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船で


 温かい手袋とマフラーを巻き、ステッキを慣らしながら石の廊下を進む。周囲に人は少ない。今年はどうやら稀に見る低音の年だったようで、周囲の人々は頭にもモコモコとした帽子をかぶっていた。手袋とマフラー、コート程度の彼女たちは周囲から浮いている。これでも周囲に合わせようと最低限冬らしい格好をしたつもりだったのに。



 引き攣った唇を見咎めたヴァイスが「お嬢様」と彼女を呼ぶ。肩を竦め、雪を踏み鳴らして彼女は足早に街から出ようと進み始めた。



 彼女たちは、自分たちにかけた防御魔法の為に最低限の温度は遮断されている。本当は手袋もマフラーも要らないのだが、せめてと付けていて良かったかもしれない。



 ユニタの街は、極端に魔法師が少ない。ヴァッジ大陸自体は有能な魔法師が多いにも関わらず魔法師が少ないのはユニタで昔、多くの魔法師が死ぬという悲惨な事件があったせいだ。無残に街に散った魔法師の体を見た幾人もの町の人間、旅行客が話を広めた結果、ユニタでは極端に魔法師が少なくなってしまった。



 そんなユニタで、凍える中での軽装という魔法師の証をしている二人はよく目立つ。



 居心地の悪い感覚に自然と足は早くなり、街を出る時にも町の人間の視線が重く感じた。それに鼻で笑い、移転の魔法を使う。



 ヴァッジは四大陸で最も小さな大陸だ。ユニタはヴァッジでも西に位置する街になる。今回の目的になるナファタへは大海溝レベラントを通り過ぎて行くか、ペルオ大陸へ移動、さらには横断し、ナファタ大陸に移動するの二択の方法がある。



 今回はペルオ大陸に会いたい人がいる為、ペルオ大陸へと向かうがその前にヴァッジの東の地方へと向かう。



 移動の魔法は基本、国の境界線までしか使えない。彼女の魔力の不足ではなく、純粋に国際法の問題で。彼女が根っからの引きこもりとは言え、国際法まで忘れた物忘れの激しい者になった覚えはない。



 ペルオ大陸は大陸と言っても小さな陸地なので一つの国が支配している。彼女にとっては幸いにも。だって一度の移動だけで海岸の関門に向かってもいいのだもの。



 青の光が散り、頭上から降り注ぐ。地面には移動用の魔法陣が描かれそれもすぐに消えていった。隣には幾人もの魔法師が魔法陣を広げ、彼女たちと同じくどこかから関門へとやって来ている。魔法師の移動用空間だからか。次から次に、いろんな格好のひとが現れてくる。



 次の魔法師の為にも彼女たちはその左右と後ろを囲われた、移動地点から体をずらし歩き出した。石にブーツの踵を鳴らす音がよく響く。振り返れば彼女たちが移動した、囲いにはまた違う魔法師が飛んできているのが見えた。



 手袋にマフラー、コートという軽装でももはや浮いているようなことはない。魔法師の中には南半球から来たのか、半袖の夏模様のものだっていた。カラフルな花柄がとても目に痛い。



「船で移動なさるのですか?」



 多くの魔法師が関門を通り過ぎればまた、魔法師の移動用魔法陣を出しても構わない、専用の建物へと歩いていく。彼女はそんな彼らを見送りながら船着き場へと進んだ。手続き所で自身の腕輪をかざし、必要な金額を払ってしまう。チケットはヴァイスが預かった。出来る従者だこと。



 よく着込んだ乗客、少しばかり浮いた軽装の客の中に混じって歩き出しながら彼の問に彼女は首を捻りながらぼんやりと、口にした。



「魔法で移動してもいいけれど、たまにはゆっくり、移動するのもいいかと思ったんだよ。……暇なら扉を繋ぐから、部屋に戻ればいい」


「いいえ。まさか。お嬢様のお傍にいますとも」


「……優しい君なんて、恐ろしくてたまらないね」



 船を待つ間どこにいようか。とりとめもなく考えながら、ゆったり、周囲を見渡す。決して彼を振り返ることなどないように。



 街場にも人は多い。暖房が効いた室内でもまだ寒いのか、頭の帽子しか取っていない客は大多数だった。



 彼女はもう暑いのでマフラーを外し、手袋も脱いでしまって差し出された彼の手に上から落とす。受け取った手袋とマフラーは彼のポケットの中に入れられたが、あのポケットには空間拡大魔法をかけているようでポケットが目に見えて膨れることはない。便利な魔法である。



「私はいつだってお嬢様に優しいつもりですが」


「あはは。面白いジョーク」



 空いた場所がないようなので近くの壁にもたれる。白の大理石はユニタのものだ。ユニタの裏手の山には大理石の採掘場がある。品質もよく、関門の建物に売りに出したとヴァイスから報告を受けた覚えがある。



