episode.30 #姉弟
カチャカチャと普段なら気にならない音でアルノルトは目を覚ました。
それが瓦の音だと気づいた時、脳裏にはエルザの姿が浮かんだ。
前に屋根に登って平然と寝こけていた事があったのを思い出してアルノルトは布団から出た。
まさか怪我をしているのに屋根によじ登るなんて事あるはずが無いと思いつつも、エルザならやりそうだとも思う。
ベランダの柵に背を預けて屋根を見上げると、やはりそこには人の影があった。
だがそれはエルザでは無かった。
「慣れない場所では眠れない?」
「!?ボ、ボス!!」
そこにいたのはマルクスだった。月明かりに照らされた青年は10も歳下だが少し大人びて見えた。
「少し前に、エルザもここに登っていたよ。似てるね、2人は」
「………似てないっすよ。姉弟じゃないし」
嫌そうにするかと思ったが、淡々とした口調だった。
「血の繋がりなんてちっぽけなものだよ。僕は血の繋がった兄と全然似ていないからね」
「ああ、そういや、エルザの怪我はボスの兄貴のせいだって聞いたっす。ヨハンがめちゃくちゃ怒ってました」
「目に浮かぶよ。実は僕もその時は結構怒ったんだ。」
「俺も怒ってるっすよ。あんた達のせいで、エルザや俺の仲間が死んでたかもしれないんだから」
昼間の少年と同一人物かと疑うほど、マルクスは冷静で言葉に温度が無く淡々としている。
どちらかのマルクスが偽物、と言うわけでは無さそうだが、昼間は特に明るく振る舞っている姿のようだ。
「ボスのせいじゃないって、分かってるっす。でも俺はまだガキなんで、ボスの兄貴がやったならボスもいつかエルザを危険に晒すかもしれないって思います。兄弟なんで」
「マルクスに兄弟は?」
「いません。血の繋がりが無くて良いなら、エルザとヨハンが兄弟みたいなもんっす」
最初にエルザとは兄弟じゃないと否定したのに、今度はエルザとヨハンが兄弟だと言うマルクス。
血の繋がりに憧れか羨ましさがあるのだろうか。何にせよ、2人がマルクスにとって大事な存在である事に違いはない。
「エルザの怪我の事は僕からも謝るよ。ごめんね、君の大事な姉さんを傷つけた」
「………」
「けれどこれだけは誓うよ。僕は絶対にあんな事はしない」
「………ボスはエルザの事が好きなんっすか?」
唐突な話の転換にアルノルトは少し驚いた。
「どうしてそう思うの?」
「いや、流石にわかるっすよ。視線とか口調とか、夕飯の時に散々見せつけてたじゃないっすか」
たしかに心当たりはある。アルノルトはエルザを可能な限り甘やかしているし、夕飯は特に顕著だっただろう。
「ははは、そうだね。好きだよ」
「なんでですか」
「きっかけは2年前。僕は彼女に命を救われている」
「はぁ?それだけっすか?吊り橋効果ってやつじゃないっすか?勘違いっすよ、それ」
「…手厳しいね。何か言いたい事があるならはっきり言って欲しい」
蹲るように座っていたマルクスは不意に顔を上げると、真っ直ぐにアルノルトを見据えた。
「ボスにエルザは無理じゃないっすか?手に負えないでしょ」
「どういう意味?」
「まんまっすよ。知らないかもしれないっすけど、エルザはめちゃくちゃ優秀なんすよ。魔獣師界も背負ってるし俺なんか全然追いつけない。あ、まだ追いつけてないだけで負けを認めてるわけじゃないっすよ」
「うん」
「………だから、なんつーか…あいつは、ボスが今まで見てきた女とは違うと思う…つーか………」
「うん」
何かを言い淀むマルクスをアルノルトは急かすことなく、ただ静かに話を聞いていた。
「いつ死ぬか分かんないんすよ、俺たちの仕事って。エルザだって今回の件でも、運が悪かったら死んでたかもしれないっすよ。そんな人を好きになるのは……あんまり、オススメしない…ってゆーか………」
「マルクス。僕はエルザが好きだよ。…もう、好きなんだよ」
「………」
マルクスは膝を抱えて俯いているので、どんな顔をして何を考えているのか分からない。
この話しは、エルザを好きになる事への助言だったのかそれとも牽制なのかも正直分からない。
ただ一つ、変えられない事実がそこにある。
アルノルトはエルザが好きだ。失う事の恐怖は、もう何度も経験した。
それでも好きなのだ。
暫く2人を沈黙が包み、マルクスは顔を上げた。
「そうっすか……何でもないっす。忘れてください」
「マルクス」
立ち去ろうとするマルクスをアルノルトが引き止める。
「マルクスは、エルザが好きなのかな?」
だからこんな話をしたのだろうか。
アルノルトの言葉にマルクスは眉を寄せた。
「…はぁ?冗談はよしてくださいよ、流石に嫌ですあんなゴリラ女」
「ゴリラ………」
「俺はもっと淑やかで男を立ててくれる3歩下がった人が良いっす。そもそも、魔獣師は嫌だ」
「…そう」
「もう寝ます。おやすみなさい」
「うん。おやすみ」
マルクスが去った後も、アルノルトは暫く月明かりに照らされながら星を眺めていた。




