトに向けた。
塞いでいた気持ちが溢れて止まらなかった。
「………好きだと言ってください」
「うん。…好きだよ。」
「………………キス、してください」
「うん」
躊躇いも無く寄せられた唇を、あとわずかで触れると言うところでエルザは自分の手を間に挟んで止めた。
「?」
ねだっておきながら相反する行動に、アルノルトは首を傾げた。
エルザはほんの少し目を泳がせてから、恥じらうように小さな声で言う。
「彼女と………他の人と一緒のは………嫌です…」
「ーーー」
こんなのは反則だろう、と、アルノルトは息を飲んだ。
「なら、優しくは出来ないよ」
視線をずらしたまま、コクンコクンと小さく頷くエルザが可愛くて愛おしい。
ふん、とアルノルトは鼻で笑うとその唇が触れる前にエルザに問う。
「ねぇ。君は僕の事が好き…?」
「……………すーーー」
「ーーーーー」
たった2文字。それすらも待ち切れないと、エルザの声はアルノルトに飲み込まれた。