「冷たくはありませんか」


「いいえ。大丈夫。……座りたくば、探してきてもいいよ」


「座られたいのですか? お嬢様」


「私は立ってる。このままでいい」


「左様でございますか。では、私もこのままで」



 侍るヴァイスは、柔らかく微笑んでいる。



「……座ればいいのに」


「いいえ。お傍にいますよ」


「……」



 睨もうが、胸に手を当てて笑みを崩さない彼はもうテコでも動こうとしないだろう。威嚇は無意味だと瞼は下ろし息を吐いた。



「お嬢様」


「なに」


「何故、急にニットンになど?」


「気分。ニットンに行かないと、って思って」


「お急ぎでしたら魔法を使えばよろしいのに」


「急いでるわけじゃない。でも、ニットンには行かないとってだけ。……気分だよ」


「なるほど」



 微笑みが居心地悪い。そわつく腹の底の不快感を飲み込み、ヴァイスの滑らかな黒の髪が耳から落ちるのを眺める。



 丸メガネの奥には黒曜の瞳、絹糸みたいな髪。白磁の肌。整った容姿は物腰柔らかで、誰だって好ましいと思ってしまう容姿。それが彼女はひどく苦手だった。



 腕を組んで美しい相貌の男から視線を外す。船の音が聞こえてくる。取ったチケットは大型船のものなので、船が来たのかもしれない。時計は見えないので、予定時刻に近いのかどうか、知らないが。



「…………その前にニパーナのヒバナに行くから」


「またお珍しいところに」


「たまには、うん。気分だよ」



 傍に侍るヴァイスがちらりとポケットから懐中時計を確認する。ちらほらとベンチから腰を上げる人々も見え、彼らに合わせるように壁から背を離した。ゆるく、持ち上がった背と壁の間に風が通り抜ける。



「行こう。部屋を確認してゆっくりしたい」


「かしこまりました、お嬢様」



 弾んだ声、軽く折り曲げられた腰のせいで近づくお綺麗なお顔が圧力を持つ。それが例え喜色満面だったとしても。



 彼女は、幼い。小さな体に二メートル近い男が屈んでくると、それはもう大きな影を作りそれだけで足が、引きそうになった。



 その場に立ち続け、彼から視線を外さなかったのはただひたすらに彼女の虚勢でしかなく。



 美しい男は、まるで彼女を安心させるような緩やかな笑みを。



 見せて。いる。



「……楽しそうだね」


「はい」


「……」


「お嬢様と外を歩くというのは、初めてではありませんか?」


「かもしれないね」



 彼女は、外に出たがらなかったから。



 その人生の多くを閉じ込められた部屋の中で過ごしてきた。その選択をし続けてきたのは彼女であり、不便もなく、むしろあの閉じ込められていた空間が便利で良かったのだが、多少は。外に出たほうがいいのかも知れないと思ったりもしていた。



 今回の気まぐれは、いい旅行になるだろう。



 人々の後ろをついて行けば案の定船は到着していたようで、橋が渡されていた。橋の手前ではチケット切りがチケットの確認をしている。



 彼女の前に進み出たヴァイスがチケットを渡し、チケット切りは彼と彼女を見交わして「よい旅を」とだけ口にするとチケットの半分をヴァイスに戻した。それを胸ポケットに入れ、ヴァイスは彼女の手を差し出す。



 柔らかく微笑む彼に眉を寄せ、ステッキでその手を静かに退かしてしまう。大変結構、大きなお世話だ。



「要らない。そんなご立派な令嬢じゃないって、君は知ってるだろう」


「ふふ、失礼しました。慣れないことでしょうから、手を貸したほうが良いかと思いまして」


「……その心だけは受け取っておくよ、ヴァイス・ハスフォード」


「かしこまりました」



 きゅ、と握られた手を見送り、彼が一歩進んだのを確認してから彼女も橋に乗った。軋むそれを渡りきり、ヴァイスの後ろをついていく。チケットを確認しながら、それでも足取りに迷いなく進む彼の後ろを黙って。



 タイルの床が、階段を登ると絨毯のそれに代わる。踵は音を鳴らさずどちらもが口を開かぬものだから、彼らの通った後は動いた空気がそよぐ程度だ。



「ああ、ここですね」


「……」


「お嬢様、奮発なさいましたね!」


「船の移動だと、泊まらないといけないから。どうせなら柔らかいベッドで寝たいだろう」



 彼女の寝室と比べると少々狭いが、寝るだけの部屋にしては随分と広い。大きなテーブルも、クローゼットも見当たるここは、実質陸の宿と変わらない様相だ。



 貴族や商家の家柄のものが使うだろうランクの部屋だから、空いたスペースは荷物を広げるのかもしれないし、持ち寄ったテーブルを広げるのかもしれない。どこぞの貴族は茶器どころかテーブルが変わっただけでもまともに茶も楽しめないと言うから。



 だが彼女はそんな特異な性質があるわけでもなく、この部屋だって外を眺め、寝るためだけに取った部屋だ。



 たまには、何もせずにぼうっとする日があってもいいかな、なんて。考えて。



「ふふ、ええ。左様でございますね」



 ぴったりと並ぶダブルのベッドを魔法で引き剥がしながら、彼女の後ろに控えるにこやかな彼を半目で見上げる。



「……君がにこにこにこにこしていると、本当に怖いよ」


「いいじゃないですか。二人っきりの外出なんて、初めてなのですから」


「……」



 込み上げた吐き気は飲み込んだ。褒めて欲しい。胡散臭さに少々耐えられなかった。



「吐きそう。止めて」


「失礼しました。ところでお嬢様、お茶の時間ですが如何なさいますか?」


「……私、一度としてお茶の時間なんて取ったことないと思うんだけど。如何お思いかな、君は」


「ふふふ、いえ。つい。それらしいことも言ってみたくなりまして」


「……」


「だって、お嬢様。貴女がこんなにも貴族のような振る舞いをしているのなんて、初めてではありませんか! 私、大変興奮致します」



 胸に手を当てぴしりと立つ男の、この、どこか煽るような口調にこめかみが痙攣した。いちいち皮肉めいていて殴り飛ばしたい。



「気持ちの悪い性癖を暴露しないでもらえないかな……。付き合いたくないから」


「申し訳ございません。ふふ。お嬢様も、貴族だったと。感無量の思いでございます」


「……君と別室で予約を取れば良かったよ」


「それは何と悲しいのでしょう」


「本当に吐くよ」



 よよよ、と頬に手を当てながら泣く真似をする彼に風の魔法で体を回転させれば、その真似事も強制的に終了させられ彼はにっこり。微笑みをもってぴしりとその場にまっすぐ背を伸ばした。



「処理はお任せ下さい」


「君のそう言うところが嫌いだ」



 嫌悪に満ちた顔を向けられても彼はどこ吹く風。甘く微笑むだけで彼女の言葉を流してしまう。



「……自由に、船の中でも見てくれば? 私は、寝るから」


「おや、お嬢様。こんなにいい部屋を取っておいて。特権も使わずに眠られるのですか? 愚鈍な船とは言え、どうせ明日の朝には着いてしまいますよ?」



 魔法の扱える人間らしいどこか差別的な物言いは、ただの事実でしかないという現実も孕んでいる。本来なら魔法でひとっ飛びなのに、とさえ思っているだろう男はキョトンと首を傾げて彼女の様子を伺っていた。



 持ち上げたシーツの腕が止まる。船内には娯楽施設がいくつかあるだろう。彼女は嗜まないが、カジノもあるだろうし、食堂にはさぞかし美味しい食が出てくることだろう。



 ビリヤード、ボードゲーム場。そのどれもが本来ならば魅力的なのかもしれないが、あいにくと彼女はそのどれもに縁がない。ルールも知らないものの方が多い。



 娯楽も研究という性格はこんなところに少々損な面として現れた。



 それを、不満には思いはしないが。欠片として考えもしないのだが、寝るだけなのか? と問われれば少しばかりは惜しむような気持ちも湧く。



「……分かった。君の遊んでいる様は見ていてあげるよ」


「それ、従者として大変問題では?」



 体を起こした彼女に、彼は小首を傾げている。愛らしくも見えるだろう造形の良さにツバを吐きたい気持ち。しないのはここが彼女の部屋ではなく、客船の一室だから。多少のマナーくらいはわきまえているのである。



 ベッドから足を下ろし嘆息を。



「君に従者の感覚があったことに驚きだね」


「ふふ、これでも長年お嬢様の側仕えですから。……お手をどうぞ? レディ」


「しつこいな。要らない」



 差し出された手を忌諱するように尻を横へと移動させ、一人で勝手にベッドから下りた。肩と尻を適当に叩くと不思議と背筋が伸びる。息を大きく吸って吐き出すと、丸まった背は一本の芯が入ったように真っ直ぐになった。



 く、と顎を引き、鏡に映る自分が真っ当な貴族に見えて笑ってしまった。



 黒の髪も緑の目も。母譲りのそれは、貴族の血は一つも見いだせないのに。お笑い話である。



 彼女の母親は、踊り子だった。それを忌々しく思ったことも、踊り子の娘であることに惨めさも感じてはいない。むしろ母譲りのこの色が、彼女の誇りだ。



 唇を笑みの形に刻めば、鏡の中自分も笑う。それに満足し、彼女は彼を振り返った。



「どこに行く?」



 柔らかく微笑む彼は、彼女へと足を踏み出した。それに合わせるようにして、彼女も外への道へと足を踏み出す。



「どこへでも。貴女と、一緒なら」


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